ファム・ファタール〜宿命の女〜

 リンゴジュースを二、三口飲んで、ふと一息ついた頃、私の正面に座ってグラスを握っていた洗井くんが「今日は来てくれてありがとう」と真剣な表情で言った。
 その表情を見て、早速本題に入ることを悟った私は、ごくりと息を飲んだ。

「あのさ、俺の話を聞いて率直にどう思った?」
「洗井くんが吸血鬼ってことだよね?」
「末裔ね、末裔。ほとんど力は残ってないから」

 私にとってはそこはさして重要ではないのだけれど、洗井くんにとっては違うのか、末裔という点を強調している。
 うん。やっぱり私の聞き間違いでも思い違いでもなかったんだな。
 告白をするぞ、と意気込んだあの日、洗井くんから打ち明けられた秘密を再度確認して、私は今一度しっかりと受け止めた。

「どんな力が残ってるの?」
「一番は治癒能力かな。小さな怪我ならすぐに塞がるよ」

 う、うらやましい。よく躓いて転んで、しょうもない怪我をする私にこそ必要な能力では?と思う。
 あと、身体能力も高めらしい。運動神経いいもんな、と体力テストのときにどよめきが起こったことを思い出す。こりゃあ、体育祭も冬にある球技大会も楽しみだなぁ。
 それ以外は普通の人と特に変わらないようだ。デメリットないじゃん、と口から出そうになったが、私の血を舐めた洗井くんを思い出し、ぐっと口をつぐんだ。あまりにもデリカシーのない一言を言ってしまうところだった。

「あと、やっぱり吸血欲求だね」

 洗井くんが言いづらそうに発言したので、ほんとさっきの一言を言わなくてよかった、と心底安堵した。

「それって、その、……ずっと、あるの?」
「いや、そんな頻繁にはないけど、疲れたときとかかな……」

 聞きたいことは山ほどあるのに、どの質問が洗井くんを傷つけてしまうのか、それが皆目見当もつかないものだから、聞きあぐねていた。
 私が言い淀んでいるのに気づいたのだろう。「なんでも聞いて。大丈夫だよ」と洗井くんが酷く優しい声で私を安心させる。こんな時まで優しいなんて。私は洗井くんを抱きしめたくて仕方なかった。……母性ってやつか?これが。

「えっと、じゃあ。今まで血を吸ったことはあるの?」

 聞きたくて仕方なかったことだ。私の直球な質問に、洗井くんは真摯に答えてくれる。

「今までは自分の血を吸ってたんだ。指先を少し切って。傷はすぐ治るからさ」

 そう言って私に見せるように差し出された左手の人差し指は、確かに傷など一つもなかった。

「誰かの血を吸いたいと思ったのは、あの日が初めてで。たぶん、俺が16歳になったからだと思う」

 実はあの日、俺の誕生日だったんだ。と言った洗井くんに対して「そうだったんだぁ」とさも今知りました風に返したが、そんなことはとっくに知っていた。好きな人の誕生日なんて、いの一番に調べる情報である。
 なんなら、だからあの日に告白しようと思ったんだからね。

「それまでになんとなく前兆はあったんだけどね。誕生日当日は経験したことがないほどの他人、特に女の子への吸血欲求がすごくて……」
「へぇ?なんで16歳?」
「吸血鬼として子供を作れる年齢だから」

 今洗井くんはさらりと言ってのけたが、とてつもない発言を聞かされたことに気づき、私の顔が赤く染まっていく。それってつまり、私に欲情してくれたってこと?……正確には私の血か?

 ふと、あの日亜美ちゃんが言った言葉を思い出す。

"洗井くん、いつもと雰囲気違ったよね?"

 亜美ちゃんはきっと洗井くんの変化に気づいたんだな。なんだか妬けてしまう。そんな私の狭い心に嫌気がさす。

 洗井くんは、話し始めてからも握りっぱなしだったグラスを持ち上げ、リンゴジュースを口に含んだ。そして私の様子をうかがう様に、ちらりとこちらに視線を寄越す。不安げに揺れる瞳が新鮮で、この瞬間だけは洗井くんを独占できているようで、私は妙な優越感を覚えた。

「で、ど、どう思った?」

 ハキハキと話す普段の洗井くんからは想像できないような、戸惑いに満ちた声。
 私はとんだ変態女かもしれない。低めのハスキーな声が情けなく震えることに、目眩がするほどの悦びを感じるなんて。誰にも言わずに抱えていくべき秘密を打ち明けられること、それがこんなに気持ちがいいなんて、私は知らなかった。

「まぁ、個性?みたいな?」

 私は努めて明るく答えた。だって、私の仄暗い独占欲が洗井くんに伝わってしまうことは、避けたかった。
 私の答えを聞いた洗井くんは、きょとん、とした顔で時を止める。そして意味を理解して「あはは」と大きな口を開けて笑った。まぁるく開いた口から見える、真っ白な歯。吸血鬼の歯って、もっと尖ってるもんだと思ってた。

「ほんと意味わからん。吸血欲求が個性なんて聞いたことないわ」
 
 砕けた口調が、私たちの距離が縮まったことを表しているようで、嬉しい。

「だって、私も洗井くんの首筋見てると、噛みつきたいーって思うよ?」

 あ、待って、問題発言。しかし、口に出してしまった言葉は取り消せない。だけど焦っている私と違い、洗井くんは意にも介していないようで、考え込むように顎先を指で触っている。
 これじゃあ、照れてる私が馬鹿みたいだ。洗井くんが私のことを恋愛対象として意識していないことがありありと伝わってくるその態度に、ぐさりと傷つく。
 まぁ、そんなことわかってたけどさ。

「……でも肉を噛みちぎりたいとまでは思わないでしょ?俺は血を舐めたいんじゃない。血を飲みたいんだよ。血を飲んで、その人の全てを俺のものにしたいんだ」

 洗井くんの口からこぼれたその過激な発言に、私の体温が上昇していく。血って、そんな気持ちで飲む物なの?
 それはまさに、私が洗井くんに対して抱く、独占欲そのものではないか。血を飲むこと、それは対象者へのただ純粋な独占欲。支配欲。
 あの時、洗井くんは私に対してもそんな感情を持ってくれていたの?知りたい。もしそうなら、そんな嬉しいことってあるだろうか。

「やっぱり、そういうのって気持ち悪くない?」

 洗井くんの表情は自分自身を嫌悪しているように歪んでいる。血を舐められた私より、自分の欲求を抑えきれずに舐めてしまった洗井くんの方が悩んでいたのかもしれない。
 今さらそんなことに気づき、デートだと浮かれていた自分をぶん殴りたくなった。洗井くん、きっと苦しくて不安だったろうな。
 だけど、安心してほしい。気持ち悪いだなんて、そんなこと、一度だって、1ミリだって思ったことなどないのだ。
 私は否定の意味を込めて力強く首を横に振る。

「他の人にされたら、怖いって思うかもだけど。私、洗井くんのこと好きだから。洗井くんのこと理解したいし、受け止められることは全部受け止めたい。だから、吸血欲求も個性として受け止めてる。……だめ?」

 どうか一人で抱え込まないでほしい。他の誰でもない、私に受け止めさせてほしい。
 私の答えを聞いて、洗井くんはやっと肩の力を抜いて微笑んでくれた。「ありがとう」と呟かれた言葉に嬉しさと安堵が含まれているのは、私の勘違いではないだろう。

 ん?て、待って。私、今、洗井くんに好きって言ったよね!?
 洗井くんもこの前の呼び出しで、私の気持ちには薄々気づいているとは思う。だけど、明確な言葉をサラッと言ってしまうことになるとは……。でも、洗井くんも聞き流してるかもしれないしなぁ。あんまり気にするのもよくないな。

「てか、明石さんて俺のこと好きだったんだね」

 ぴしり。これは私の身体が固まった音だ。
 そ、そこは、聞き流してよ!私の身体は羞恥に震えだす。もう、こうなれば自棄である。

「そうだよ!悪い?」

 開き直った私を見て、洗井くんは目に涙を溜めるほどの大笑いをしだした。
 最初は、そんなに笑うことないじゃん、と拗ねていた私も、笑い続ける洗井くんにつられてついに吹き出してしまう。
 何が面白いのか、二人で泣くほど笑ったあと、落ち着きを取り戻した洗井くんが涙を指でぬぐいながら「じゃあ、付き合う?」とさらりと言ってのけたのだ。
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