「そうくると思いましたよ」賢明の魔術師は、秀麗な騎士をはなしません。⇔蓮雨ライカ
空を見て海を見ず

「どうぞよろしく」






ヨルバ、と大声で呼ばれて顔をこちらに向けたのは女性だった。

町なかで見たり人に飼われている小型の猫ではなく、ヨルバとは深い森や密林にいる大型の猛獣だったかと、リンフォードは頭の中で言葉の意味を探す。

この国で山猫という意味を持つそれは、なるほどその女性を表すのにふさわしい通り名だと思えた。



酒場と食堂と半々と言えるようなそこは、荒くれ者や、腕に自信がある者たちで繁盛していた。数人で小さな卓を賑やかに囲んだり、端の方にひとり静かに座って、仕事がくるのを待機している。

貴族の護衛や、商家の用心棒、探し物もすれば、犯罪の片棒を担ぐこともある。
依頼を請け負う側の得意分野と良心と、ふところ具合によって仕事は様々。
要は金品を払ってでも頼みたいことがあれば、なんでも請け負う者がいる、そんな場所だ。

店主に手招きされた女性は、ごちゃついた騒がしいその店の中を、誰にもぶつからずにすらりと歩み寄ってきた。

色の濃いローブ姿のリンフォードを一瞥して、隣に並んだ店主に無表情でなにと返す。

「お前に仕事だ」
「私はグラスに酒を注ぐのが仕事」
「他に良さそうな奴がいない」
「……魔術師からの仕事は受けない。他に譲って」

素っ気なく告げると、そう広くない店内を、また誰にもぶつからずにすらりと歩き、カウンターの中に戻っていった。

「……だとよ、どうする?」
「ハーティエの言葉が話せるのは?」
「ヨルバが一番だな」
「ではやはり彼女が良いですね」

店主は眉を持ち上げて、くいと顎を店の奥に振った。あとは自分で交渉しろと受け取って、リンフォードはカウンターに向かって歩く。

山猫(ヨルバ)のように歩くつもりが、あちこちにぶつかり、太い声に文句を言われながら進んだ。

「香りの良い酒を下さい」

カウンターに銀貨を乗せて彼女の方に押すと、するりと手が出て硬貨に替わり小さなグラスが乗った。
すぐに透き通った琥珀色の酒でグラスが満たされる。

「……ここでこんな大金チラつかせない方がいい」
「知ってますよ。貴女は親切な人ですね」

前掛けのポケットから酒代を差し引いた残りをぱちりと音をさせて乗せる。

「仕事は受けない」
「内容も聞かないで?」
「研究用の素材集め?」
「遠からずですね」
「他を頼って」
「何故ですか?」
「魔術師の依頼は一日や二日で済むことがない」
「そうですね、でも見合った料金をお支払いします」
「長期間の拘束はお断り」
「貴人の護衛よりは面倒が少ないと思いますけど……基本、自分のことは自分でできますし」
「そういう問題じゃない」
「どういう問題でしょう」
「逆に私でなくてはならない理由はなに?」
「貴女がハーティエの騎士だから」

今いるこの国の言葉ではなく、隣国の言葉でリンフォードは返した。
くと力強く向けられた目に、リンフォードは柔らかく笑って応える。

「今は違う」
「ハーティエの言葉が話せる」
「それは他にもいる」
「うーん……私がこちらの言葉がまだ不慣れで……その……細かい意図が伝わり辛いでしょう? あー……急な場面で反応が遅れたら、どちらも危ないことになりますし」

本人が言うだけあって、これまでもそうだったように、リンフォードはもたもたとこの国の言葉で理由を説明した。

「ハーティエの人間か?」
「そうです」
「何故この国に?」
「研究の為ですね」
「どんな?」
「希少植物を主に研究しています」
「森に入るのか」
「様子見で、三日ほど」
「断る」
「あれ?! 受けてもらえる流れじゃなかったですか?」
「あそこの角にいるヒゲの……あの人は魔術師に理解があるし、素材集めにも詳しい」
「貴女が良いんだけどなぁ」
「話は終わり」
「ああぁ……」

リンフォードはグラスを空にすると、もう一度同じものを注文して、それを持って角の席にいるヒゲの男の前に座った。

魔術師に理解があると聞いただけあって、賑やかで粗雑な周りの男たちとは違い、和やかに快く話ができた。

お代わりした一杯を長い時間ちびりちびりと舐めるように飲んで、相手の男に一杯奢ると握手をして店を出る。



入った時は明るかった店の外は、すっかり夜の色が町の屋根を覆っていた。


「ローレルさん」
「…………名を」
「教えてもらいました、さっきの人に」
「…………くそ」
「他にも色々、貴女のことを」
「仕事の話をしてたんじゃないの?」
「いいえ? 仕事は貴女に頼むと決めていたので、貴女の話をたくさん聞きました」
「それでか……」

しょっちゅうこちらを見てはにやにやとしていたのは、上手く商談をしているからだと気にしなかった。
話が弾んでいるように見えたので、その後もローレルは特に関わらず、自分の仕事を終えて家路につく。
そこへ背後から追ってきたリンフォードに声をかけられた。

「私が貴女を好きなんだと勘違いして、色々と教えてくれましたよ」
「明日 出会い頭で殴る」
「あぁ、止めてあげて下さい、私がそう仕向けたので、彼は悪くない。気の毒ですから」
「えっと……?」
「リンフォードです。どうぞリンと呼んで下さい」
「呼びませんから失せやがり下さいませ」
「ローレルさんお仕事終わりでしょう? お食事でも一緒にどうですか?」
「嫌です、帰ります、さようなら」
「あ、なら家までお送りしますよ。川向こうにお住まいなんですよね?」
「……あいつ、そんなことまで」
「彼の名誉の為に言いますけど、私の察しが良いだけですから」
「……は?」
「彼とした話の断片を繋いで、貴女の歩く方向から推測したんです」
「ああ……中々のくそですね」
「自覚はあります……なので、これからいくらでも時間をかけて、意地でも仕事を受けてもらいますね?」

ではと少年のように笑ったリンフォードは、その場でまた明日と、ローレルとは反対の方向に歩き去った。



言葉の通り、次の日も、その次の日も、リンフォードは店にやって来て、ローレルに仕事を請け負って欲しいと話を持ちかける。



「もういいだろ。受けてやれよローレル」
「ここまできたら断り続けるのが様式美」
「何言ってんだお前」
「あーなるほど、それも解ります……では私も、お願いし続ける美しさを表現したい」
「お前も何言ってんだ」

葉っぱ一枚そよがないようなふたりのやり取りを見続けて、いい加減どちらも馬鹿なのかと思い始めた店主の命令で、ローレルは仕事を請け負うことになった。

店をクビにすると言われては、流石のローレルも折れざるを得ない。


店の奥の席をふたりで陣取って、難しい顔をしたローレルとにこにこ顔のリンフォードは話を始める。

「あちらの言葉で話しても?」
「……どうぞ」
「良かった……では早速」

依頼の内容はこの国と隣国であるハーティエとの境にある森へ行く、という内容だった。

簡単に思えるが、国境の森は広大で、小さな領地ならすっぽりと収まる程、しかも手付かず。
人が未踏の場所も多いし、だから獣やそれ以外の生き物もたくさん居る。

「竜も魔獣も出るのに護衛が私ひとり?」
「大型のものはいないと聞いていますし、そんなに深部までは行きませんよ、今回は」
「今回は?」
「今回はお試しですね。三日ほどで帰ってこられる場所にしましょう」
「なるほど、合わなければ次回からは断って良いという訳だな」
「そういうこともあり得ますね」
「よし……で、どの辺りに行く気なんだ?」
「ここから北寄りの東側に。地図には渓谷があるとなっていますが、その向こう側に行きたいです」
「渓谷を避けて向こう側に渡るなら三日では無理だぞ?」
「そうですか? そこは貴女の案内次第なのでは?」
「……貴方の足次第でもあるが?」
「ああ、そこはご心配なく。あちこち歩くのには慣れていますので」
「一日は歩き通せるのか?」
「どんな道かによりますけど」
「道なんて無いぞ」
「ならまぁ、丸二日が限度ですね」
「……心得た」
「ふふ……言葉が変わると騎士らしさが増しますね。顔もきりりとされていますし」
「…………仕事の話だからな」
「なるほど、頼もしい」

出発の日と、必要なものを確認して、その日の打ち合わせを終える。

ローレルは森の地理に詳しい者から話を聞いて、往還の経路を決めた。
リンフォードとそろって食料や物資の調達をする。
それらの全てはリンフォード持ちだと決めてあったので、依頼主にお伺いをたてながら店を巡った。


翌日、夜も明けやらぬ薄暗いうちに、先ずは乗り合いの馬車に揺られ、国境に向け出発した。

馬車を乗り継ぎ、日が暮れる少し前には森の入り口に到着する。


「ローレルさん、その長剣」
「なんだ」
「魔力が通ってないように見えます。術が欠けてるんですかね?」
「……そうだな」
「よければ直して差し上げましょうか?」
「……結構だ」
「……そうですか?」
「行こう」
「はい。では、よろしくお願いします」

荷を負った旅姿のローレルと、同じような格好をした、ローブを羽織っていないリンフォードが並んで歩き出す。

凍えるような季節でもないので、夜露を払う程度の、軽めの外套姿だ。

「魔術師に見えないな」
「はい? あ、ローブですか? あれは丈が長くて、探索には邪魔なので」
「……ローブは矜恃の証じゃないのか?」
「私は御大層な矜恃より、実状を取りますよ」
「いい心掛けだな」
「ありがとうございます」

行程が厳しい場所以外、休息の間など、取り留めのない話は絶えなかった。

特にリンフォードの方がよく喋り、ローレルは降ってくるような質問に短く答えることが多い。

「それで山猫(ヨルバ)と呼ばれているんですね?」
「皆が勝手に言ってるだけだ」
「山から狩ってきたのが、そんなに大きな種だなんて」
「小さな種を二頭狩るのは面倒だから」
「ああ、まぁ、二頭を見つけるだけでも手間ですよね……でもなんでヨルバを?」
「衣装を作りたかったらしいぞ」
「毛皮で?」
「ああ」
「悪趣味」
「だな」

ローレルは国を渡ってこちらに住むことを決め、職を探して現在働いている店を訪れた。

今のようにカウンターの中で客の相手をするのを希望していた。
だが酒を注ぐだけならもっと色っぽい女性だろうと、気の良い店主はあっけらかんと笑った。
ローレルはその当時を思い出す。

「それで狩りをすることに?」
「働きたいなら他にも仕事をこなせと言われた」
「でもヨルバなんて。簡単ではなかったでしょう?」
「まともな依頼がそれしかなかった」
「うーん……なら仕様がなかったですね」

詳しく聞けば、五日ほどかけてローレルは単身で森に入り、己の身体の倍以上はある山猫を狩り、その場で皮を剥いで持ち帰ったのだと言う。

「今の話を聞くまでは、てっきりローレルさんの見た目のことかと思ってました」
「は?」
「ヨルバという通り名の由来です」
「……私が山猫に?」
「歩く姿もですけど、その少し吊り上がった目元とか、艶かしい身体の曲線も猫のようだと思いましたので」
「…………なま、め……か?」
「そのしなやかそうな身体を揉んだり撫で回したりしたい」
「……清々しい顔で言うな。刻むぞ」
「町猫じゃなくて、猛獣の方でしたね」
「……食い殺されないように言葉に気を付けろ」
「あれ? 褒めたつもりですけど、何か悪いことを言いましたか?」
「思ったことを口に出し過ぎだ。というか気持ち悪いから余計なことを考えるな」
「そうですか? では気を付けましょう」

移動は慣れていると、自分からそう言った通りに、リンフォードはローレルが選択した行程を、特に難なく日暮れまで歩き通した。


野営の準備も指示をしなくてもこなしている。
慣れた様子で、環境や食事内容に、貴人様特有のわがままも出てこない。

ただ腹を満たすだけの簡易な食事を済ませた後は、小さな火を挟んで向かい合い、そのまま話は続いた。


ローレルの知っている魔術師は、大概が薄暗い部屋にこもっては魔術を研鑚し、それ故に人付き合いも身形も気にしない印象があった。

思ったままを告げると、リンフォードは楽しげに笑う。

「そんな人が大半ですよ。私も部屋にこもるのは苦ではないですし。でも外を歩き回るのも、同じくらい苦ではありません」
「変わってる」
「いえいえ……ローレルさんは素材集めをする魔術師の依頼は受けないんですか?」
「探索は面倒だからな」
「あちこち出かけている者もそれなりにいますよ。稀少な鉱物や植物の採取なんかは、他人任せにできませんし」
「……確かに、よく知らないものを取ってこいと言われても困るな」
「でしょう? 植物なんて特に。見本があっても見分けるのすら難しいですから」
「なら尚更に自力で何とかしようと思わないのか」
「手に入りやすいものならね。でもほら……森の奥深くに入って、それこそヨルバと遭遇したら大変なので」
「魔術で対処できるだろう」
「ううん……森を燃やしたり、吹っ飛ばしたくないでしょう?」
「穏便に済まないのか」
「できるならローレルさんに仕事を頼んだりしませんよ」
「……そうだな」
「ご理解頂けて何よりです」
「理解はしてない」
「あらら?」

夜は早めに、火の番を交代しながら眠って、翌朝早くに行動を開始した。


森の奥に入るにつれ、リンフォードはあちこちと目線を忙しく動かし、急に茂みに飛び込んだり、その末にちょっとした窪みに落ちたりが増える。

今のところ獣や、それ以外で危険のありそうなものは見かけないが、小さな虫や蛇などは毒々しい色柄のものをわんさかと見る。

「わぁ、大豪邸です。見て下さい、ローレルさん」
「いかにもな配色だな」
「ですねぇ……この蜘蛛は毒がありますから噛まれないように気を付けて。この巣はとっても強くて、小鳥程度なら余裕で捉えられるんですよ」
「……鳥を?」
「こんな豪邸を維持しようと思ったら、ちょっとやそっと虫を食べたくらいじゃ無理ですよねぇ」

木立の間に掛かった、大きな蜘蛛の巣の端を小枝ごとちぎり取って、くるくるとその先に巻き付ける。

「これいい匂いがするんですよ?」

どうぞと差し出されてローレルは顔をしかめる。

「毒は?」
「糸には無いですよ、大丈夫。この蜘蛛を飼っている人が言っていたので間違いないです」
「蜘蛛を飼う?」
「糸の強さをどうにか利用できないかって研究してましたね。結局こっちの良い香りの方が価値があったみたいですけど」
「どんな?」
「香水の原料に使われたり……あと薬に利用された話も聞きました」
「……へぇ」
「あ! 花です、ローレルさん!」
「足元を見ろ、また落…………ちたな、気を付けないと猛獣云々の前に命を落とすぞ?」
「……………………すみません」
「大丈夫か?」
「お尻から落ちたので大丈夫」


この後も、森を出るまで両手の指の数では足りないほど窪みや小さな段差に落ち込んで、その度にリンフォードはローレルが差し出した手を掴んだ。



町に帰った翌日にはにこにことご機嫌な様子で、次の探索の依頼を持ち込む。









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