ファム・ファタール〜宿命の女〜

 私と礼人は一旦家に自転車を取りに帰り、広幡駅を目指している。広幡駅とは竜生くんちの最寄り駅であった。



 あまりの剣幕に「なにがあったの?」とは聞けなかった。「わかった」とだけ返事をして電話を切った私の様子に、礼人が「どうした?」と怪訝な表情を向ける。

「わかんない。とりあえず広幡駅に来てほしいって」
「……今から?もう8時30分だぞ?」

 わかってる。だけどあの竜生くんの様子は普通じゃなかった。

「俺も一緒に行くから」

 礼人は呆然としている私の背中を押し「とりあえず自転車取りに帰ろー」と小走りで家に向かわせた。



 指定された駅に着いて辺りを見回すが、竜生くんの姿は見当たらなかった。「電話してみなよ」と礼人に言われて電話の存在を思い出す。自分が思っているよりもずっと心はいっぱいいっぱいのようだ。
 私が電話をかけると竜生くんは待っていたかのようにすぐに出た。

「今着いたよ、どこ?」
『ごめん、高架下の公園わかる?そこのベンチに座ってる』
『ほんとに美琴のこと呼んだの……!?』

 竜生くんの後ろで微かに聞こえた声にどきりとした。それは私の耳に馴染んだ聞き覚えのある声だった。

「高架下の公園にいるらしい」

 発した声が震える。膝から崩れ落ちてしまいそうな緊張感に体も震えてきた。

「美琴……。大丈夫、俺がついてるから」

 礼人は私の震える肩をさすりながら、優しくゆっくりと言葉を紡いだ。うん、大丈夫。私は自分に言い聞かせるように心の中で繰り返した。


 高架下の公園に着くと、ベンチには街灯に照らされた影が2つ。やっぱりさっきの声は聞き間違いじゃなかったらしい。

「竜生くん、亜美ちゃん……」

 私が名前を呼ぶと弾かれたように2人は振り返った。私の顔を見て安心したように竜生くんの顔が綻ぶ。そしてそのすぐ後ろの礼人を捉え、顔を強張らせた。

「……森脇くんも来たんだ」
「はぁ、すいませんねー。こんな時間に一人で行かせらんないでしょ」

 態度の悪い礼人に「そうだよな。ありがとう」と竜生くんは笑顔を見せた。

「ごめん、美琴……。いいって言ったんだけど」

 申し訳無さそうに眉を下げた亜美ちゃんをよく見れば、制服が汚れたり、スカートの下に穿いたタイツが破れたり、そしてそこから血が出ていたりとボロボロだった。

「亜美ちゃん!大丈夫!?」

 私は咄嗟に駆け寄って正面に回った。

「ちょっと、森脇くん、こっちに来てもらってもいい?」

 竜生くんは礼人を私たちから離すように少し遠くの場所を指差した。なんとなく状況を察した礼人はそれに素直に従い、竜生くんの後ろをついて行った。



「亜美ちゃん、どうしたの……?酷い怪我してる」

 私は出てきそうになる涙を堪えながら、亜美ちゃんを抱きしめた。亜美ちゃんは些細なことなのよ、とでも言うふうに事の顛末を軽く話し始める。

 
 亜美ちゃんと同じ塾に通う他校の男子生徒に夏頃告白をされたことが、始まりだったらしい。その時に断ったものの、その男子は諦めきれずに亜美ちゃんにアプローチを続けた。最初はやんわりと断っていた亜美ちゃんだが、終わりが見えないアプローチに「本当に無理なので!もう話しかけてこないで!」とキツく断ったことが契機となり、好意は憎悪に変わっていった。
 塾で「あいつはビッチだ」などとないことないこと言いふらされ、挙げ句の果てには付き纏い行為までしてきたのだ。
 そして今日、広幡駅の改札を抜けて階段を降りるとその男子が待ち伏せをしていたらしかった。
もう立派なストーカーじゃん、と思う。それと同時に今まで亜美ちゃんの苦しみに気づけなかった私自身を憎んだ。亜美ちゃんに助けてもらってばっかりで、私はなにもしてあげられてない。

「で、その、襲われそうになったの……」

 亜美ちゃんは言いにくそうに告げた。

「そこにたまたま通りかかった洗井くんが助けてくれて……」

 そして私が呼び出されたということだった。私は亜美ちゃんを抱きしめ「ごめんね」と繰り返した。「なんで美琴が謝るのよ」と亜美ちゃんは笑うけれど、私は助けになれなかった自分自身をただ許してほしいだけなのかな。

「気づかなくてごめんね」
「ううん。来てくれてありがとうね。美琴がいてくれて、すごく心強いよ」

 この後に及んで私が亜美ちゃんに救われているなんて。


 「親には知らせなくていいのー?」と俺が聞けば、洗井竜生は「服部がどうしても嫌だって」と答えた。ふーん。まぁ、色々あるんだろう。
 洗井竜生は、服部さんを抱きしめる美琴を見て「巻き込んで悪かったな」と謝罪の言葉を口にした。もしかして俺に言ってんのか?

「いやー、たまたま一緒にいただけだからー」

 と言わなくていいことを告げたのは、俺のしょうもないプライドからだった。俺の言葉を聞いた洗井竜生はなんとも言えない表情をして、「そうか」とだけ返した。

「……美琴のことはもういいのか?」

 唐突に投げかけられた話題にイラッとする。は?もういいのかってそれはつまり、「美琴のことは諦めたのか?俺はもう別れるんだからもう一度頑張ってみたらどうだ?」ってことか?こいつどんな神経でそんなことを言ってるんだ?

「っはぁー?んなことお前に関係ないからー。そっちこそ美琴と別れるんだろ?」

 売り言葉に買い言葉だった。いや、洗井竜生は売っているつもりはないのだろう。思っていたよりもずっと無意識に失礼な奴だ。

「……美琴がそう言ってた?」

 とぽつりとこぼした言葉に真剣に答えることはなんだか癪だった。「さぁ?」とはぐらかせば「美琴のことよろしく頼むよ」だなんて曖昧に微笑むものだから、こいつまじかよ、と俺のイライラは頂点に達した。

「まじで腹立つな、お前。んなことお前に言われなくてもわかってるんでー」

 こいつとはまじで合わない。俺はそう確信して煽る口調でそう言い切った。
 ほんとなんなんだろ。その顔は、冷め切ってもう見切りをつけた女に向けるものではないだろう?お前の方が俺よりよっぽど美琴への感情を捨てきれていないのではないか。だけどそれなら、こいつが美琴と別れようと思う理由はなんなんだろう。
 「なんで別れようとしてんの?」と聞こうとしてすんでのところでそれを止める。聞いて何になるというのだ。聞いたところで俺には彼女がいるので、今さら美琴に手を差し伸べることなどできない。そもそも美琴自身がそれを望んでいないだろう。
 そんなこと考えも至らずに軽々しく「よろしく頼むよ」だなんて。寝言は寝て言え、のお手本だな。
 
「運命の相手って信じる?」

 まじでなんなの、こいつ。美琴の趣味も大概わかんねー。これなら俺の方が幾分かマシだろうと思う。

「は?お前はどうなんだよ」

 訳の分からない面倒な質問には答えず、俺は洗井竜生に聞き返した。正直全くと言っていいほど興味はないが、俺が答えたくなかったので仕方なく、だ。

「いるんだよ、運命の相手が。美琴じゃなかった」

 は?なんだ、ただの心変わりか。しょーもな。

「だろーね。美琴の運命の相手は俺だからなぁ」

 そう答えたのは、洗井竜生にこの上なく腹が立ったからだ。本当にそう思っているわけではない。

「ふっ……。かもなー。俺が運命の相手ならよかったのに……」

 ……もう反応をするのもしんどくなってきた。ヘタレヘタレと美琴に言われてきた俺よりウジウジしてるじゃねぇかよ、こいつ。

「で?お前にとって美琴はなんなわけ?もう好きじゃないなら、早く別れたら?」

 俺は最後に捲し立てた。もうこれ以上お前とは話したくない、という意思を込めた。

「美琴は俺の『宿命の女』だよ」

 訳の分からない単語を言い切った洗井竜生はそのまま俯く。まじで嫌いだわー、と俺は空を仰いだ。



 どうやら美琴たちの話が終わったようだ。「お前、服部さんのこと送ってやれよ」と何も発言しなくなった洗井竜生にそう言って、俺は美琴へと歩き出した。洗井竜生は「ああ」とだけ答えてまた俯いた。……暗っ!!
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