こころ
やっぱり、いつものとこに彼はいる。
松葉杖では無い方で傘をさして、私を待っている。
きちんと傘をさせてないせいで、服は濡れている。



「どうして·····雨·····」

「毎日来るって言ったから」

「怪我したらどうするんですか·····」


私は鞄の中からハンカチを取り出し、濡れいる彼の服をポンポンとふいた。

松葉杖と傘を持っていれば、両手が塞がってハンカチを持っていたとしても拭けないから。



「あんたに会えるなら、怪我してもいいから」

嬉しそうに笑う。

ダメ·····、このままじゃダメ·····。




「もう、やめて··········」

濡れている服を拭くのを辞めて、私はぎゅっと傘を握りしめた。傘に雨が当たり、肌が少しずつ冷えてくるのが分かる。


「なに?」

「ほんとにやめて······、もう来ないで·····、お願いします」

「なんで?」

「ほんとに·····困るの」

「なんで困る?」


なんで?

だって、当たり前になっているから。

あなたに会うことが。



このままいけば、私は藤原和臣という男をもっと知りたくなってしまうだろう。


「私は貴方と付き合わない·····。絶対に付き合わない·····」

「なんでそう言いきれる?」


男の顔が見れなくて、自分自身の傘を持つ手を見ることしかできなかった。次第に強くなる雨·····。


ダメだと分かっているのに、彼はどうやってこの雨の中帰るんだろう?って考えてしまう自分がいて。





「弟がいるの··········」

「弟?」

「病気の弟がいる」


いつの間にか、敬語は無くなっていた。


私の小さい声は、この激しい雨の中、聞こえているのかさえ分からない。



「いつ··········どうなるか··········分からない·····」


声が震える。



「もし、彼氏ができれば·····私は会いたいって思う」

「··········」

「弟よりも、会いたいって思うかもしれない··········」

「··········」

「弟が大事なの·····、ほんとに·····」

「··········密葉」

「自分の命よりも、大事なの·····」

「··········」

「今、私が変わってしまったら、弟は··········、1人になる。それは絶対にしちゃいけないの·····」

「··········」

「私が他の「楽しい」っていう感情を覚えたら、戻れなくなる」

「··········密葉··········」

「だから、来ないで。もう来ないで」

「··········」

「お願い·····」

「俺の事、嫌いなわけじゃないんだよな·····?」



嫌い?

そんな感情、無かった。

戸惑い·····。
心配·····。


私は小さく頷いた。



「密葉·····」

「もう、会いにこないで」

「··········電話とかも?」


私はまた頷く。
もう、この人には関わってはいけない。
彼の··········、和臣の魅力に、私は引き寄せられる。



だからもう、今日で終わり。

雨が降っても、大丈夫かなって、怪我しないかなって思わないようにする。



「好きなんだ·····」

「うん·····」

「マジで、あんたに惚れてる」

「··········やめて」

「こんなの初めてなんだよ」

「やめてってば·····!」

「無かったことにしたくない」



ガシャンっと、大きな音がなる。
松葉杖を地面へと手放した音。

松葉杖を持っていたはずの手は、私の腕を掴み。



「·····和臣っ·····」

「やっと名前呼んでくれたな」



ああ、胸が鳴る。
涙が出そうになる。
目の奥が熱い··········。


「何してるのっ足·····!」

「なあ、嫌いじゃないんだろ?」

「松葉杖っ·····濡れて·····」

「俺の事、好きじゃないだろ?じゃあ楽しいとか、そんな気持ち無いだろ?会うだけなら大丈夫なんじゃないのか?」

「やめてってばっ!」

「密葉っ」

「もうやめてよ!!」



松葉杖が、雨で濡れていく。
私の顔も、濡れていく。



「·····密葉?」

涙が、止まらなくなる。



「これ以上、会えば、私は貴方を好きなる··········」

もしかしたら、今も·····。
だからこそ、後戻り出来ないうちに、和臣と別れないとって思ったのに。

これだけ好きだと言われて、気にならないはずがない。今までずっと我慢してた分、こんな気持ちになるのは、簡単な事だった。

私の理性が壊れていく。



「ごめんなさい·····。ごめんね」


和臣は何も言わず、ゆっくりと私の腕を離した。
私はしゃがみこみ、雨と水たまりのせいでずぶ濡れになった松葉杖を拾った。

こんなに濡れてしまっては、もう乾くまで使えなくて。



「諦めるしかねぇのか?」

足が痛いはずなのに、和臣は私と同じようにしゃがみ込んだ。


「うん」

「もし、万が一、密葉が俺の事を好きになっても、付き合えねぇんだよな」

「そうだね」

「多分、俺、諦めきれないと思う」

「うん」

「·····分かった、もう、ここで密葉を待つのはやめる」

「·····うん、そうして」

「弟、お大事にな」


和臣が、ずぶ濡れになった松葉杖を受け取った。


「和臣も、足大事にして·····」

「そうだな」

「立ち上がれる?足痛いなら·····ってか松葉杖、それ使えないよね。今から新しいの借りれるか聞いてみようか?」

「いいよ、自分で何とかする。また優しくされたら、明日も会いに来るって言いそうだから俺」

「··········そっか」

「··········」

「じゃあ、帰るね」

「ああ、ありがとな」


私は立ち上がり、和臣を背にゆっくりと歩き出した。



これで最後。
もう二度と会うことは無い。

ちゃんと立ち上がれてるか、どうやって雨の中帰るのか、その松葉杖で歩けるのか。本当はそれが気になって仕方がない。今からでも振り向いて、助けるべきなんだと思う。


ポツポツと、靴濡れ、浸透し靴下が濡れる。



もうすぐ家につく頃、私は立ち止まった。


本当にこれで良かったのか。



侑李··········、大事な弟。
私が死んでも、守りたいと思う。

だからこそ、私の未来を犠牲にしてでも、そばにいてあげたいと思う。

後悔したくないから。

後悔したくないから━━━━━━━━━━━━━━━·····





私がもう来ないでって言ったのに。
私がもう会わないって言ったのに。


最近、本当に走ることか多い気がする。
雨のせいで靴の中がぐちゃぐちゃで、走ってるせいで雨が体にあたる。傘の意味無いんじゃないかってぐらい、制服が濡れる。


ハアハアと、息切れが酷いのに、私は走ることをやめなかった。



自分自身で、自分の未来に和臣がいないことを選んだというのに、どうして私は後悔してるの?


どうして私は、怪我を負ってる人を置いてきてしまったの·····。



色んな思いが交差する中、病院の前まで来た。

涙を流す私の前には、和臣はもういなかった。



もう本当に、二度と会えない人になってしまったのだ。
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