「そうくると思いましたよ」賢明の魔術師は、秀麗な騎士をはなしません。⇔蓮雨ライカ

「ばかですか」






馬車の中ではひどく時間がゆっくり流れているような、妙な気怠さがあった。

馬の足音と車輪が地面を転がる音だけがよく聞こえる。


ちくちくする空気をどうにかしたくて、ローレルは服に付いた埃を払うように腕をさらっと叩く。

「落ち着け……魔力が漏れてるぞ」
「……妾と言いました?」
「情婦が正しいか?」
「ずいぶんと舐めてくれたもんですね」
「何言ってるんだ。なぜ貴方が怒る」
「誰が妾ですか、誰が情婦ですか。ローレルさんを何だと……」
「だから妾だ。奥方がいるからな」
「あーはいはいなるほどなるほど……貴族の嗜みってやつですか? ローレルさんは勲章扱いってことですね?」
「そんな良いもんか? 少々手荒にしても壊れない程度には丈夫だし、近場にいるしで都合が良かったんだろう」
「やだなーもーローレルさん。そんな調子ではローレルさんにも怒ってしまいそうですよ?」
「だから何でだ。いいから落ち着け……空気が痛い」

ふふふと低く笑いながらも、リンフォードはローブの中で自分の腕を擦って、気を落ち着かせた。

刺さるようなぴりぴりが収まって、ふたりは同時にゆっくりと息を吐き出す。

「貴女はなんですか? 馬鹿ですか?」
「否定はできないな」
「そういうこと言ってるんじゃないですよ」
「馬鹿にも分かるように質問しろ」
「…………好きだったんですか?」
「……どうだろう。最初は憧れみたいなものはあったと思う……目をかけられて嬉しかったのもあったかな」
「昔と変わってしまった?」
「……今と昔と、どちらがあの男の本来なんだろうな」
「好きだったんですか?」
「……同じことを何度も聞かないでくれ」
「例えばそうなら……あのクソはともかく、ローレルさんには悪いことを言ったな、と」
「は……お優しいことだな」
「それ褒めてます? ……で?」
「で?」
「好きだったんですか?」
「だったかどうか分からない。今は違う」
「そうですか」
「人を苛つかせる才は人一倍秀でてるな」
「それは褒め言葉と受け取っておきます」

リンフォードはぐるりと機嫌を良くして、それ以上は言い募ったりしなかった。

ローレルは薄く目を閉じて、これまでをゆっくりと思い出した。
これまで自分が思ったこと、してきたこと。
そしてこれから先の己の身の振り方をどうするべきかと考える。





翌日は、身を寄せている屋敷に来客があった。

ローレルの前に現れたのは、かつての仲間だった。

「スタン……」
「おう。お前いつの間に女になった?!」

快活に笑いながらびしびしとローレルの肩を叩き、その手で首の後ろを掴んでゆさゆさと揺すっている。

立ち会っていたリンフォードが、あまりの荒々しい挨拶に、おたおたしだす。

「生まれた時からじゃなかったか?」
「そうか? 前は生意気クソ坊主だったろ?」
「誰がクソだ」
「坊主の方を否定しろっての。相変わらず生意気だな」
「……元気そうだな」
「お前もな……会えて嬉しい」
「うん」

見習い時期から一緒に過ごしたスタンリーも、記憶にある、それこそ坊主らしさはすっかり消えて、精悍な顔つきの男になっていた。

背丈も頭ひとつ分追い越されている。
ローレルは見下ろされている感じに少し腹が立った。

スタンリーを見なくなったのは五年前。

王子が身罷ったと噂を聞く前からだった。

「ずっと王子のお側にいたのか?」
「ああ……たまたまな。グレアム殿のお付きを仰せつかってたんだ」
「そうだったか」
「ジェローム団長のこと、聞いた」
「……うん」
「お前……しかしまぁ……なんだ。よくもここまで化けたもんだな」

ローレルの首元に置かれたままの手がするりと動いて、親指で頬を撫でるようにしたところで、リンフォードがその手首をがしりと掴む。

「いつまで触ってる気ですか?」
「あ、お前いたの?」
「さっき、おう、とか挨拶しましたよね。きっちり顔を合わせましたよね」
「あ、そういうことか?……ローレル! 良い女になったなぁ!」

スタンリーがわざとらしく声を張ってローレルにぎゅうと抱きついていくと、リンフォードから脇腹に拳を頂戴する。

痛いと笑いながら、両手を上げてローレルから一歩退いた。

その一歩分の隙間に、リンフォードはふうと息を整えた。

「気安くべたべたと触らないで下さいよ」
「それを貴方が言うのか」
「なんだよなー。俺らは兄弟みたいなもんだ。これくらい普通だぞ。なぁ、ローレル?」
「いや、お前も気安く触るなよ」
「お高くなったもんだな、生意気クソ坊主が」

ぐりぐりと頭を撫でる素振りで抑え付けているのに、ローレルは楽しそうに笑い声をあげる。


泣きそうな気分になったのは、それぞれ別の理由を持つ、この場にいる三人ともだった。


「じゃあな。今日は顔を見に来ただけだ」
「もう帰るのか?」
「お前を懐柔したいからな。焦らずゆっくりと、だ」
「なんだそれ」
「明日はジェイミーが来るぞ」
「……あいつ……生きてたか」
「俺らもお前が生きてたことに驚いた」
「私は……」
「いや、よく生きてた。お前すげぇよ」

ローレルの鼻をぐいと摘んで、スタンリーは言葉通りすぐに去っていった。

残されたふたりはただその後ろ姿を見送る。

「言っておきますが、私は何もしていませんよ?」
「……どうだかな」
「同じ考えだと知れて良かった。私は私でローレルさんを懐柔しますから、そのおつもりで」
「それほどの価値なんてあるもんか」
「前にも言いましたよね。安く見積もってもらっては困ります」
「そうか?」
「ローレルさんは私たちが知り得ない情報を持っています」
「……何が聞きたい」
「ここでは王城内部のことが分かりにくいですからね」
「私の持っている情報だって、二年も前の話だぞ」
「私たちは五年前で止まっています。聞こえてくるのは噂程度のことばかり」
「大して変わらない」
「いいえ。それに」
「それに?」
「私たちが知っている隠し通路は外殿と内殿の一部だけです」
「……そういうことか」

女性の騎士ならば、王妃や王子に付き添う機会が多い。

王の寝所に近い隠し通路をローレルは確かに知っている。

「それは王子付きだったグレアム殿もご存知のはずだが」
「ええ、もちろん。だから一部は知っています」
「一部?」
「はい。……ローレルさんが知っているのも、全てではありません。隠し通路のことは細かく分けられ別々に伝えられているようです」
「誰がそんなこと」
「ウェントワース王子が」
「なるほど、王子が仰ったなら間違いないな……王子はどの程度ご存知なんだ?」
「王城を離れたのは王子が六つの頃ですから、記憶はかなり曖昧らしいです。至る所に通路があり、別々の人間に少しずつ口伝されるとしか知らないそうです」
「そうか……そうだな。だけど私の知っている通路だって王の寝所までには届かないぞ?」
「それでもかなり城の中心まで行けますよね?」
「……そうだな、行ける」
「ふふ……どう懐柔しましょうかね。なにをして貴女を仲間に引き込みましょうか。わくわくします」
「その薄ら笑いをやめてくれ」
「明日のお客様が来たら、それ以降はお断りしましょうね」
「なんだ急に」
「そろそろ森を探索しに行きませんか?」
「……ああ、それがあったか」


翌日の懐柔作戦で現れたジェイミーに、明日以降は私の番ですとリンフォードはしれっと告げた。

森への探索の予定期間を伝えると、そこまで懐かしがる間もないまま、ジェイミーを追い返す。

ローレルもジェイミーも同じような顔でリンフォードに文句を言ったが、春の陽だまりにいるような笑顔で帰れと手を振って終わった。



そして探索出発の朝。

これまでに見慣れた格好に戻ったふたりは、弟子のアートと侍女のソニアに送り出される。

そこは屋敷の出入り口ではなく、庭の真ん中だった。

「さあ、ローレルさん行きますよ」
「転移か……」
「もちろん。アート、お願いしますね」
「任せろ」
「……送り迎えはアートにお願いしてます。前回で懲りました。今回はなるべく魔力は温存する方向でいきます」
「ああ、そうだな」
「では、ローレルさん」

リンフォードにぎゅむりと抱きつかれて、ローレルはもぞもぞと身体を動かした。

「ここまで抱きつく必要が?」
「ないですよ?」
「なら離れろ……ていうか、そもそも私が行かなくても良くないか?」
「森に詳しい」
「貴方もそうだ」
「強い」
「スタンリーやジェイミーの方が強いぞ?」
「男は質量が嵩むんですよ。魔力を無駄に使います」
「アートなら私と変わらないだろう?」
「アートは戦えません。あとローレルさんの方が柔らかい抱き心地です」
「だから抱く必要はないんだろ?」
「しのごのうるさいな、もういいだろ。飛ばすよ!」
「師に付いて学ばなくていいのか?」
「穴ぼこに落ちる師匠(せんせい)の面倒見るなんてご免だっての!」
「お前は本当に弟子なのか?」
「ちょっと待ってください? だっての? お前? この数日でアートとずいぶん仲良しになりましたね」
「その話は今要るのか?」

ああでもないこうでもないと応酬している間に、アートは両手をふたりに突き出して長々と詠唱を始めた。
その隣に静かに立っていたソニアが行ってらっしゃいませと頭を下げている。

見送るふたりの姿がぼんやり霞んで、緑色の景色とすり替わった。

「来たじゃないか!」
「はい、そうですよ」
「ここは……」
「ずいぶん久しぶりに感じます……不思議ですね」

目の前の木に干からびた猿の魔獣がぐるぐる巻きで括り付けられている。

リンフォードを押し退けて、ローレルはその場でしゃがみ込んだ。

「ここからか……」
「そうですね、森の中を国境沿いに、西へ行きましょう」
「プロヴァルとの境だったな」
「そうです。では、今後の進路など」

背負っていた荷から地図を取り出し、ふたりは頭を付き合わせて確認する。

森が国境の役目をしているので、ハーティエ方面へ森を突っ切る手前まで北上し、その際に沿って、森の中をプロヴァルに向かうのが最短だと計画を立てた。

「転移で行けないのか」
「正確な座標が無いと難しいんですよ。薮ならまだしも、渓谷や丘の土中に突っ込みたく無いですからね」
「思ったようにいかないものか」
「いけてたら魔術はここまで多岐に渡らなかったでしょうね」
「……便利なんだか面倒なんだか」
「ですね。……ここに埋めたのは転移陣です」
「……そうだったな」
「遠方へ、大人数を転移させるものです」
「転移陣が本来の目的か」
「飲み込みが早くて助かります。さあ、立ってください、ローレルさん。参りましょう」
「植物に気を取られて窪みに嵌るなよ」
「……それはお約束しかねますね」
「くそったれ」
「ああ! 私もとうとうローレルさんから気安く悪態を吐かれるまでの仲に!!」
「黙れ気色悪い」
「重ねてその雑言! 喜びもひとしおです!」
「ぐねぐねするな、しゃきっと歩け」

慣れた場所に戻ってきた感覚がして、ローレルはいやいやと首を振る。

数歩ぶん後ろからリンフォードが鼻歌混じりで着いてくる。

無性に腹立たしく感じて、握っていた棒を力任せに振り回し、飛び出した枝を叩いて道を作った。



半刻ほど歩いた辺りで、リンフォードが何かを思い付いた声を上げる。

急に立ち止まり荷物を背から下ろして、中を手探りでごそごそとしだした。

「忘れてました……はいこれどうぞ」
「……だからなんで今さら渡す」
「改良を加えてみました」

小さな瓶には、少し緑がかった透明の液体がたっぷりと入っていた。

「前に貰ったのを塗ってる」
「魔力通して無いでしょう?」
「通さないと効き目が無いのか?」
「良い香りがしない!」
「匂いはどうでも良いだろう」
「そんなことはありません」
「匂いで避けるのか」
「虫避けは二の次ですよ」
「そこが一番だろう?」
「分かってませんねローレルさんは」
「……もういい。貰っておく」
「新しいのは明日から使ってくださいね。今日はがまんしてあげましょう……さぁ、魔力を」
「温存するんじゃないのか」
「大した力は使いませんよ」

手首にさらっと触れる程度で、リンフォードの魔力が一瞬でローレルの表面を走ってゆく。

ふわりと花のような甘い香りがして、ローレルは呆れた顔を向けた。

「これは……私ではできないのか?」
「ローレルさんの魔力はこういうことには向いてないですからねぇ……覚えたところで余計に消耗するしかないです」
「……確認するが、匂いがする必要は無いんだな」
「必要はあります。私に」
「無いってことだな?」
「ありますってば。私に」
「魔力は通さなくても、塗っていれば虫は避けられるんだな?」
「そうですよ?」
「……分かった、もういい」
「明日からは……」
「口を閉じろ、黙れ」
「ふふふ……楽しいですね、ローレルさん」
「そりゃ良うございました」


野営とリンフォードの相手で目の下の影を濃くしつつも、四日を掛けてプロヴァルとの国境まで辿り着いた。

辺りをぐるぐると見て回って、リンフォードは納得した様子で地中に転移陣を埋める。

大人数が転移しても障りがない場所。
目隠しになる木々があり、且つそこそこに広い場所。

説明されて、確かに今まで転移陣を埋めたのは、そんな場所だったと思い出す。

「……これで終わりか?」
「はい、後は帰るのみです。アートに知らせを出しましょう」
「陽が暮れるまでに帰れるのか?」
「……どうでしょう。アートが前もって準備を終えていれば。予定より一日早いですからね、時間が要るかもしれません」
「……とりあえずここで火を熾すか」
「どっちにしても休憩はしたいですもんね」
「そうだな」
「ローレルさんが淹れたお茶が飲みたいなぁ……美味しいもんなぁ」
「自分で淹れるのが面倒なだけだろ、坊ちゃまめ」

にっこりしているリンフォードを放ったらかして、ローレルは使えそうな枯れ木を探しに歩き回った。


要りそうな分だけ集めて戻った時には、今晩が最後の野営ですと告げられる。



持っていた枯れ枝を全部その場に落とす。

ローレルのげんなりした様子に、今度はリンフォードも枯れ木を集める側に回った。






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