可愛すぎてつらい

24.可愛すぎてつらい

 チェルシーとの出会いは今でも色鮮やかに脳裏に焼き付いている。

 フレッドが10歳の誕生日から数日経ったある日、チェルシーとその両親が屋敷を訪れた。彼女の父が爵位を継承したことによる挨拶のためだ。

 初めて会ったチェルシーのあまりの可愛さに絵本で見た妖精と重なった。たぶん一目惚れだったのだろう。

 大人たちは応接室で歓談するために、子供たちは暇だろうとチェルシーと二人、散歩を勧められて庭に出た。いつもと変わらぬ屋敷の庭が、楽しそうなチェルシーと歩くだけで新しい場所に思えた。
 あれこれと興味を惹かれるのかキラキラと瞳を輝かせ、花壇に植えられた花など指差してはフレッドに質問をする。答えてあげると真剣に聞き、理解すると花のように笑う姿に心が掴まれた。

 そのうちに目に付いたものに対する質問も尽きて、チェルシーはフレッドのことを尋ねてきた。そしてチェルシーのことを話してくれた。誕生日、好きな食べ物、嫌いな食べ物。それから好きな歌に好きな本。
 小さいときから口下手であったフレッドは、同じ年頃の子供にはつまらないと言われたりした。それなのにチェルシーは口数の少ないフレッドを気にすることなく、笑顔が絶えなかった。

 楽しい時間はあっという間で。帰り支度を終えたチェルシーが名残惜しそうにフレッドの手を握り締めてきたときには、胸が苦しくなっていた。

「フレッドさまは優しいから大好き。また遊んでくださる?」
 そう言ってくれたチェルシーの手を握り返して、何度も大きく頷いた。その瞬間嬉しそうに破顔した彼女の顔は今でも名残があり、フレッドの一番好きな表情だ。

 チェルシーたちが帰ってから、父と母に彼女にもっと会いたいと頼んだ。普段おねだりをしない大人びた息子の頼みに、両家が友好的なこともあり二つ返事で了承してくれた結果、望みは叶うこととなる。


『チェルシーはずっと僕のお姫様だ』
『大きくなったらお嫁さんにしたい』

 会う回数が増えるようになると、フレッドの口数も増えていく。それだっていつも会うたびにニコニコと寄ってきてくれるチェルシーのおかげだ。
 今となってはなかなか口にできそうもない台詞を、幼さゆえに執着心が隠せず何度もストレートに告げていたし、小さなチェルシーも喜んでくれていた。その頃にはフレッドの想いはランサム家では公然のものとなっていた。

 ある日、チェルシーはフレッドに語った。如何に騎士が素敵かを。

 ウットリ話すその様に嫉妬した。だから騎士に志願したのだ。騎士になればチェルシーに好きになってもらえるかもしれないその一心で。
 しかし入団すると寮に入るため、彼女と会う機会が殆ど無くなってしまう。だから彼女がフレッドの知らぬうちに誰かのものになってしまわぬよう、早々に婚約を申し込んだ。それと同時に可愛いチェルシーに悪い虫がつかぬよう、伯爵家から信頼できる使用人を何人か男爵家へと送らせてもらったのだ。定期的に彼女の様子が報告されることで、会えない寂しさを紛らわせていた。

 ようやくチェルシーとの婚約が成立したときには一人歓喜に震えた。しかしその時に久しぶりに顔を合わせた彼女は、ただ可愛らしいだけの子供ではなくなっていた。成長して美しさを兼ね備えていたが、しかし笑顔と素直な愛らしさは昔のままで、改めてフレッドの心を鷲掴みにしたのである。

 そして念願の結婚。屋敷にチェルシーがいる生活が始まって気付いた。昔のように上手く言葉が出てこないのだ。口下手なフレッドが話してつまらない思いをさせることが怖かった。必要最低限の会話しかできない己を何度も憎んだがどうすることも出来ず。
 チェルシーが可愛すぎて、それを口にすればいいのに喉から出て来なくて、想いを紙に書きなぐったりした。そうすることで言ったつもりになっていたのだ。

 徐々に彼女からの接触が必要最低限となっていたことには気付いていた。元より手放すつもりはないが、自分の傍にいることがチェルシーの笑顔を奪う結果となり罪悪感は募る。

 ——それなのに、ある日突然チェルシーからの歩み寄り。最初は夢でも見ているのかと思った。
 けれどそれは現実で。理性を忘れて貪ったにも関わらず、受け入れてくれたなんて。

 嫌われてはいないのだろうか。もしかしたら自分の想いは報われているのだろうか。

 そう思ってしまったら、こみ上げてきてしまって。護ってあげるべき存在のチェルシーの頭頂部に顔を埋めて何とか耐えようとした。が、目の奥がツンとする感覚に思わず息を吸えば、ズッと鼻が鳴ってしまいチェルシーが身じろいだ。

「フレッド様?どうされました?」

 優しい声が胸元で聞こえる。フレッドのおかしな様子に気づいたのだろう。しかし声を出せば震えてしまいそうで、口を開けては断念して閉ざすことを繰り返す。暫しの沈黙のあと、フフとチェルシーが微笑んだ。

「私、とても幸せです。これから長い間一緒に過ごす旦那様とこうして仲良くなれて」

 そう言われて背中を摩られては、我慢などできるはずもなかった。

 初めてだった。心が揺さぶられて目頭が熱くなるのは。

「フレッド様に飽きられないように頑張りますから、今晩も、これからもこうやって寝てくださいますか?」

 4歳も下の、出会った時にあんなにも幼かった少女は、フレッドよりも小さな身体で包み込んでくれるようだ。情けないけれど、心地いいのも事実で。
 一生手放せないと思っていたが、死んでも来世でも無理だと思った。チェルシーには悪いが諦めて欲しい。

「……飽きるわけがない。一生、死んでもそれはない。チェルシーが飽きても離してやることはできない。チェルシーだけを愛している」

 少しだけ震える声で、なんとかそう告げる。

 ガバッと起き上がったチェルシーに、フレッドは虚を突かれた。ベッドの上で座り込み、フレッドを見下ろすチェルシーの表情は険しい。奥歯を噛みしめているのか口を引き結び、眉間に皺が刻まれている。

 まずいことでも言ってしまっただろうか、戸惑うフレッドに対しポツリとチェルシーは零した。

「……可愛すぎてつらいです」



 完

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