政略夫婦が迎えた初夜は、あまりに淫らで もどかしい
「国木田さんもどこか外出ですか?」
カウンターの外に出てくるのが珍しく思えて聞いた私に、国木田さんは「いえ」と答えながらも、一緒に外に繋がる自動ドアをくぐった。
そして、左右を見回してから、再び私ににこやかな顔を向ける。
「落ち葉の散らかり具合が気になったので。後ほど清掃を呼ぶことにします」
「ああ、なるほど」
自動ドア前のスペースには二メートルほどの広葉樹がありマンションに緑を添えているけれど、隣接した大通りの木は落葉樹のようで、気の早い木々はもう葉を落とし始めている。
それが風でマンション前まで飛ばされていた。
「では、お気をつけて」
「ありがとうございます。行ってきます」
笑顔を交わし、駅の方向へと足を踏み出した。
目当てはハンドクリームとリップクリーム、それに体に塗る保湿クリーム。
乾燥に弱いため、切らすとひび割れたりかゆみが出たりとひどい思いをするので、これからの時期はストックにストックを重ねておきたいくらいの重要アイテムだ。
いつも使っているブランドの物をセレクトショップで購入し、さて帰ろうと思ったところでうしろから「ああ、すみません」と声をかけられる。
地下鉄からほど近く路面店も多いため、あたりは水曜日の午前中なのにそれなりの人通りがあった。
振り返った先にいたのは、四十代半ばくらいに見える男性だった。
白髪が少しだけ混ざった髪を後ろに流していて、目元には黒縁眼鏡がある。穏やかな印象を受けた。
見覚えはない。
「私でしょうか」
この辺りにそこまでの土地勘はないので、道案内だったら困るな、とこの先に続く会話を予想しながら答えると、男性は「ああ、いや」と笑った。