可愛すぎてつらい

10.勝算は100%

 そわそわと落ち着かなくて、指先を意味もなく遊ばせている。今だったら素晴らしい刺繍ができるのではないだろうか。ただし振動で指に針が刺さるだろうけど。

「奥様、落ち着いてください」

 とうとう見かねたらしいマリーが声を掛ける。けれど指先は止まらない。

「わ、分かってるわ!でもどうしようもないの。だってよく考えたら、いきなり私なんかが騎士団に行ってもいいのかしら?」
「旦那様が騎士団に在籍されていたころにお届け物を持って行ったことがありますが、騎士団は王城とは違って、入り口で記名すれば中に通してもらえますから大丈夫ですよ。それに誰かは届けなければいけないのですし、ならば奥様が届けられた方が喜ばれるかと」
「……でもあの冷ややかな目で見られる未来しかないわ」
「それに関しては回答しかねます。ほらあんまりお喋りしていると舌を噛みますよ」
「ううっ」

 素気無いメイドに肩を落として、諦めて窓から景色を眺める。ランサム家の馬車は素晴らしい造りだが、それでも揺れないわけもなく。
 今はもう街を抜けたところで、いつの間にか道は舗装されておらず揺れがさっきよりも激しい。確かにあのまま喋り続けていれば、いずれ舌を負傷してしまうだろうと口を噤む。

 そうでなくとも、もう持っていくしかない。それは分かっている。

 サマンサに託された本を意気揚々と持って出かけたまではよかったが、段々と冷静になると悪い想像しかできなくなってしまって、お供のマリーにぐだぐだと泣き言を言っていた、というわけだ。


 最初は幼いチェルシーが書いた手紙を、フレッドが大事に持っていてくれたことが嬉しくて浮かれてしまった。

 もしかしてもっとフレッドを深く知ろうとしたら関係は変わっていたのだろうか。しかし表情の乏しい、不機嫌そうな男性に果敢にぶつかっていけるほどの勇気もなければ、フレッドに対して執着もなかった。だって親の決めた結婚だし。それに尽きる。

 愛想よくするのも1ヶ月が限界だった。冷えた目で、眉間に皺を寄せながら「それで?」と言われて、ベラベラ喋れるほど剛の者ではない。「うっとうしい」とか言われたら二度と立ち直れないし、そんな台詞を吐いてもおかしくない表情なのだ。

 だけれど記憶の男の子がフレッドならば。もっと突っ込んで話してもいいのだろうか。

 優しいチェルシーの王子様だった男の子。そして『可愛すぎてつらい』という紙。本に挟まれていた手紙。

 ——そして、昨晩の彼。

 ぷしゅうーと頭から湯気が吹き出す。ここ数日のチェルシーの脳と心臓は、これまでの人生で一番忙しなく働きまくっている。正直これで寿命が縮んだといわれても納得してしまうだろう。

 少しだけでも微笑んで優しくしてくれたら。チェルシーはたぶん彼のことを好きになるし、好きになってもらえる努力もできる気がする。

 そう、自覚している。昨晩のように愛され続ければ、好きになってしまうことを。

 惚れた腫れたは分からないけれど、でもこの胸の高鳴りの延長にあるものは、確かに恋だと思う。ただもう一息足りない。今ならまだ前のように当たり障りのない関係に戻れてしまうだろうから。

 フレッドも好きだと思ってくれるなら、それはとても素晴らしいことだ。結婚相手が好き同士なんて理想だ。

 そのための第一歩がこの忘れ物を届ける、そしてデートをする、だと思えばいい。

 でも……。

「ねぇ、マリー。デートって私が誘うのかしら……?」
「え?まぁ、旦那様が誘ってくださるのは想像がつかないですね」
「そんなぁ。恥ずかしいわ!」

 眉を下げたチェルシーに、顎に手を当ててマリーは考える。マリーから見れば、チェルシーに対するときと、その他ではフレッドの反応は違う。
 熱を出してチェルシーが寝込んだときに、屋敷をウロウロして落ち着きがなかった主人を思い出す。大切にされていることは間違いないが、ただ驚くほど不器用だとは思う。しかし使用人の分際でそのことを言及できるはずもなく。

 一番の不安材料だった、チェルシーが愛想を尽かす事態はまだ起きておらず、昨晩はなぜか急に仲が深まったらしいことに、使用人一同ホッとしたものだ。
 だって使用人たちはチェルシーを迎えるにあたり、奔走していたフレッドを知っているのだから。そして迎えたチェルシーはとても素直で愛らしいお嬢さんだった。

 夫を亡くして塞ぎがちだったサマンサも、彼女が嫁いできて本当に元気になった。屋敷に明かりが灯るように、急にパッと明るくなったのだ。そんな望んで迎え入れた嫁に対し、冷たい態度のフレッドの気持ちは知れないけれど、離れてほしいと思っているはずもないので、この件でさらに仲良くなってもらえたらと思っている。

「奥様が可愛く、おねだりすれば旦那様は喜んでデートしてくださると思いますわ」
 だからマリーは自信満々にそう答えたのだが、チェルシーは訝し気に彼女を見ている。
「勝算は……?」
「100パーセント」
「0でも嫌だけど、逆に怪しい!」
「本音を言ったまでです。ほら着きましたよ」

 ひゃあ、と情けない声を上げるチェルシーを背に、マリーは馬車のドアを開けて手を差し伸べた。
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