「そうくると思いましたよ」賢明の魔術師は、秀麗な騎士をはなしません。⇔蓮雨ライカ

「すてきですね」

*この回にはゆるいバトルと流血シーンがあります。苦手な方はご注意下さい*










かさりと草を踏む音がして、その中に土や小枝を引きずる音が混じる。
四足歩行、それなりの重量のものが近寄る音。

「……ローレルさん? 夜が明けますよ?」

背を向けて地面に転がっていたが、熾火を挟んだ向かい側から近付いて来るリンフォードの気配は察していたので、ローレルは返事の代わりに軽く息を吐き出した。

上から覗き込む影に顔を逸らせて、地面に敷いている毛布に擦り付ける。

「……目が覚めてました? 寝顔が見たかったのになぁ」

意識は起きていたが、身体は休息しきっていたので、気合いを入れるために大きく唸り声をあげる。
唸り声というよりは雄叫びに近いかもしれない。

「ふふ。その声を聞くと朝! って思うようになりましたね」

日が暮れる前には野営の準備をして食事、夜半までリンフォードが休み、その後交代でローレルが休息を取る。
そんな夜を過ごすのも残り半分を過ぎて、折り返し。半日移動してまた日暮れ前にこの場に戻る予定になっている。

ローレルはこの探索の日程を思い出しながら、どうにか気持ちの部分だけで眠っている身体を起こそうと試みる。

「…………襲う気は無いので、そこから手を離してもらえませんかね? どきどきしちゃいます」

野営をする際ローレルはいつも、自身の相棒を身体に添うように、抱くようにするか、身体の下に敷くようにして眠っている。
もちろん獣や、魔獣、それ以外の敵に対応する為に自然に身に付いたのだが。
近寄ってくるのがリンフォードと分かっていても、音が聞こえた時点で長剣の柄を握っていた。

そのまま地面に両手を突いて、腕の力だけで勢いよく身体を起こす。

「おはようございます。ローレルさん」
「…………おはようございます」
「目の下、すごいことになってますね」

そう言うリンフォードにも目の下に濃い影ができている。
日のあるうちを移動に充てて、日が暮れれば体を休ませることは出来るが、気は張っているしで充分な睡眠も取れない。

失礼とひと声掛けてからリンフォードはローレルの髪に手を伸ばす。

するりと何かが軽く引っかかり、髪を梳く感覚。
ふいと真後ろに手を振った後に、かさりと何かが落ちる音。

「小さな甲虫でしたよ」

色は黒ですと聞いてもいないことをにこやかに答える。

リンフォードの虫除けはよく効いた。
殺虫の成分もあるおかげで、果敢にも寄ってきた虫が頭に止まって息絶えていたらしい。

「…………野営」
「わぁ、憎々しげですね」
「嬉々とするな」

地味に身も心も削られていくのが分かるし、それだから長期の拘束はお断りなのだ。
ローレル的に当てのない探索はなんの楽しみも無い。

ただリンフォードは金払いが驚くほど良い。
無茶は言わないし、させないし、穴や窪みに落ちる以外は余計な手を煩わせることもない。
実に割りの良いお客である。

「さぁ! 腹ごしらえしたら行動開始ですよ!」

昨晩残しておいた食事と、火の始末をしてから一日が始まった。

途中で見つけた小川の上流に向かい進む。

水を確保してから体を清めることにした。
といっても水に浸した布で身体を拭く程度なので、ここでもまたローレルは小さく野営、とつぶやく。むっすりしているローレルに、リンフォードはにこにこと小瓶から虫除けを分けた。



太陽が真上に差し掛かった辺りで、リンフォードは周囲の雰囲気に足を緩める。

「小さな動物の姿を見ませんね」
「…………引き返すぞ」
「どうしました?」

腰にある長剣の留め金を外して、ローレルは長剣の柄を握った。

風もなく空気が澱んでいるような、光がこの場所を避けているような。

すべてを感覚だけに頼っているが、用心に越したことはない。

魔獣特有の臭いがしないうちにと、ローレルはリンフォードが背負っている荷を掴んで後退した。

「なんです?」
「縄張りに入った」
「魔獣の?」
「多分」
「入ってるんなら今さら逃げてもねぇ」
「諦めるのはよくないぞ」

がさりと、自分たちが立てる音以外の葉擦れの音が聞こえて、ローレルは早々と剣を抜く。

「防御壁は作れるのか?」
「できますよ」
「どのくらい保つんだ?」
「……規模と強度でまぁ、色々と」
「自分だけが無傷でいられるのは?」
「丸一日ですかね……相手にもよりますけど」
「私の後ろで防御壁展開。もう無理だと思ったら宣言して逃げろ。野営地で集合」
「了解です」
「私が死んだら、気を付けて帰れよ」
「わぁ。無責任だなぁ」

がさりがさりと音が聞こえるのは、地上ではなく高い場所からだった。
周囲を見回すが、まだそれらしい姿はない。

リンフォードは腰の後ろに手を回して、短刀を抜くと、手の中でくるりと回して柄をローレルに向けて差し出した。

「……術が刻んである」
「解放の言葉は私の名前です」
「人に教えるもんじゃないぞ」
「うん、まぁ、それは騎士(あなた)たちの作法ですよね」

長剣を左に握り、リンフォードの短剣を受け取って、解放の言葉を声に出し、魔力をそこに流す。

短剣はぶるりと震えて、瞬く間だけ青白く光を放った。

何もしなければ普通の刃物として誰でも使えるが、術を刻んであるものは、魔力とその威力を解放する言霊が必要だ。

術と魔力によって切れ味と刀身の強度が格段に跳ね上がる。

「下がっていろ」
「お気を付けて」

魔獣が人を襲うのは、血肉はもちろんだが、その人が持つ魔力に惹かれているという説もある。
実のところは、魔獣と疎通できる者など居ないのではっきりとは解らない。

人を食料と思っているならば、それが多い町に下りて来そうだが、そうでもない。
森から出てこない理由は色々と言われてはいるが、それもはっきりとはしない。要は何も分からないのだ。

それでも時に町に届くほどの暴走が起こる。
その際に襲われる確率が高いのは、小さな子ども、魔力の多い者の順だ。
条件が揃うほど狙われやすい。
今の状況だとリンフォードの方が危険だと言える。

リンフォードはローレルから距離を取り、魔力を漏らさないよう、自分の周りの狭い範囲に防御壁を展開した。

そちらの見事さに気を取られていると、ひときわ大きな音が頭上でする。ローレルは降ってくるものを確認せずに、左腕をひと薙ぎして地に落とした。

人の子どもほどの大きさ、猿の姿に似た魔獣。

この程度の大きさの魔獣は、数で人を襲う。気配からして両手の指の数では足らなそうだ。

四方八方からやってくるのを両断していく。
個体はそう強くないし、動きは俊敏でも読み易かったので慌てることも無かった。
襲ってくる時は一直線に空中を飛びかかってくるから、むしろ叩きやすい。

一度に数匹で来られた時は、後方から光の矢が飛んできて補助をしてもらえた。

他の個体より一回り二回り体の大きな魔獣を倒すと、残りの小さな個体は散るように逃げていく。
集団の頭目を欠いて、敗走する程度には知能があるらしい。


久しぶりにあちこちに血を浴びて、ローレルは息を整えるために深く深く吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。

切り抜けた安堵よりも、この後の面倒さの方が大きい。

「お見事でした、さすがです。ローレルさん、お怪我はないですか?」
「無い……援護は助かった」
「いえいえ、思ったより出番が少なくて、楽をさせてもらいましたよ」

水を用意しますねとリンフォードは近くの小川に足を向け、せっせと革袋に水を汲んでは運んだ。

ローレルは手や頭部に水をかけてもらい、丁寧に清めていく。

「濡れた髪も透けたシャツも色っぽくて素敵ですね」
「体を半分に分けるぞ」
「風邪をひいてはいけないので、乾かしてあげますよ」
「乾かす?」

リンフォードは短く詠唱すると同時に宙空に術を描いて展開させた。

ローレルの腕に軽く触れると、強い風が巻き起こる。髪やシャツが巻き上がるほどで、なんなら少し宙に浮いた感覚すらした。
少し熱いと思えるような風が行き過ぎた後は、水気が全部吹き飛んで、ふんわりとした温もりの残渣が残っている。

「はは! すごいな」
「……あぁ……楽しそうなローレルさんを初めて見ました。感動です」
「……やめろ」
「あらら……すぐ通常に戻りましたね。余計なことを言わなければよかった」

にこにこと、これもまた通常に戻ったリンフォードは、ローレルが清潔な服に着替えてからも、浄化の術をかけてくれる至れり尽せりぶりだった。

「ありがとう」
「どういたしまして」
「……便利なもんだな」
「手間が省けて楽ちんですよね」
「……その分、術を習得するまでには苦心や労力も要っただろう」
「あぁ……ローレルさん。魔術師に理解のある騎士は希少な存在です。素晴らしい」
「騎士じゃない」
「そうでした」
「それに理解はしてないぞ」
「あれれ? まぁ、そういうことにしておきましょう……脱いだ服はどうします?」
「…………埋めよう」
「はは。大地に浄化してもらうのも手ですね。帰ったら新しいものを新調して差し上げますよ」
「結構だ」

水を浴びて滲んだ魔獣の血は、他の生き物のものと違って、すでにどす黒く変色している。
乾いているにも関わらず、かなり異臭もしていた。
洗濯でどうにかなる気もしないし、また着ようという気もまるで起きない。

埋めるのに良い場所を探そうとリンフォードは辺りを見回した。
地に落ちている、長と思われる魔獣の上半身を掴むと、下半身は置き去りに、それを引きずってこっちだと先を歩く。

気持ち樹木の少ない開けた場所に来ると、死体を目立った木の幹に括り付けた。

「……気分が悪いな」
「まぁ、良い眺めではないですね」
「見せしめか」
「そんなところですね」

近場に落ちている丈夫そうな枝を探し、それを手にすると、広場の中央付近に行って穴を掘り始める。

腕が届かなくなるまで掘り進めるのを、ローレルも手伝った。

「この中に服を」
「ああ」

服を放り入れて土を被せて埋め戻すと、荷の中から手のひらほどの大きさの、金属の板を取り出す。

「服の方はついでみたいなものですよ。埋めたかったのはこっちです」

上に置いて、さらに土を被せて、仕上げとばかりにその場を足で踏み固めた。

「転移陣の紋様に見えたぞ?」
「あ、分かりました?」
「なんとなく……詳しくは知らないが」
「縄張りはしばらくは有効でしょうから、他の獣や魔獣はこの辺りに近寄らないと予測されます。なので、ここに陣を作っておけば」
「次は安全に来られると?」
「そういうことです」
「石じゃないのか?」
「そうですね、普通は石に術を刻みます。でも石だと強度に問題があるんで」

ローレルや、一般の魔力が少ない人々が使うものは、用途によって大小様々な石に術が刻まれている。
水を飲み水に変えたり、何かを冷やしたり温めたり、市場に流通しているものは大概が石であった。

確かに雑に扱ったり、使い過ぎるとひびが入ったり割れることがある。
そうなれば術が途切れて役を果たさない。

「金属だと錆びて朽ちるだろう?」
「そうならないように酸化に強い金属を選んであります。強化の術も掛かってますから石より丈夫なんですよね」

剣身と同じですと、とローレルの腰の辺りを指差して、リンフォードはにこりと笑う。

そうだと思い出して腰の後ろに挿してあった短剣を返した。

「助かった、ありがとう」
「お役に立ったようで何よりです」
「…………自分の名前とはな」
「何ですか? 解放の言葉ですか? そんなに変ですかねぇ」
「自己愛か?」
「違いますよ。だって余程で無い限り忘れないでしょう?」
「まあ、確かに」
「剣士さんの中には、長ったらしく詩のようなものを誦じる方がいますよね」
「あれはあれで自分に酔いしれてる感じで気持ちが悪いな」
「忘れたり間違えたり、時間がかかるとか思わないんですかね」
「自信があるんだろうな」
「相手は言い終えるまで待ってあげるんですかね?」
「敵なら親切に待つ必要は無いだろう」
「確かに……ローレルさんはどうなんですか?」
「何が?」

再び腰の辺りを指差して、リンフォードはにやりと口の端を片方だけ持ち上げる。

「騎士様は他人には教えないですよね」
「もう騎士ではない……解放もなにも、術は効いてないし」
「そうですね」
「騎士は大概、解放と言えば済むようにしてるな」
「おっと、そうなんですか? でもそれって他人も使えるってことですよね」
「他人に使われるのを構わない者もいるし、そうでなければ自分の声と魔力だけに反応するようにしてある」
「なるほど。……直さないんですか? 私で良ければ直して差し上げますよ」
「いいんだ……本当に」
「そうですか」



その後はもう探索の時間もなく、後は帰途を辿ることになった。

いくつか標本になりそうな植物を摘みとったが、本命のものは見つからなかった。
一度や二度で見つかるようなものなら探さない、とリンフォードもあっさりと後腐れない様子で、帰ることについて文句のひとつも出ない。

拠点になりそうな、野営に向いた場所も見つけたし、魔獣の縄張りだった場所は、これからしばらくはリンフォードの縄張りになった。
しかも片道三日の距離を転移で行けるのだから、ローレルももうこれでお役御免だと肩の荷が下りた気分だった。



町に戻って、いつものようにカウンターで酒を注ぐ仕事ができる。
度々起こる喧嘩を眺めて、店が壊れそうな時だけ止めに入るのが本業だ。

森の中で鋭く尖ったような気と、疲れた体を元の生活に慣らすように、ゆったりと気分を緩めて過ごす。




三日もしないうちに次の依頼ですとやって来たリンフォードを本気で殴ろうとした。

店を壊されたくない店主が慌ててローレルを止めに入る。





< 3 / 35 >

この作品をシェア

pagetop