あの子が空を見上げる理由
 暖かな日差しを背に受けながら、正人(まさと)は体育館の玄関先に立っていた。

 あちこちから、ポツポツと雪解け水が地面に落ちる音がしている。玄関先に、(けやき)の一枚板を縦にしたり横にしたりしながら、ずっと長い間考え込んでいた。

 「あー、こいつだ!」
 風に乗って、誰かの叫ぶ声が聞こえた。間髪入れず自転車のブレーキ音が次々と背後に響いた。

 高校の制服を着た男女が自転車に乗ったまま正人を眺めている。ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、正人を品定めしているようだ。背の高い二人の男子学生、ぽっちゃりとした女子高生、そして、女子高生よりも頭一つ小さな男子学生。背の小さな青年は、イヤホンをして正人に背を向けていた。

 「俺らの小学校に越してきたの、あんた?」
 健太(けんた)が、体に比べて小さな自転車から降りて、正人の前に立った。
 「いえ、これは、町の小学校です。」
 正人は真面目に答えた。
 「当たり前だろ。でも、俺らの母校だ。」
 挑発するように、健太が言う。その肩をまぁまぁ、と(れん)が叩く。
 「いきなりそんなこと言ったら、喧嘩売ってるみたいじゃないの。やめなさいよ。」
 佳音(かのん)が、頬を膨らませていった。
 「美葉(みよ)から話を聞いて、興味を持ったんで。」
 へへ、と錬が愛想笑いを浮かべながら言う。いきなりおかしな輩に絡まれて動揺していた正人は、美葉の名を聞いてほっと息をついた。

 「なんだ、美葉さんのお友達?」
 「そう、おれら五人、ションベンたれてた時から一緒。この小学校最後の卒業生だ。」
 なぜか自慢するように胸を張って健太が言う。
 「では、美葉さんの幼なじみさんなんですね。」
 正人は背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。
 「どうぞよろしくお願いいたします。」
 あまり丁寧に頭を下げるので、つられて健太と錬と佳音も頭を下げる。陽汰(ひなた)だけが、イヤホンの音楽を聴きながらそっぽを向いている。健太と錬は顔を見合わせた。

 「本当だ、なんか、変。」
 ケタケタと笑い出す。
 「変、って、美葉さんが僕のこと、そう言ったんですか。」
 正人の問いに、二人は何度もうなずき、笑い声を大きくする。正人は傷つき、変か…。と呟いてうつむいた。

 「でも、嫌な感じで話してたわけじゃないよ。」
 慌てて、佳音が慰める。
 「面白い、って意味の変だと思う。」
 「面白い…。」
 うつむいたまま、正人が呟く。

 「久しぶりに美葉がすっごくしゃべってたから、かなり面白いと思ったんじゃね?いつも、参考書眺めながら弁当食って、そのまま昼休み中ずっと勉強してっからさ。」
 錬もさすがに悪いと思ったのか、慰めるような口調で言う。
 「そー、あいつ高校行ってから本当俺らとつるまなくなったよなー。」
 頭の後ろに両手を組み合わせ、体をのけぞらせながら健太が言う。
 「そりゃ、美葉は忙しいから。」
 佳音が唇をとがらせる。
 「そうですね。美葉さんは働き者で、忙しそうですね。」
 正人が佳音の言葉に頷く。佳音は正人と目が合い、慌てて視線をそらした。その顔を見て、錬が、おや、という顔をした。

 「で、おっさん、何してんの?」
 健太が正人の顔を見下ろして言う。
 「おっさん?」
 正人はぶしつけな言葉にむっとした。
 「だっておっさんじゃん。」
 「失礼な。僕はまだ、二十二歳だ。おじさん扱いされたくないです。」
 「二十代はおっさんだって。」
 「君だってあっという間に二十代になりますよ!」
 言い合う二人に、錬がまぁまぁ、と割って入る。
 「実際、どんなことやってんのか、興味津々なわけ、俺ら。」
 ヘラヘラとした口調で、錬が言う。正人は小首をかしげた。
 「家具を作る仕事をしています。今は、美葉さんに看板を作るといいとアドバイスをいただき、どんな看板にしようか考えていたところです。看板って、何を書いたらいいものかと思って。」

 健太と錬、佳音の三人は顔を見合わせた。
 「看板って、お店の名前とか、書きますよね。ほら、美葉のとこだったら、食料品と日用雑貨の店 谷口商店って、書いてるでしょ?」
 佳音は、谷口商店の壁を指さす。なるほど、と正人は頷く。
 「では、家具工房、ですね。家具工房…。なんていう名前にしようかな。」
 この言葉に、三人に加えて陽汰も顔を見合わせ、まじか、と呟いた。

 「まさかの屋号を決めてないという落ち。」
 錬が呟く。
 「おっさん、まじ抜けてんな。」

 健太の言葉に、正人は口をとがらせたが、言い返す言葉が見つからなかった。自分に計画性が欠けているという自覚はある。だが、知り合ったばかりの高校生に馬鹿にされる筋合いはない。そんな正人の姿を見てか、佳音が両手をパン、と叩いた。

 「じゃあさ、一緒に考えてあげようよ。」
 おー、と健太と錬が目を輝かせる。
 「レッチリとか、ボンジョビとか、エアロとかどう?」
 「なんで人の名前つけんの。それも昔のロックスター。超古い。」
 健太と錬の掛け合いを聞き流し、佳音がいう。

 「確かに、自分の名前をダイレクトにつけるのもいいですよね。お名前、なんて言うんですか?」
 あ、と正人は居住まいを正し、深々と頭を下げる。
 「木全正人と申します。」
 「家具工房きまた。家具工房まさと。」
 佳音は首をかしげる。
 「きまたまさとって、どんな字?」
 「木に全部の全、正しい人と書いて正人です。」
 「正しい人…。なんか正しくねー。」
 佳音と正人の会話に、健太が割って入る。正人はむっとした表情を健太に向ける。

 「でも、名前に入ってる木を使うのって、家具らしくて良くない?」
 佳音は二人の間に割って入る。うんうん、と錬が頷く。ふーん、と健太も中に目を泳がせてうなる。

 しばらく、それぞれが正人の名前をぼそぼそと呟きながら考えを巡らせる。クァークァーと鳴きながら、白鳥のつがいが空を飛んでいく。その先に連なる稜線はまだ雪を被っていて白い。

 「きっと…。」

 ふと、健太が呟いた。

 「きむらまさとの頭としっぽをつなげて、きっとってのはどう?」
 今度は自慢げに大きな声で言う。

 「キットって、手作りキットとかのキット?」
 佳音は首をかしげる。健太は大きく首を振った。
 「きっと、なになにだろう、のきっと。明るい未来を想像する言葉じゃね?」
 ほう、と錬と佳音は目を合わせた。

 「きっと俺らは有名なミュージシャンになって、女にもてまくり!みたいな。」
 健太がにっと笑う。
 「きっと、金持ちになる、とか。」
 「きっと、看護学校に受かる、とか。」
 錬と佳音が首をかしげ、考えながら言う。そして、三人は陽汰に目を向けた。陽汰は三人の視線をうけ、面倒くさそうな顔をしたが、しばらくして答えた。
 「カレー。」
 健太が大笑いする。
 「きっと今晩はカレーだ。なるほど!明るい未来だわ。」
 錬も佳音も、声を出して笑う。

 「お言葉ですが…。」
 正人はおずおずと手を挙げて言う。

 「きっと、は確かにそうだろうと予測・期待する言葉です。ですから、必ずしも明るい未来ばかりを連想するわけではないのでは。」

 えー、と健太は不服そうな声を上げる。
 「じゃあ、正人さんはきっとの後、何を思い浮かべんの?」
 錬が尋ねた。正人は眉をしかめて、考え込む。ふと、頬に当たる風に湿り気を感じ、正人は顔を上げた。

 「明日はきっと、雨ですね。」
 例題を思いついてほっとしたが、四人の不服そうな視線が正人に注がれる。正人は慌てて首を振った。
 「雨も、いいですよ。雨降らないと、作物は育たないし、水不足になる。」
 そう言いつつ、ここは明らかに希望を持った応えを出すべきだったと思った。

 「せっかく、一生懸命考えてくださったのに、すいません。」
 頭を掻きながら、頭を下げる。陽汰を除く三人は顔を見合わせ、吹き出した。
 「確かに変な人だな。」
 健太は笑いながら言って、行こうぜ、と錬に声をかけた。
 「お邪魔してすいませんでした。」
 佳音は正人にぺこりと頭を下げ、自転車にまたがる。陽汰は、チラリと正人を見てからそっぽを向いて、同じく自転車にまたがった。

 「あ、美葉に手、出すなよ、おっさん。」
 健太がそう言って、軽く手を挙げて自転車を漕ぎ出した。
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