社長、それは忘れて下さい!?

「申し訳ありません。お手洗いに行ってきます」

 早口で告げると、二人の返答もろくに聞かないうちに速足で入り口へ近付き、勢いよく扉を開け、そのまま外に飛び出す。扉が閉まる直前に

「もしかしてホントに秘密の話してたんですか?」

 と旭の声が聞こえたが、龍悟がどんな返答をしたのかまでは聞こえなかった。

 涼花は小走りで化粧室に向かう。龍悟の秘書になってからはあまりだらしない印象や落ち着きのない印象を与えないよう所作にも注意してきたつもりだったが、今はそんな事を気にする余裕さえなかった。

(どうしよう……社長は、何もわかっていない)

 男として振り向いてもらえるよう、どころじゃない。龍悟の存在は、もう涼花の心の奥深いところに根付いている。今も一秒ごとに龍悟の事を好きになっている。

 でもそうじゃない。どんなに想い合ったところで、どんな努力をしたところで、龍悟が涼花との思い出を忘れてしまうのは変えられない事実だ。

 けれどそんな事実を気にした様子もなく、龍悟は涼花との距離を詰めようとしている。それがお互いにとってどんなに苦しくて辛い選択なのか、龍悟なら絶対に分かっているはずなのに。どうして。

 涼花はトイレの個室に駆け込むと、そのまま洋式便座の上にずるずると崩れ落ちた。あんなに考えたはずなのに、出社する前よりむしろ悩みが大きくなってしまった。

 胸が苦しい。心臓が痛い。
 どう説得したらいい? どうやって説明したら、この現実と涼花の覚悟を理解してもらえるのだろう。

 けれどどれだけ時間をかけても、いくら深く考えても、龍悟の考えを読み取ることは出来ない。

 気付けば涼花の視界はまた涙でぼやけて霞んでいた。
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