ファム・ファタール〜宿命の女〜

 なんとか10時までには上がってこれた。私はベッドにダイブして、洗井くんからの連絡を待った。
 10時を少し過ぎた頃、メッセージアプリに『今から電話する』と用件だけを伝えるメッセージがきた。私が『オッケー』と返せば、既読マークがついたとほぼ同時にスマホに着信があった。

「はいっ」
「出るの早いね」
「だって楽しみに待ってたんだもん」

 中身がない、薄っぺらい話で笑い合えることが幸せだった。今日の晩ご飯は何を食べた、昨日見た夢の話がどうだった、観たかったテレビの時間を忘れてた。
 洗井くんの新たな一面を知れることが嬉しかった。コーヒーが飲めないんだって。寝るときは枕を抱きしめながら寝るんだって。実は両利きなんだって。
 
「そういや、昨日会った、森脇くんだっけ?今日来てたの?」

 別れ際に、礼人が「晩ご飯食べに行くから」と言っていたことを思い出したのだろう。「うん、9時ぐらいに帰らせた」と言えば「いつから友達なの?」と洗井くん。

「幼稚園からだよー」
「すっげぇ。俺、そんな幼馴染いないからうらやましいわ」
「あれ?亜美ちゃんは?」
「ん?あみちゃん……あぁ、服部か」

 洗井くんが女の子を呼び捨てにすることは珍しい。珍しいというか、亜美ちゃんだけだ。その特別感がうらやましい。……やだな、大好きな亜美ちゃんに嫉妬しちゃうなんて。自己嫌悪だ。

「たしかに幼稚園から知ってるけど、そんな仲良くないしなぁ」

 それを聞いてホッとしてしまうなんて、最低な気持ちになる。だけど、私が男なら絶対に亜美ちゃんと付き合いたいと思うほどに魅力的なのだ。秘密の嫉妬ぐらい許してほしいのが本音である。

「そっかぁ。ま、礼人が人懐っこいからね」

 距離を置こうとしても絶対に逃げ切れない自信がある。私はひたすらに絡んでくる礼人を想像して、くすりと笑みをこぼした。
 「明石さんも人懐っこいよ」と洗井くんが優しく告げる。え、そうかな?洗井くんにそう言われるとすごく嬉しい。だけど、私はまだ"明石さん"かぁ……。
 別に呼び方なんてなんでもいいんだけどさ。……なんて、嘘、強がり。私は洗井くんの特別枠、ぜーんぶ欲しいと思うほど欲張りなのだ。

「ね、洗井くん。明石さんってそろそろやめない?」
「……うん。美琴……とか?」

 声音から洗井くんの緊張が伝わってきて、私までさらに緊張してしまう。

「うん。嬉しい……」
「俺も、洗井くんはやだな」
「じゃ、じゃあ。竜生、くん」

 うん。なんだかしっくりきて、たった呼び方一つ変わっただけなのに、心の距離がぐっと縮まった気がする。

「……照れるわ。だけどいいね。み、こととの距離が縮まった気がする。昨日までよりずっと」

 一緒だ。一緒の気持ちだ。同じことを感じられるのって、なんて幸せ。このまま幸せがずっと続いてほしい。

「あ、そういえば、体調どう?貧血とかない?」

 貧血になるぐらい大量には吸ってないけど、と竜生くんは付け足した。

「私は平気だよ!なんならめっちゃ元気!竜生くんは?この前、頭痛いって言ってなかった?」
「そうそう。昨日もちょっと頭痛かったんだけど、今朝には治ってた」

 そうなんだ。頭痛は心配だけど、一時的なものなら良かった。吸血行為には副作用みたいなものがあるのかな?なんせ知らないことだらけだけど、他人の血を体内に取り入れるのだ。軽い頭痛ぐらいなら起こってもおかしくない気がする。
 私の血が、竜生くんの体の中に入っているのか。今さらながらそう認識して、なんとも言い表せられない快感が私の身体を支配する。
 これは優越感の一種なのだろうか。竜生くんの中に私が存在している。それは比喩的な表現ではなく、純然たる事実である。

「今すぐにでも会いたいんだよなぁ」

 切なげな声に意識が引き戻された。「私も会いたいよ」とこれは恋心だ。竜生くんのは恋心ではなく、吸血欲求を満たすための、いわば性欲からくるものだろうか。
 そもそも吸血欲求って性欲なのかな?あの逆らえない快感と、竜生くんの恍惚とした表情から勝手に性欲に結びつけてたけど、食欲に近いのだろうか?まぁどっちにしろ、私と同じ恋心ではないことは確かだ。
 そう思うと気持ちが少し沈むのだけど、いずれ好きになってもらえたらいいから。……いずれ?そんな日が本当にくるのかな……?

「な、来週の日曜、予定なかったら会おう」

 竜生くんのその一言で、また天にも昇る心地になって頑張れちゃうんだから、我ながら単純である。
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