こころ
松葉杖の無い和臣に、少し違和感があった。ただ普通に歩いているだけなのに、何だか背も高くなったような気がして。

そう思えばそうかもしれない。松葉杖を使っていたら体が自然と斜めになったりして、いつもの高さじゃなくなるから。

背筋がきちんと伸びている姿を見るのは初めてだった。



「そっち濡れてねぇ?」

「うん·····大丈夫」


私が傘を持ってないせいで、和臣の傘に入れてもらっている。そのせいで和臣の左肩が少し濡れていた。


「ごめんね、和臣の肩濡れてる·····」

「いや、いいよ。ってかヤバいなこれ」

「え?」

「すげぇ緊張する」


私に向かって笑いかけてくる和臣。確かに1つの傘で2人の人間が入っているから、距離が近いのは仕方の無いことで。


校門の前でそのまま喋っている訳には行かず、私たちはゆっくり歩き出した。とりあえず、傘が買える近くのコンビニまで和臣が連れていってくれるようで。




「この前、弟が入院してるって言ったでしょう?」


雨の中、ゆっくり歩く。
ほんとにもう足が治ってるらしい和臣は、私の方を見た。


「昔から心臓が悪いの、ずっと入退院の繰り返しで、生まれてきて八割ぐらい、病院で過ごしてる」

「·····うん」

「両親は医療費を稼ぐために他府県で働いてて、あんまり家に帰ってこないの」

「じゃあ、ずっと1人で留守番?」


和臣が首を傾げる。


「ううん、兄がいる。っていっても、結構遊びに行ったりで、気まぐれで、あんまり侑李んとこには来ない」

「侑李?」

「弟の名前」

「そう·····」

「だから、侑李には私しかいないの。私に彼氏が出来て、遊びに行くようになって、お見舞いに行かなくなったら、侑李は一人ぼっちで過ごさなきゃなんなくて」

「うん」

「だから、侑李が良くなるまでは、絶対誰とも付き合わない。放課後は友達さえまともに遊んだことないの·····。放課後は侑李の時間にしたいの。土日の休みも·····。侑李が1番なの·····」

「うん」

「もし、遊びに行って、発作が起こって、万が一の事があったら、私はずっと後悔する。どうしてその時そばにいなかったんだろうって」

「·····そうだな」

「和臣だから、断ったんじゃないよ。和臣じゃなくても、断ってた」


私は立ち止まって、和臣を見つめた。和臣も立ち止まり、私を見つめ返す。


「だから、ごめんね·····」

貴方とは、付き合えない。



「·····うん、分かった」

「ほんとに·····、気持ちはすごく嬉しいの」

「分かってる」

「今日も、ほんとは会えて·····すごく嬉しかった」

「··········うん」

「ごめんね·····」

「謝る意味分かんねぇ」



そう言うと、和臣は傘を持つ反対の手で、また私の頬を包んた。先程よりもほんのり温かい和臣の手のひら。

それにドキドキとする私の心は、落ち着かない。


「なあ、これだけ教えてくれよ」

「·····なに?」

傘の中で、2人と距離が近くなる。



「俺の事、どう思ってる?」


どう、とは·····。



こんなにも会えて嬉しいって思ってるのに。
嫌いなわけがない。
雨がふれば、ずっと和臣の心配をしていた。


こんな感情、ひとつしかない。


「··········嫌いじゃない·····」


本当は好きだと言いたかった。
でも、言うわけにはいかず。


視界から、傘が消えた。
傘が、地面へと落ちる音が耳に入る。


傘を手放した和臣の手は、私の体を包んでいた。

両腕で、痛いぐらいに私を抱きしめる和臣。


ドキドキと、うるさいくらいの心臓。それは和臣からも聞こえて、和臣も同じ気持ちなんだと思えば、少しだけ落ち着いた。

力強い和臣の体は、私が雨に濡れないよう、覆いかぶさるように抱きしめる。



「ストーカーして良かった·····」

「なにそれ」

「ストーカーって言ったの、密葉だろ?」

「そうだったね」


和臣の腕の中で笑った。



「待つよ、ずっと待つ」

「·····え?」

「密葉の弟が良くなるまで、密葉が俺の女になってくれるまで、絶対待っとく」

「何言ってるの、だって·····」


何年先か分からない。
その間に、いい人が現れるかもしれない。
きっと、和臣を幸せにしてくれる人がいるはず。



「いつか·····分からないよ·····」

「それでも待つよ」

「和臣·····」

「密葉が止めても無駄、俺の諦めの悪さ知ってるだろ?」


確かに·····。
今まですごく強引だった。



「もし、他に好きな人ができたら·····」

「密葉に?」

「違うよ、和臣に。待ってる間、他に好きな人できるかもだよ」


私が言うと、和臣の笑う気配がした。


「俺の一途さ、舐めてるだろ?」


別に舐めているわけじゃなくて。
もし、1年、2年、3年と月日が流れ·····

その間、ずっと私を待っているということ。

それはつまり、これから起こる和臣の人生を私が潰してしまうってことじゃ·····。

ずっと私に囚われたままの和臣は、簡単にいえば、今の私の立場と一緒で。




「·····嫌なら、すぐに言って」

「ならない」

「和臣·····」


抱きしめる力を緩めない和臣は、もう雨でびしょ濡れになっていた。
少しずつ私の体も濡れていく。


「·····毎日、会いてぇ·····」

「ダメだよ····。付き合ってるのと変わらない······」

「·····電話は?」

「·····それも·····」

「5分だけ」

「和臣·····」

「1分でいい、声ぐらい聞かせろよ」


本当に、顔に似合わず言葉遣いが悪い。



「·····1分だけだよ」

「··········うん」

「和臣」

「··········うん」

「痛いよ」


抱きしめる力が、強すぎる。



「今だけだろ?離したら、もう会えねぇ·····」

「でも、痛すぎるよ」

「うん」

「うん、じゃなくて·····」

「好きだ、一生、密葉のことを思ってる」




その言葉に、私も痛いぐらいに和臣を抱きしめ返した。




「私も思ってるよ·····」

「密葉·····」

「和臣、凄いドキドキ言ってる」


和臣にも、私の心の音が聞こえてるだろう。
胸の鼓動がおさまらない。


「今日で·····、会うの最後なんだよな」

「多分·····」

「なあ、今だけ、この時間だけ俺にくれよ」

「今だけ?」


それ、どういう意味?


その時、少しずつ和臣の腕の力が緩んだ。
自然と私の腕の力が緩み、顔を上へ向ければ穏やかに笑う和臣と目が合い。



顔が近すぎて、私は恥ずかしくなり顔を下に向けた。けれどもそれは和臣が許さず、和臣の手のひらが私の頬を包む。


この時間だけ·····。
今の、この時間だけ·····。



何をするつもりなのか分かった私は、瞼を閉じていた。柔らかくて、心が落ち着く温もり。
けれども雨のせいで、冷たくて。

好きという感情が、溢れだしてくる。


この時間だけ·····。


キスをするのは初めてだった。

ずっとしていたい·····。

そう思うほど。



けれども、いつだって終わりの時間はやってくる。





━━━━━━━━━近くで、雷が落ちた。


びっくりした私は、目を見開き、和臣から距離を取っていた。和臣も少しだけ驚いたみたいで、「大丈夫か?」と私に問いかける。

キスのせいで、顔が熱い私は、和臣の顔を上手く見れなかった。



「もう、私、行かないと·····」

家に帰って、シャワーとご飯を済ませれば、面会の14時を過ぎてしまう。和臣の胸元をおし、距離を取った。

意外にもすんなりと離れた和臣は、落ちたままの傘を拾った。それを私の手に持たせて。


「傘········」

「持ってけよ、風邪ひいたら俺が困るからな」

「ダメだよ、コンビニまで·····」


コンビニまで、傘を買いに行く予定だったはずでは?



「それより連絡先教えてくれよ」

「知らなかった?」

「知らねぇよ」


連絡先も知らないと言うのに、キスまでした私達。



雨の中、番号を交換し終え、ずぶ濡れのままの和臣は「そろそろ帰った方がいい」と私の背中を押す。



「傘·····」

「だからいい、雷鳴ってるし、気ぃつけてな」

「和臣·····でも·····」


それでは和臣が濡れてしまう。
いくら怪我が治ったとはいえ、風邪をひいてしまっては·····。



「これ以上いれば、またしたくなる」

呆れたように喋る和臣。


「帰ってくれよ、頼むから。すげぇ今も、抱きしめたいとか思ってんだから·····」


そんなの、私も思ってるよ。
和臣の胸に、もう一度飛び込みたい。
溺れるぐらいのキスをしたい。


でも、それは、さっきのでおしまい·····。
夢のような出来事は、終わり。


「またね·····帰るね」

「ああ」

「電話待ってるから·····」

「分かってる」

「バイバイ·····」

「··········またな·····」


いつ訪れるか分からない(また)という言葉。


これで終わりじゃないから。


始まったばっかりだから。


私達の複雑な関係は··········。



私は帰るまで、振り向かなかった。
和臣の傘が、私を落ち着かせてくれた。



またね、和臣·····。

私の心の声は、誰にも聞こえない。



家に帰れば、お兄ちゃんが変な顔をして立っていた。

ちょうどお兄ちゃんは出かけようとしていたらしく、金色の髪は無造作にワックスで整われていて。




「最近濡れすぎじゃね?」


傘を持っているのに、ずぶ濡れの私に、お兄ちゃんは怪訝な顔をする。お兄ちゃんは「ちょっと待ってろ」とタオルを持ってきてくれて。



「·····どこか行くの?」

「あー、ちょっとな。晩飯いらねー」


私にタオルを渡すと、お兄ちゃんは鞄を持ち、玄関へ戻ってきた。


「風邪ひくなよ?」

「うん」



お兄ちゃんが出ていくのを見ながら、タオルで足元や制服を拭き、シャワーを浴びるため脱衣場へ向かった。



熱いほどのシャワーを浴びながら、思い出すのはさっきの出来事。力強く抱きしめられ、熱いキスをされ。


抵抗もなく、あんなにも和臣に対して惹かれた私は、きっと和臣が好きなのだろう。


でも、もう、会うことはない存在。
時が来るまで。


ごめんね、侑李。
今日だけはお姉ちゃんを許して。


もうこんな事はないから·····。






侑李の病院へつく頃には、もう雨は上がっていた。
晴れとまではいかないけど、曇天の空は少し私の心を落ち着かせた。




今日も可愛く、私の大好きな侑李は、私の顔を見る度に「お姉ちゃん」と喜んでくれる。


「今日早いねっ」

「うん、テスト期間中だからね。面会時間から来れるよ」

笑って言うと、侑李は心配そうな顔をした。



「勉強しなくて大丈夫なの?」

「大丈夫だよ、これでも頭いいんだよ?」


だから侑李は心配しないで。



本を一緒に読んだり、侑李の勉強をしたり、オセロなどのちょっとしたゲームをした。


夜ご飯を食べ終えた侑李は、少しだけウトウトとしていて。すぐに眠いのだと笑った。


侑李を横にし、「侑李が寝るまでここに居るね」と言えば、侑李は嬉しそうに笑った。
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