魔力を失った少女は婚約者から逃亡する
「あと、お兄様。一つ、お願いがあるのですが」

「なんだ?」

 少し言いにくそうに口をもごもごさせてから、レインは言葉を続ける。
「これをトラヴィス様に。私が作った回復薬です。トラヴィス様のお口に合うように、普通の回復薬と味をかえてみました」
 というのも、トラヴィスは回復薬全般を「甘すぎる」と言って飲んでいた。彼は甘いものが苦手なのだ。だから、その甘味を少し抑えたものをと思い、作ってみた。魔力回復薬は試すことはできないが、体力回復薬ならレインでも飲んでその効果を試すことができる。だから、体力回復薬を作ってみた。

「わかった。必ずトラヴィスに渡す」

「お兄様。トラヴィス様は、その、お元気ですか? トラヴィス様は、すぐに仕事を溜めてしまわれるので、それが少し心配なのですが」

「ああ、元気だ。仕事は、そうだな、お前の言う通りだ」
 そこでライトは苦笑する。
「だが、今はドニエルがそれを手伝っているらしい」

「まあ、ドニエル様が。それはよかったですね」
 レインのそれは、心の底からそう思ったのかどうかはわからないような、微妙な笑顔だった。
「あの」
 とレインはまだ何か言いたそうだったが、その続きの言葉がなかなか出てこない。
 言いたくないこと、言えないことは無理して口にする必要は無い、その時がきたらでいい、とライトが伝えたら、目尻を下げて笑った。それは、多分、泣きたいのを我慢しているからだ。

「お兄様、お気をつけて」
 すっとレインが前に出て、ライトの背中に手を回した。ライトは彼女の背に自分の手を回したくなることを、ぐっと堪えた。それは、彼女は大事な妹だから、と自分に言い聞かせる。妹が離れるのを待つ。
 彼女は満足したのか、その身体を離して、再び兄を見上げた。泣きたいのを必死にこらえているのだろう。
「そろそろ戻る」
 ライトはレインの肩に手を置いて、その身体をさらに引き離す。危ないから下がっていろ、という意味を込めて。

 レインは兄の姿が見えなくなるまで、それを見送った。
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