ファム・ファタール〜宿命の女〜

 結局洗井くんの笑顔にやられてなにも借りずに帰った愚か者は私です。
 こんな日には宿題なんてやってらんなーい、と私は名ばかりの勉強机に突っ伏した。せっかくおすすめしてもらったのに……。そう思うと落ち込むが、でもあの笑顔は反則だ。あんなのときめくなって方が無理だ。あのままあそこに居れば、好きだと勢いで口走ってしまったかもしれなかった。だから急いで図書室を後にしたのだけれど。
 でもほんとにかっこよかったな。私だけに向けてくれた洗井くんの笑顔を思い返しては、頬がだらしなく緩んでいくのを感じていた。

「入るよー」

 と、言ったのが先か足を踏み入れたのが先か。私の返事を聞いていないどころか、ノックすらせずに部屋に上がり込んできたのは幼馴染の森脇礼人だった。

「えー。私まだなんも言ってないんだけど」

 不満げに膨らませた私の頬を片手で挟み込んだ礼人は、その手に軽く力を入れながら「ごめーん」と謝った。台詞と態度が一致してなさすぎる。

「それほんとに悪いと思ってない」
「ばれたか」

 にやりと口角を上げた礼人は無遠慮に私のベッドに横になった。ちょっと!いくら家族みたいなものだといってもお互いもう高校生なのだ。異性のベッドに寝るのはいかがなものかと思いますけどねぇ。

「もう……で、どうしたの?」

 昔からなんだか頼りなく感じる礼人といると、私はついつい姉のような態度で接してしまう。いつまでも手のかかる困った弟のような礼人に、私は話を促した。

「いやぁ。美琴のクラスの千原さん?だっけ?どんな子?と思って?」

 はっきりとしない、はてなマークばかりが浮かびあがるその喋り方!私は礼人の話を聞きながら脱力をした。

「えー?千原さん?なに、なんで千原さん?」
「えぇ?あははー。うーん。ねぇ?」

 ねぇ?じゃない。はっきりしなよ!私はじとりと礼人を睨む。私がイラつき始めたことに気づいたのだろう。礼人は慌てたように姿勢を正し、先ほどまでとは打って変わって、ハキハキとした口調で話し始めた。

「告白されたんだよ。返事は私を知ってからって押し切られて。だからどんな子かなぁ?と思って」

 それならわざわざ今私に聞きにくることないじゃん。礼人がこれから千原さんと関わりながら、直接知っていけばいい話だ。私の主観で千原さんの人格について語って、変なバイアスをかけたくない。千原さんにも失礼な話だ。

「やだよ。そんなん自分で知っていきなよ」

 思ったままを口にすれば、礼人は「そう言うと思ったけど」とぽつりとこぼした。ならなんで来た?ますます分からない。
 礼人は見た目は無駄にいいのだ。無駄に。ここは切に強調させてほしい。その無駄に良い見た目のせいで最初はモテる。だけどこのはっきりしない性格を知ると、大抵の女の子は愛想を尽かすのだ。「礼人くんって本当に私のこと好きなの?」そう言って振られた回数を私はもう数えていない。
 良く言えば博愛で平和主義。ただ礼人の本質は揉め事を嫌う事なかれ主義だ。いや、優しいんだけどね。その優しさは本物かって話なんだよ。結局自分のあずかり知らぬところで女の子を傷つけてるんだから、本末転倒だ。いや、自分の言動なんだから、あずかり知れよ!って話なんだけど。

「どうせまた付き合って、礼人くんの考えてることよくわかんなーい、って揉めて、結局礼人が振られるね」

 私がびしりと未来を予言すれば、礼人は「いや、怖いわ」と顔を引き攣らせた。だって本当のことだ。

「もう高校生になったんだし、次は本当に好きな子と付き合えば?」

 私は呆れながらそう告げた。なんか気持ちが冷めたので宿題に取り掛かれそうだ。そこだけは礼人に感謝してあげよう。私は気持ちを切り替えるように礼人に背を向け、勉強机に向き直った。
 「本当に好きな子ねぇ」と呟いた礼人の沈んだ声が私の背中に落とされる。私はなにも今すぐ本当に好きな子を作れ、と言っているわけではない。好きかどうかよく分からない子と軽々しく付き合うことをやめなよ、と言っているのだ。

「そういう美琴はできたの?本当に好きな子」
「えっっ!!?」
 
 突然投げつけられた爆弾に反応を取り繕うことができなかった。これでは「好きな子がいます」と言っているようなものだ。「さぁ?どうだろうねぇ?」と言って誤魔化そうとしたが、礼人は私の小さな抵抗を気にも止めずニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる。

「俺わかるんだよねぇ。洗井竜生だろ?クラスの女子も噂してたよぉ。かっこよくて、優しくて、真面目で、紳士的で言うことなしって!」

 いや、まぁ、その通りなんだけど。素直に認めることはとても癪だ。私は「あぁ、洗井くんね、モテるみたいだね」とさらりと流した。あはははー、とあからさまな愛想笑いにもなっていない声を発し、再度勉強机に向き合う。

「美琴好きそうだよね。ああいうタイプ。俺とは正反対ね」

 なにもそこまで自分のことを卑下しなくても。少し言い過ぎたかな?と心配になり、礼人の顔を見れば当の本人は私の気持ちなどつゆ知らず、「お、この漫画の続き読みたかったんだよねぇ」と言いながら私の本棚を漁り始めた。……いや、ほんとに帰れ。
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