瑠璃色の街

第14話、『 アズ・タイム・ゴーズ・バイ 』

 幸二は、迷っていた。
 自分の過去を、打ち明けるべきか、否か……

 やっと見えるようになった自分の目を、本気で突こうとした、あゆみ。
 その実直な勇気に、自分としても答えなくてはならない。
 いや、2人の間に、隠し事が存在する事自体が罪である。
 幸二は、そう思っていた。

( だが、事実を言ったら、あゆみちゃんは、傷付くだろうな…… )

 たとえ、許されたとしても、そんな過去があった人物だったのかと驚く事だろう。 それは、自分に対するあゆみの愛情が、変化する要因にもなりかねない。 何せ、純真な子である。 犯罪とは、縁も所縁も無い環境で生活をして来た子だ。 その心痛は、察し余ると思われる。

( このまま、黙っていた方が良いのだろうか? )

 それが出来るのであれば、そうしていたであろう。 しかし、元来、正直な幸二の性格が、それを許さなかった。
 今や、幸二の心の、そのほとんどを占める、あゆみの存在。
 掛け替えの無い愛しい人だからこそ、尚更、その想いは強くなって行った……

「 見て、幸二さん! ほら、遠くの山が、あんなにキレイ! 街も、おもちゃみたい! 」
 以前に行った公園の高台から街を見下ろしたあゆみが、幸二に言った。
「 ホントだ。 やっぱり、ここからの眺めは最高だね 」
 少し遅れて坂道を上がって来た幸二も、街を見下ろし、答える。
 あゆみが言った。
「 せっかくの日曜なのに、ごめんなさいね、幸二さん。 私、どうしても、もう1度、ここから幸二さんと、瑠璃の街を眺めたかったの 」
 幸二は、笑いながら答えた。
「 ははは。 構わないよ。 どうせアパートにいても、やるコト無いし、遠出するお金も無いしね。 …僕の方こそ、ゴメン。 どこか洒落た店で御馳走してあげれたら良いんだけど、そんなトコ、知らないし 」
 あゆみは、幸二の腕に掴まりながら答えた。
「 私、そんな格式張った所で、お食事なんかしたくないわ 」

『 2人きりであれば、いい 』

 そんな表情で、幸二を見つめる、あゆみ。
 いじらしくもある、あゆみの表情に、幸二は無量の喜びを感じていた。

( 人を好きになるという事は、こんなにも素晴らしい事だったのか )

 幸二は、満足だった。
 幸二の方こそ、あゆみさえいれば、あとは何も要らなかった。
 天使のような、あゆみ……
 眩しくて見ていられないような… そんなあゆみの存在が、
 幸二には、たまらなく嬉しかった。

「 サンドイッチを作って来たから、食べようよ! 」
 あゆみは以前、ここに来た時に座った同じベンチに腰を下ろし、持って来たバスケットを開けながら、幸二に言った。
「 嬉しいなあ…! まさか、この歳になってデートが出来るなんて夢にも思わなかったよ 」
 幸二の言葉に、少し照れながら笑い、あゆみは答えた。
「 私の方こそ…… 好きな人と、こうしてお弁当を食べるの、夢だったの…! 夢を叶えてくれて有難うね、幸二さん 」
 あゆみの横に座り、渡されたサンドイッチを口にする幸二。
 それを見計らい、あゆみは持っていたポーチからスマートフォンを出し、音楽サイトを検索し出した。
 幸二は、サンドイッチをほうばりながら聞いた。
「 BGMかい? 」
 端末の画面を操作しながら、あゆみは言った。
「 …幸二さん、センターの作業場に、テープを残してくれたでしょ? あれから私、毎日、あのテープを聴いたの。 他にもジャズのCDを買って来て、随分、勉強したのよ? 『 アズ・タイム・ゴーズ・バイ 』に、ラインを入れてくれたでしょ? その返事が、この曲。 …幸二さんになら、分かるわ 」
 プレイボタンを押す、あゆみ。
 端末のスピーカーからは、バラードが聴こえて来た。
「 …… 」
 無言で聴き入る、幸二。
 あゆみは、幸二の腕に掴まり、その日焼けした腕に、そっと寄り添った。
 幸二が答えた。
「 バット・ビューティフル…… 」
 あゆみが、幸二を見上げながら言う。
「 正解 」
 幸二は言った。
「 48年… だったかな? 映画『 Road To Rio 』の挿入歌だ。 いいバラードだね 」
「 詩は、分かります? 」
 悪戯そうな表情で、幸二を見上げながら尋ねる、あゆみ。
「 …良い事もあれば、悪い事もある… 恋とは、そういうものだ…… と、言う内容じゃなかったけ? 」
 幸二の答えに、あゆみは、嬉しそうに言った。
「 だぁ~い正~解っ! 」
「 バット・ビューティフル、か…… 」
 あゆみが、この曲を選んだ理由は、何であろうか。
 そして、その意味は……?
 
 幸二は、しばらく、無言で曲を聴き入っていた。

 あゆみが言った。
「 …幸二さん、私に話したくない、何かが、あるみたい…… でも、いいんです、何も話さなくても。 いつも、側にいてくれたら… それで私は、幸せなんです 」
「 あゆみちゃん…… 」
 幸二は、あゆみの目を見つめた。
「 ……ダメっ! 今、無理に、何か言おうとしてるでしょ? 」
「 …… 」
「 たとえ幸二さんが、昔、お尋ね者でも、政府に雇われていた秘密結社の一員でも、私は、いいんです。 今の幸二さんが好きなんだし、幸二さんの優しいところが好きなんだから……! 」
「 何だい? その… 秘密結社って 」
「 よく分かりませんけど… ドラマなんかで、そんな設定ありません? 」
 屈託無く、笑って答える、あゆみ。

 幸二は、少し、救われたような気持ちになった。

( 時期が来たら…… 必要であれば、話そう。 今の状態を、無理に変える必要は無いんだ )
 幸二は、そう思った。
 だが、いつかは、全てを話す時が来る事だろう。
 その時、この幸せな関係は、破綻をきたすのだろうか?
 いや、それより、あゆみの心が傷付くのではないか……
 幸二は、そちらの方が心配だった。


 その後、あゆみは、幸二のアパートに頻繁に訪れるようになった。
 現場も、あゆみの職場のすぐ隣である。

 幸二にとって、天使のような、あゆみの存在・・・

 現場で、ふと、福祉施設の方に目をやると、窓からこちらを見ている、あゆみの姿が確認出来る事が、度々あった。 辛い作業も、あゆみの姿を見ると、何とも感じなくなる。 携帯メールは、朝と夜の2回、毎日、必ず入った。

( あゆみちゃんは、俺の太陽だ )

 幸二は、俄然と張り切って、毎日の仕事に精を出した。
 ひたむきな、あゆみの愛情を受けながら……

 あの時と同じだ。
 初めて、あゆみの手を引き、公園を散策した、あの日
 嬉しそうな、あゆみの笑顔。
 輝く髪、眩しい白いシャツ……

 今も、変わらぬ笑顔が、幸二の手にはある。
 やわらかな手、幸二を呼ぶ声、嬉しそうな笑顔……
 幸二は、幸せの絶頂にいた。

 登り切った坂は、下るしかない……
 そんな時は、来るのだろうか? いや、そんな陰や要素は、微塵も無い。
 幸二の毎日は、夢のような毎日だった。


「 幸二さんって… 時々、遠くを見ているような目で、何か考えるのね 」
 今日も、幸二のアパートに来ていたあゆみが言った。
 そんな時の幸二は、決まって『 あの事 』を考えていた。

 あゆみに言えない、過去の自分・・・

「 そうかい? 」
 幸二は、答えた。
「 何か… 寂しそう 」
「 …… 」
 無言で、あゆみを引き寄せる幸二。
 幸二の胸に寄り添いながら、あゆみは言った。
「 急に、どこかへ行ってしまいそうで…… 私、怖い 」
「 心配するなよ。 ちょっと、考え事してただけだよ 」
 あゆみの頭を優しく撫でながら、幸二は答えた。
 あゆみが、幸二の背中に手を回し、更にきつく、抱き付く。 幸二も、あゆみを抱き締めた。 安心したように、幸二の胸の中でまどろむ、あゆみ。 ミニコンポのデッキからは、『 アズ・タイム・ゴーズ・バイ 』が掛かっていた。

 幸二が言った。
「 ……あゆみちゃん 」

「 なあに? 幸二さん 」
「 僕、キミに、言っておかなければならない事があるんだ 」
「 …… 」
 幸二の胸から顔を上げ、あゆみは、幸二の顔を見上げた。
 幸二は続ける。
「 大好きな君に… 隠し事があるのは、イヤなんだ 」
 あゆみの目を見て言う、幸二。
 あゆみは、無言でいた。
「 僕は昔、人には言えないような、恥ずかしい事をいっぱいして来た… それを、仕事にしていた事だってある。 僕はね… 」
「 …いいのッ! 」
 幸二の言葉を制す、あゆみ。
「 幸二さん… それを私に、言うか、言うまいかで悩んでる。 言い難い事なら、言わなくてもいいのっ! 」
「 でも、僕としては、隠し事はしたくないんだ 」
「 幸二さんには…… 隠し事なんて無いわ。 今だって、ずっと前からからだって、それを私に、言おうとしている。 それは、隠し事、って言わないのよ? 私は、今の幸二さんが好きなの。 過去なんて、関係無いの 」
「 でも… 」
「 バット・ビューティフルよ……! 」
 あゆみは、そう言うと、再び、幸二の胸に顔を埋めた。
( あゆみちゃん……! )
 あゆみは、続けた。
「 私が好きなのは、今の幸二さん。 優しくて、いつも私の事を気にかけてくれて… そんな幸二さんと、出逢えた事に… この街に、感謝してる 」

 良い事もあれば、悪い事もある……

 バット・ビューティフルの歌詞は、そんな内容だ。
 恋とは、そう言うものだ、とも……

 あゆみは、幸二の腕の中で言った。
「 昔の幸二さんなんか、知りたくない。 私には、必要ないもの 」
 少し微笑み、瞳を閉じながら、あゆみは続けた。
「 私が欲しいのは、現在の幸二さん。 こうして… 安心して、まどろんでいられる大きな胸と、私を抱き締めてくれる、日焼けした太い腕なの……! 」
 幸二は言った。
「 …分かったよ。 もう、言わない。 考えるのもヤメるよ……! 」
 あゆみを、強く抱き締める幸二。
「 嬉しい! 幸二さん……! 」
 幸二は、あゆみにキスをした。
 そのまま、お互いの暗黙の了解を交わし、幸二は、あゆみを抱いた。

 ……天使のような、あゆみ。
 その美しい肢体を抱き、幸二は、あゆみと1つの体になった。

 めくるめく、甘美の世界……
 あゆみもまた、幸二の全てを受け入れていた。 時の過ぎ行くままに……
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