「そうくると思いましたよ」賢明の魔術師は、秀麗な騎士をはなしません。⇔蓮雨ライカ

「わすれないでください」








レアンドロを一瞥しただけで、リンフォードはすぐにローレルの顔を覗き込んだ。

「…………やめろ……って」

ローレルの肩に乗った手はびくともしない。大して入らない力では動かせなかった。

覆い被さるようなリンフォードを見上げて睨むが、さらに確固たる強い視線を返される。

「たのむ……から」

レアンドロの持つ武器では、リンフォードの命が危うい。
それを理解しながらも逃げる素振りもないのが腹立たしい。
ひゅうひゅうと空気が漏れるばかりで、思うように喋ることが出来ないのも、苛立ちを増させる。

詠唱は止まることなく、長々と続けられた。

少しずつ引いていく痛みと同じ早さで、意識が遠のいていきそうなのを、ローレルはどうにか保とうと、呼吸を整え、瞬きを繰り返した。

もう一度手を退けようとした時、床に響くような足音と、聞き覚えのある声が聞こえる。

「おわ?! なん? なんぞ?! どこだここ!!」

とてつもなく頼りになるその声に、ローレルは安心して意識が途切れそうになる。

スタンリーは先行で来る三人のうちのひとり。

転移で隠し通路にはもういるだろうと踏んで、リンフォードがさらにこの部屋に呼び寄せる。


二重詠唱。
ローレルの治療の詠唱に混ぜて、スタンリーを転移させた。


グレアムの部屋から外の通路へ、と足を踏み出そうとしていたスタンリーは、急に変わった景色にたたらを踏んで、足踏みしながらその場でくるりと回転する。

すぐさま状況を認識して、床に落ちていたレアンドロの剣を拾い、全力でそれを真っ直ぐに投げて、持ち主の胸の真ん中に返してやった。

ぐったりと脱力したレアンドロは、執務机に磔になっているので、そこから床に崩れることはなかった。
顔は傾き、口からは一筋血が流れ出す。

「……こういうことだよな? 違ってたらゴメンネ?」

リンフォードは詠唱中で返事ができないことは分かっている。
スタンリーは半ばひとりごとの音量でつぶやいて、レアンドロの方に歩き出した。

スタンリーも元部下。レアンドロの魔力量がそこそこ高めで、それを身体強化に使っているのは知っていた。
当然それが肉体の修復に回されることも分かっている。

レアンドロの首筋に手を当て、その脈拍が止まっているのを確認する。
続けて床に倒れているクライヴにも歩み寄って同じようにした。

「あー……と。ここはぁ?」

窓の外をちらりと覗きにいって、自分のおおよその位置を確認した。
周囲がまだ静かなことに、ふむと息を吐いて、ふらりとローレルの足元に立つ。

腰に手を置いて前屈みで顔を見下ろす。

「ぷぷ……だっせ。めたくそに斬られてやんの」
「……だまれ……」
「お前が踏ん張ってるってことは、心配要らないってことでいいんだよな?」

詠唱を続けているリンフォードがしっかりと頷く。

「よしよし。終わるまで付き合ってやればいいのね? まっかせなさーい!」


それから部屋には急を知らせる者と、助けを求めに来た者が数名あったが、敵と認識するやスタンリーは斬り捨てて部屋の隅に積み上げていった。



リンフォードは詠唱を終えると、眠っているローレルを抱き上げる。

「終わったか? もう大丈夫なんだな?」
「はい……的確な判断で助かりました。ありがとうございます」
「や、こっちこそ。ほんと、ありがとうだよ」

こいつめ、とスタンリーは手のひらでローレルのおでこをぴたぴたと叩いた。

「アートが手こずっているでしょうから、ローレルさんを連れて一度戦陣に戻ります」
「おーう。了解」
「そちらも頼みましたよ」
「お任せあれぃ? 日暮れまでにはどうにかしてやるよ」
「朗報を待ってます」
「はいよーぅ」

ひらひらと手を振ると、リンフォードとローレルの姿が消えた。

スタンリーは大きく息を吸って吐き出す。
よしと気を入れ直し、部屋の外の様子をうかがって、賑やかな方へと駆け出した。




戦陣の自分の天幕に戻ると、丁寧にローレルを寝台に寝かせる。
寝台といっても騎士たちが戦場(いくさば)に運び込む、荷物を入れる長細い木箱なので、快適性は全くない。
人ひとり分の幅しかなければ、なんならローレルの足はそこからはみ出している。
ただ布を敷いただけの地面よりは少しマシと思える場所だ。

頭の下に丸めた布を挟み、体には毛布を掛ける。

横に両膝を突いてローレルの顔を覗き込み、青白い顔の、額に貼りついた髪の毛をそっと丁寧によけた。

傷は塞いだから出血は止まった。
ここから先はローレルの生命力にかかっている。

「ローレルさん……忘れないでくださいね。私が居るってこと」

傷の上を触らないようにひと撫で、空気の上に手を滑らせる。

リンフォードは気持ちを振り切るように勢いよく立ち上がり、そのまま振り返らずに天幕を出ていった。




転移陣の前でしゃがみ込んでいるアートの背中をばしばしと叩く。

騎士たちはみんな城に送り込んだが、負傷した者が帰ってこられるように転移門は開かれたまま。
空間を繋げて維持をしていたが、それも端が欠け、向こうの景色がほろりとくずれそうに見えている。

「アート、よく頑張りましたね。交代しましょう」
「……せ……せんせぇぇぇぇ……」
「何か食べて休憩しなさい。その後また交代です」
「せんせぇぇぇぇえ?!」
「……冗談ですよ。天幕にローレルさんがいます。付いていてあげてください」
「…………え?」
「ほら、行きなさい」
「は……い……」

ふらりと立ち上がって天幕の方に足を向けた。

どくどくとしている胸の上に手を置いて、天幕の中に踏み込んだ。

真っ赤に染まるシャツが見えている。
真っ白な顔に散っている赤い飛沫が、やけに浮いて見えた。

「ロ……レル」

ゆっくり上下している胸元を見て、アートは自分も呼吸をしなければと大きく息を吸った。

休息のことなど二の次にして、水を入れた木桶を用意すると、アートは布を浸して、ローレルの顔や手を拭き清める。

昔の光景を頭を振って追い出し、目の前に、今ここにいるローレルの手を握った。

かすかな温もりと柔らかな感触に安堵して、アートは額を当てて、目を閉じる。

「…………あ、ダメだ。飛びそう……食べなきゃ」

血が下がり気が失せそうになったことで、やっとアートは現実に引き戻されて、よろよろと這うようにして自分の荷物が入った木箱を開ける。

中から侍女のソニアがたんまりと持たせてくれた焼き菓子を取り出した。

いつもの倍甘くして、卵や木の実が惜しげもなく使われている菓子を、もっさもっさと口に入れて飲み込んだ。

しばらく待って目の前をちらちらしていた小さな白い粒が消えてから、本格的に食べようと、今度は普通の味の食べ物をもらいに天幕を出る。



もりもり食べて少し仮眠を取っているうちに、天幕の中は暗くなっていた。

灯りをつけてそのまま外を覗く。

転移門は閉じられて、リンフォードの姿は無い。

戦陣の奥にあるひときわ大きな天幕の出入り口は開かれていた。
中は灯りもなく濃い影が居座っている。


ウェントワースは新たな王になり、我が城へ帰還を果たしたのだ。
師はそれに同行している。


誇らしい気持ちで胸を一杯にして、アートはほうと息を吐き出した。


想定より早く事態が進んでいる。
何もかもローレルが早々に転移陣を置いたから急襲が上手くいったのだと、背後を振り向いた。

自分も頑張らなければと静かに心を鼓舞する。

そこら辺で転がっている負傷者も、思っていたよりは少ない。

アートは自分の魔力量がいくらか回復したのを確かめて、負傷者の様子を確認するために天幕を飛び出した。





ローレルが目を覚ましたのはその翌々日。

外は雨なのか、部屋は薄暗く、さあさあと水の落ちる音がしていた。

僅かに動く頭を巡らせて、周囲を見回した。
そもそもローレルも全ての部屋を見たことはないが、壁や天井の造りから王城内であることは察せた。

足や手の先が動いてその感覚があることを確かめる。
もぞもぞするとあちこちの関節がぎしぎしと軋むようだった。

また、まだ生きているのかと口元が歪む。

ジェロームさんの仇が取れれば、本当にそれで良かった。

実の父以上に話をして、身近にいた。
何くれとなく面倒を見て、軽口を叩いて笑い合ったり、ローレルを心身共に強くした。

反王政だとかの手前勝手な策略で奪われたのも、親王だとかのつまらない人倫で抗ったのも、馬鹿らしくてしょうがない。

そんなことのために命を奪われれていいような人では無いのに。

ただ日々笑って、面倒くさそうに仕事をしている姿を近くで見て、それを支えたかった。

国だの王子だの、それらしく聞こえの良い理由を並べて志願したが、そんなことはどうでもよかった。
自分が死んだ後で、いくらでも国を立て直せばいいと、そう思っていた。

自分の命を救ってくれたクライヴを殺すのだから、自分の命を差し出す覚悟はあった。

のに。

手で撫でた腹には痛みが無い。
掛け布を持ち上げて、ついでに胸元も覗いた。

薄紅の蛇の背のようなものが腹の方に向かって伸びていた。
見えなかったが背中もこうだったんだろうかと少し笑う。




雨の音が大きくなった気がして、窓に目を向ける。


広さに合った大きな窓、角が丸い調度も高価なことは見て取れた。かなりの貴人様仕様の部屋だと、繊細なレースの縁がひらひらとしている天蓋を見上げる。
天蓋の天辺は円形で、青空と星空が半々に描かれていた。

「……あ……」

はるか昔に一度だけ、それもほんの少しの間、この部屋に二、三歩だけ足を踏み入れたことがある。

ウェントワース王子の部屋がこんな感じだったのを思い出した。


と思い付くとこうしては居られない。


寝返って向きを変え、腕の力でゆっくりと体を起こした。
立派でふかふかの寝台から、立派でふかふかな絨毯に両足を下ろしたところで、部屋に入ってきたのはソニアだった。

「……まぁ! ダメですよ、急に起き上がったりしては!」
「……ソニア?」
「ああもう! ほら、まだまだここから出しませんからね」

寝台の枕を整えて、床にある両足を掬い上げ、ローレルが布団の中に仕舞われるまでの早技は、ソニアがきっと体術か何かを会得しているからに違いない。



ローレルが寝ている間に、城の奪還は終了していた。


安全が確保され、ソニアがローレルの世話をするために呼ばれたのが昨日だと、そこからのざっくりとした経緯を聞いた。

話の間に少し温めのお茶を出されて、ローレルはそれを口に入れる。

「うぇ…………にが……」
「お薬です。全部飲んでいただきますからね」
「ぅぅぅ……」
「……坊っちゃまをお呼びしましょうね」
「あ……いや……いい、です」
「ふふ……たまたま席を外している間に目を覚まされるなんてね」

ご機嫌な様子で部屋を出ていくソニアを見送って、ローレルは顔を俯けて盛大に顰めた。



なんか会い辛い。

なんか顔を合わせるのは嫌だ。
なんか絶対に面倒くさいに決まっている。



ローレルは器の中身をごくごくと飲み干して、近くの卓に這うようにして器を置く。
身体の軋みと口の中の苦味にうんうん唸りながらずるずると布団の中に潜り込んで、寝たフリをしようと目を閉じた。


そのまますぐに本当に眠ってしまって、次に目が覚めたのはその翌日の朝だった。



すぐ側でアートが手を握り、椅子に座ったまま眠っていたので、反対の手でアートの頭をもしゃくしゃに撫でた。


ううんと顔を顰めているのが可愛らしくて、しつこく撫で回す。






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