「そうくると思いましたよ」賢明の魔術師は、秀麗な騎士をはなしません。⇔蓮雨ライカ

「たえられません」







「ローレル……」
「……クライヴ」
「どうして……」
「……出迎えがクライヴで良かった」
「橋を下ろせ!」


あの翌日には実行命令がローレルに下った。
時を空けられないと、それから慌ただしくひと月で準備され全てが整えられる。



ハーティエ国内に入り、朝を迎えてすぐに正面から入るべく王城に向かう。

城門の番に名を告げ王師団長に取り次いで欲しい旨を伝えた。

現れたのは王師団長副官のクライヴ。
門に続く跳ね橋を渡って、ローレルはそのまま城門塔にある小部屋に連れて行かれる。

「ローレル……なんで戻った」
「外に出て暮してみたけど……疲れたんだ。ひとりじゃやっていけないって身に染みた」
「ひとりって……旦那はどうした」
「あれは依頼主だ。……あの国の、私が居た酒場には?」
「ああ、俺じゃないけど」
「そこで彼に雇われた」
「うんまぁ、その報告も聞いた」
「あの場を凌ぐ為の嘘だ。あそこで時間を取られたくなかったから」
「……何してたんだ」
「……それをここで話したら、私が戻る為の交渉材料がなくなるな」
「なぁ……本当に戻る気なのか」
「じゃなきゃこんなに堂々と来るか」
「お前…………まぁいいわ。とりあえず持ち物を全部出して」

といっても背中にあった荷は先に門兵に渡したので、あるものといえば腰に佩いた長剣だけ。
剣帯ごと外してクライヴに渡す。

「しばらく預かる……他には?」
「何も持ってない」
「触るぞ?」
「どうぞ?」

ローレルは壁の方を向かされて、そこに両手を突く。
肩や腕、背中から脚を要所要所掴みながら撫でられた。
足元までひと通り調べると、クライヴは立ち上がってローレルを自分の方に向かせる。

素直に指示に従えるかどうかも見られている。お互いにそれも分かりきっているので、どちらも苦笑いだ。

クライヴはローレルの首元に目を止めて自分の喉をとんとんと軽く指先で叩く。

「それは?」
「うん? ああこれ……仕事でご令嬢を警護した時、礼にともらった」
「お前が首飾りね」
「困った時に金になるかと身に付けてたら、気に入ってきた……取って見せるか?」
「いやいいわ。ていうか、そんな小さな石じゃ大した金にならなそうだな」
「もう売る気なんてないぞ」

首をゆるく回った銀の細い鎖には、小さく透明な石がぶら下がっている。
覚悟を決めたあの夜に見上げた星のように、揺れるたび微かにだが鋭い光を放つ。

取るかと聞いたが、なら外せと言われても困る。

リンフォードに持たされたものだ。
鎖には留め具も継ぎ目も無いので引き千切るしかなくなる。
そして聞いてはいないが、十中八九 引っ張って千切れるほどやわなものではないはずだ。
多分リンフォードにしか外せない。

「後は……耳飾りか?」
「前から着けてるだろ。これまで取り上げる気か」
「それも大した金にならなそうだなって言ってんの。取り上げるかよ、要らねぇわ」
「確かに高級品じゃないけど、そう言われると腹が立つな」
「……本気で戻って来たんだな?」
「くどいぞ」
「……分かった、おいで」
「脱がなくていいのか?」
「すぐにレアンドロに脱がされるだろ」
「おい、こんなぬるい所持品検査があるか」
「なにお前、俺に脱がされたいの?」
「誰にも脱がされる気は無いよ」
「…………そうか。ならいい」

城門を抜けて、騎士館や使用人たちの居住区、武器庫や馬場がある外郭を抜ける。

ハーティエの王城は砦に近い形態をしている。

急な斜面のある丘の全部を城にしているので、王のいる宮殿は、今いる外郭から前庭のある場所に上り、またさらにもう一段高い場所にある。

裏側まで城壁がぐるりと回っているが、裏手は急斜面と深い森がさらに守りを堅くしている。スタンリーとアートが侵入しようとした隠し通路の出口はそちら側にあった。

二年前、ここを出た時と変わった感じはしない。

一番高い場所、王城にすんなりと入れたことに、ローレルは静かに息を吐く。

ここからはどれだけ目的を早く達成させるかに掛かっている。

前を歩くクライヴの背中を見ながら、息を吐ききった身体に、腹の底に、重く力を込めた。

宮殿内は三層構造、大まかに用途が分けられている。客を迎える一層目、重臣が多くいる二層目、その上が王や王族の住まう三層目だ。

クライヴは構わず最上層に足を向けている。

レアンドロの執務室があるのは中層だったはずだ。

「どこに向かってるんだ?」
「……ああ。我らが団長様は上に部屋を与えられたんだよ」
「それはご立派になられて」
「おいその皮肉っぽい態度は控えろよ」
「……市井に出たから取り繕うのが下手になったかな」
「口が減らないのは相変わらずだな」
「……気をつける」
「そうしろ」

壁は無骨な石造りだが、通路や階段は板が張られ、中央には絨毯が敷かれている。
最上層はその絨毯が細かく手の込んだ模様に変わる。

緻密な柄の広がる階段の踊り場で、クライヴは足を止めてローレルを振り返った。

「城門まであいつが下りると言ったけど、それを止めて俺がお前を迎えに行った」
「……うん」
「その意味が分かるか」
「分かる」
「ここが最後だ。今ならまだ引き返せる」
「……クライヴ。私はもう十七、八の世間知らずじゃ無いぞ? あれの良いようにはさせない」
「…………ローレル」
「町で賊一歩手前の奴らとそれなりにやってきたんだ……まぁ、それに疲れたんだけど」
「騎士に、師団に戻れると思ってるのか?」
「……そこを交渉しにきた」
「今日は機嫌が良い……上手くやりなよ」
「それは良い話を聞いた」

ローレルのにこりとした顔に、クライヴは苦く笑って返す。

レアンドロの部屋に向かう間に、記憶にある最上層の様子と、頭に入れた見取り図と、実際に見ている場所をすり合わせていった。

今いるのは王の寝所からはまだ遠い、ずっと手前の通路。

執務室が中層にあったので、上層へ行くのをさてどうするかと面倒があったが、ひとつ不安材料が無くなったのは良いことだと前向きに考える。




確かにクライヴの言った通り、レアンドロの機嫌は良さそうだった。

ゆったりと余裕のある足取りで、扉の前にいるローレルの側までやって来ると、薄らと笑いながら軽く抱きしめた。

「……待ったぞ、ローレル」
「本当に?」
「ああ……すぐに戻ると分かっていたからな」

腕に力を込められるほど、ローレルの背中が痛いほどに粟立つ。
寒気が上がってうなじの毛が逆立つ。
首をすくめて、レアンドロの胸を押し返した。

愛しい相手にするように、ローレルの頬を撫で、親指で唇をなぞった。
顔が近付いてくるのを、手を出して止める。

「……どうした?」
「こんなことじゃなく、話をしにきたんだけど」
「後でいくらでも話はできる」
「先にしとく方がお互いの為だと思う」

名残惜しそうに腕を解いたレアンドロに、ローレルは笑いかけた。

これまで一度もこんな甘い態度を出したことがないこの男が可笑しくてしょうがない。

ローレルの笑顔を上手く勘違いして機嫌の良さが増したらしく、レアンドロも同じような顔を見せる。

「しょうがない。なら先に話だ」

ローレルの手を下から掬うように握って、低い卓と椅子のある場所へ連れて行く。

長椅子に座らせると、足が触れ合うほど近くに腰掛けた。

扉の前に立ったままのクライヴに軽く出ていけと言い放つ。

「……ちょっと。後に予定が詰まってるの忘れないでよ?」
「……分かってる」
「ほんとかよ」
「話ならクライヴにも聞いてもらった方がいい」
「そうだぞ、俺も詳しい話は知らないんだ」
「構わん、俺が聞く。出て行け」
「ねぇ、ほんと分かってる?」
「時間が惜しい、早く行け」
「俺は隣の部屋に居るからな?」

頭をがしっとひと掻きして、大きな溜息を残すとクライヴは出入り口とは別の扉から出て行った。

出て行くのを見送って、レアンドロはゆったりとローレルに向き直る。
部屋の大きさに反比例した声は囁くようだ。

「ローレル……よく戻った。良い子だ」
「師団長?」
「名で呼べ」
「予定はどのくらい後に?」
「……一刻ほどか」

壁にある時計を見上げているレアンドロの手首を掴んで、持ち主の腿の上に置き直した。

「余計なことしている時間はないのでは?」
「どちらが余計なことだ?」

ふと笑って細められた目に対抗して、さらにその半分まで細めてやる。
できているかどうか自信はないが、リンフォードがよくやるにっこりを再現しようと試みた。

「ああ、ローレル。見違えるな……」

当然だ。
レアンドロに向けて笑うなんて、遠い遠い昔のことだ。
それにこの顔はここを出てから覚えた、人を距離を取る為の笑い方。
してみて初めて解るもんだなと可笑しくなって、さらにローレルは笑みを深める。

レアンドロのこの甘さ。
妻とは不仲か、見限られたのか、それとも前とは比べられないほど良好なのか。

大概そのとばっちりがこっちに回ってきていた。少し前に出会した時のあの執着も、今のこの態度も、本人は一貫していると思っているに違いない。
その辺りでもこの男の底が知れるというものだが。

「師団長、私はここに戻りたい。騎士としてもう一度やらせて欲しい」
「……騎士として?」
「騎士として。最初からやり直す」
「お前にその力が残っているのか?」

背中をするりと撫でられて、不愉快さに顔が歪みそうになるのを必死で堪えた。
レアンドロの手を退けて、真っ直ぐに目を見返す。

「……やれる自信があるから戻った」
「すぐにとはいかない。様子を見る」
「師団長……」
「いや、その前に。先ずここに居られるかどうかだな……それはどうだ?」
「手土産はある」
「なんだ?」

頬に手を置きそのまま下へ、襟の中に指が届いたところで、ローレルはまたその手を持ち主の膝に返す。

「私の体じゃない……情報を」
「情報?」

気が削がれたのかレアンドロは椅子の背もたれに腕を回して、だらしなく座り方を変えた。

「私が一緒にいた男」
「……あの魔術師か」
「その男と行動してい……」
「夫にしたのか?」
「……あの時は急ぎの用件があったんだ」
「だから?」
「機転をきかせてああ言ったらしい」
「機転か……あの術も」
「上手く逃げただろう?」
「確かにな……まぁ、いい。続けろ」
「あの男と行動している時に、スタンを見た」
「……スタンリーを? 本当か?」
「相方だったんだ。見間違えるか」
「話したのか?」
「それが、目が合った途端に逃げられた」
「……死んでなかったか」
「……どういう意味?」
「……いや、それで?」
「しばらくスタンを見つけた辺りを探してたら、他にも知った顔を見つけた」
「それは?」
「あの頃に……いつの間にか居なくなった奴ら」
「そこはどこだ」
「……城に滞在する許可を」
「……体に聞くか」

長椅子に押し倒されたので、大声を張り上げてクライヴを呼んだ。

待ち構えていたかと思うほどすぐさま部屋に飛び込んできて、レアンドロをあっという間に引き剥がす。

そのまま用件を片付けようと、執務机にあった紙の束をまとめて持ち、背中を押して扉の方へ進む。

「話は大したことないから、すぐに戻るよ。ローレルはそこでちょっと待ってて。誰かに頼んでお茶でも運ばせる」
「……分かった」
「大人しくね!」
「……大人しく」

険のある表情で、後で覚えていろと言っているレアンドロの言葉が、クライヴに向けられる。それは扉が閉じる直前にローレルにも向けられた。

瞬間で気分が変わるのはいつものことだ。

昔はこれを恐れてもいたし、怒りもあった。
最後の辺りはもう諦めていた。

何も感じなかった今の自分は強くなったのだろうか、それとも鈍感になったのだろうか。

片方の口の端を持ち上げて鼻で笑う。
すぐにどうでもいいかと立ち上がった。

出入り口の扉に身を寄せて、外の気配をうかがう。

遠く聞こえる足音が完全に聞こえなくなってから、音を立てないようにゆっくりと開いた。直接外の音を聞いて、人の気配が無いのを確認すると、頭を通路に出して目でも確かめた。

今いる場所から少し奥。

ふたりが歩いた方向へ、後を追うように進んだ。



目的の扉の前に立つ。

軽く扉を叩くと、中から声が聞こえた。
誰だと聞こえた声には答えずに、自分が滑り込めるだけの隙間を開けて、するりと中に入り、後ろ手で扉を閉じる。

「なんだ、許可も無く。君は誰だ」

柔らかそうな椅子にくつろいで座っていた男が、ローレルの姿を見て立ち上がる。

いかにも文官といった風体、小賢しそうな顔が顰められていく。

「……用件を言いなさい」
「わたし……あのぅ……迷子になってしまって」

ゆっくりとその男に近付くと、男も釣られるようにローレルに歩みよってくる。

手を差し出すと、それを取ろうと手のひらを持ち上げる。

余りの警戒心の無さにローレルはにこりと笑って見せた。

手首を掴んで捻り上げ、背中の後ろに回って男の口を押さえる。

「この部屋はグレアム閣下の部屋ですね」

叫ぼうとしている声はもごもごとローレルの手の中で響いている。

「……あぁいい。答えなくても知ってる」

そのまま手を顎に滑らせると、力任せにその方向を変えた。
ごりと鈍い音の後に男の身体は床に崩れる。

そのまま放置して、ローレルは本棚のある側の壁に走った。グレアムに聞いた手順の通りに本棚を動かして、その裏側にある隠し通路を確認する。

長靴を脱いで、その底に入れていた金属板を取り出した。

靴を履き直して、壁に片手を当てて滑らせながら、何も見えない真っ暗な通路を走った。

しばらく進むと短く反響していた靴音の種類が変わる。
長く重なり合う音に、少し広い場所に出たのがわかって、金属板を投げた。

少しして金属が硬いものにぶつかる、硬質で高い音が反響する。振り返ると反対の手で壁を撫でながら元の場所に走った。


通路に繋がる本棚を元に戻し、そこを動かした痕跡がないのを確かめる。
もう動かない男の体を横目に見ながら、外の気配を伺って静かに部屋を出た。












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