恋の終わりは 【恋に焦がれて鳴く蝉よりも・番外編】
 「大学生活はいかがですか?K大の理工学部に
通われていると伺っていますが」

 「はい。化学科に在籍しております。来年は
交換留学を予定しているので、いまは英語の中
でもSpeakingのスキルアップに力を入れている
んです」

 「交換留学ですか。それは期待に胸が膨らみ
ますね。留学はどちらの方に?」

 彼と父の顔を交互に見ながら、悠然とそう語っ
た紫月に、答える一久の物腰も柔らかだった。

 「クィーン・カレッジ・ロンドン大学ですよ。
向こうで触媒開発の研究をするんだとか。海外
へ出て世界のレベルを知るのは良いことですが、
父親の身としては一年も娘と離れなければなら
ないのが、寂しくて仕方ない」

 顎を擦りながら、けれど、誇らしげにそう答え
た父に一久は目を細める。その笑みに、また、
紫月の鼓動はとくりと鳴ったが、もっと彼と言葉
を交わしたい思っていた紫月の願いは叶わなか
った。

 社員らしき男性が一久の背後から近づき、何や
ら言託けている。彼はさりげなくその声に耳を
傾け、小さく頷いた。

 「どうやら……係りの者が私を探しているよう
です。私はこれで失礼しますが、どうぞゆっくり
楽しんでいってください」

 目を瞠るほどの美しい傾斜角で一礼し、爽やか
な余韻をその場に残して一久が去ってゆく。

 紫月は、彼の背中を恍惚とした眼差しで見やり
ながら、ほぅ、と細く息を吐いた。

 「実に聡明な青年だ。榊幸四郎氏が養子に迎え
たくなる気持ちもわかる」

 手にしていたワインを煽るように飲みながら、
唸るようにそう言った父に頷く。そう。榊一久
は、元々は榊幸四郎の義甥(ぎせい)だったのだ。
 高校生の時に母親を亡くし、子供のなかった
伯母夫婦が養子に迎えたと聞いている。紫月は
すでに遠くなった背中を眺めたままで、呟いた。

 「お父様。私、いつかあの人の隣に立ちた
いわ」

 その言葉に父は一瞬、驚いたような顔をして
見せたが、すぐに複雑そうに眉を寄せる。

 「いや、彼自身は申し分のない男だがな、
その、サカキの経営状態を考えるとだな……」

 最後の方は、聞こえるか聞こえないかという
ほどの、小さな声だった。その声に、ええ、
わかっています、と頷き、傍らの父に微笑を
向ける。いまはまだ、ただの願望に過ぎない。

 けれど数年後、一人の女性として成長した
自分が、彼の隣に立つことを許されるなら……



-----安永の権力と財力。



 その二つを借りることになっても、この恋を
成就させたかった。




 それから、約5年。

 一年の留学期間を終え、無事に大学を卒業した
紫月は、財閥系列の大手化学企業に就職し、研究
職に就いた。父に一久との縁談を持ち掛けて欲し
いと頼んだのは、社会人として二年目を迎え、
女性としても成長できたと思えた時だった。

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