はるか【完】
片想


分かってる。本当は。
私は裕太と同じことをしてるんだと。

優しい良くんに私は甘えてる。
私を好きになれない良くんは、この前の私と一緒。裕太を好きにならない私と。

付き合ってないのに、まるで束縛している私は、良くんを解放するべきなのに。

それでも好きで、好きで好きでたまらなくて。
良くんを手放せない。



裕太のことを思い出していると、莉子からLINEが届いた。
届いたのは、良くんが引越しの手伝いに行く日。つまり休日。



『なんか穂高と安藤が、1悶着あったっぽい。潤が言ってる』と。


穂高と安藤。
種を使ったらしい穂高…。
気絶していて、あの時のことは何も知らない莉子…。


『そっか』と送ったあと、スマホを閉じた。




その日はずっと家にいた。
自分の部屋の向こうで、かすかに物音がする。
母親がいるらしい…。
その物音にイライラしながら、私は眠りについた。



頭の中に良くんだけを思い浮かべながら。



夕方に起きれば、少し寝汗をかいていた。
体を起こし、リビングの方にいっても誰もいなくて。机の上に置かれているお金を見て、目を細めた。




私を捨てようとした母親…。


父親の暴力に恐れて、私を置いて逃げた母親…。






そしてその札が置かれている机の下にある、パスケースみたいなものに嫌でも目がいった。


これはいつも、母親が持ち歩いているものだった。


どうやら、これを落とし、母親は仕事かどこかに出かけたらしい。


拾うのも嫌だったから、それを蹴った。


パスケースは壁にあたり、鈍い音をして床へと落ちた。


その拍子にパスケースが、パタリと開き。


そこにあった写真を見て、嫌でも目を見開いてしまった。


色落ちしないように、きちんとラミネートされている〝それ〟に、嫌でも目がいき。


触りたくもなかったパスケースを拾い、その〝日付〟を見つめる。


その〝日付〟は、私が死にかけた日のものだった。






『…──待ってねぇだろうな』


良くんから電話が来たのは、16時頃。



あの後、あの写真を見たあと、玄関から鍵の音が聞こえて私はパスケースを元の位置に戻し、慌てて気づかれないように自分の部屋に戻った。


音からして、また、すぐに出ていったらしく。

リビングに行けば、パスケースはもう無くなっていた。

パスケースを取りに戻ってきたらしい母親…。



「…待ってないよ…」

『お前、しつこい時待つからな』


しつこい時ってなに、と、思わず笑いそうになって。ふふ、と、笑おうとしたのに、笑えなかった。



「良くん…」

『…待ってねぇなら切るぞ』


電話を切ろうとする良くんは、よっぽど私を西高の最寄り駅に来させたくないらしくて。


「私が今から…、駅で待てば…会える?」


無性に、良くんに会いたい私は、わがままを言う。


『今日は無理だって言っただろ』

「…迷惑?」

『…今頃気づいたのかよ』

「りょう、くん…」

『…』

「少しでい、本当に、少しだけ、お願い…」

『…』

「…良くん…」

『…』

「あ、たし、」

『お前…』




「どうしよう…、どうしよう…」

『…』

「あ、たし、あたし…」

『…いま、家か?』

「……ど、すれば…」

『どこにいる?』

「りょ、く」

『どこ?』

「ごめん、ごめ、ん、ごめんなさい…」

『今から行くから、場所言えや』




──…助けて、良くん。
私は、私は、私は──…




良くんは優しい。
ずっとずっと優しい。
目つきは悪いし、怖くて、眉間にシワがよっていていつも不機嫌なのに。
近寄り難い雰囲気を持っているのに。



玄関先で、ずっと泣いている私の背中をぎこちなく撫でるその姿は、全く怖くなくて。


「りょ、くん、ごはん、」


知り合いの人と、約束してるのに。
会うのは少しだけの約束なのに。
もう、15分以上経過している。


「もういい」

「ごめん、ごめんなさい…」

「もういいって言ってるだろ」

「どうしよう…どうしよう…」

「とりあえず落ち着け」



パスケースにあったもの。
それは私の写真だった。
いつ撮ったのか。
もう母親を嫌っている時ぐらいの大きさだった。私の寝顔をパスケースに収めていたそこの、反対側には、ラミネートされたとある物があり。



あれは、どう見てもエコー写真だった。

分かる。

ドラマとかで、見たことある。

シロクロの、エコー写真。

小さい豆みたいなのが、ぽつんと中心にあるもの…。



あの、〝日付〟は──…





でも、私には、〝妹〟や〝弟〟は、いない。



お母さんは、

お母さんは、


お母さんがいない、1週間──…




「なんでっ、言ってくれなかったの…っ、」



玄関と、フローリングの境目。

私がフローリングで足とおしりをつき、まだ靴をはいたままの良くんは、しゃがみこみ「泣くな…」と、、何が何だか分からないはずなのに、背中を撫でてくれる。




「おかあさんにひどいことっ、しちゃったぁ…っ…」


泣いて泣いて泣いて。
良くんの服をぎゅっと掴む。
じんわりと良くんの服も濡れていく。



「入院してたっ、て、 言えばよかったのに…!!」



ずっと泣く私に、良くんは「…大丈夫だから泣くな」と低く呟いてくる。


良くんの声のトーンに、少しずつ…

落ち着いてくるのに、いったいどれだけの時間を使ったのか。


もう、顔はぐちゃぐちゃだった。
良くんの服も、ベトベトになっていた。


ようやくハッとして、良くんの服から手を離したのは、何時頃かも分からず、


見上げれば、良くんと目が合って。



久しぶりに重なり合った視線に、本当に本当に、申し訳なくなった…。


ポロポロと、涙が出た。

良くんは彼氏でもなんでもない。

ただ私が好きなだけの男。

暴君で、女嫌いで、敵が多い男は、ぎこちない動きで背中を撫でていた手を、ゆっくりと肩にまわした。



「…ごめん、ね…」と、私が言った時だったと思う。久しぶりに目が合っている良くんの顔が、歪んだのは。

初めて見る、その顔つき。

それをまるで私に見せないように、自身の胸元に引き寄せてきた良くんは、強く肩にまわした腕を使い抱きしめてきて。


もう泣きすぎて頭がボロボロの私は、一瞬、何をされているのか分からず。



もう片方の手が、私の後頭部に回る。

良くんの指が、ほんの少しだけ髪にからむ。



「りょうくん…?」


名前を呼んでも、良くんはその体勢をやめなくて。



「最悪…」

「ごめん、あた、し…」

「お前マジでしつこい」

「…ごめんなさい…」

「泣くなよ」

「ごめん…」

「……だから慣れてねぇんだって……」



呆れたように不機嫌そうに。



「お前…どうやったら俺のこと諦めんの?」



私を抱きしめる彼は、しばらくの間、私を離さなかった。


諦める、諦めない、そんな考えは無かった。ただ良くんには申し訳ない…って、思ってしまう。

私を長い間抱きしめてくれた良くんの着ている服は、もうカピカピになっていた。
涙か鼻水か。
それを汚いと言わない良くんに、「うち…、ドラム式で乾燥機…ついてるから、」と、洗わせて欲しいと言えば、力を緩めた良くんが私を解放した。



「…帰るわ」

「洗わせて…」

「いらねぇ」

「これぐらいさせて…。私しつこい、から。洗わせてくれるまで帰さないから…」

「何時間かかるんだよ…」

「1枚なら乾燥で1時間ぐらい…」

「遥」


名前を呼ばれ、良くんの顔を見つめる。


至近距離の良くんは、「…お前、俺のこと信用しすぎ」と、ぎこちない指先で私の頬にある乾いた涙のあとをなぞった。



「え?」

「俺が襲わねぇ根拠がどこにある?」



襲う? 私を? 良くんが?



「襲うの?」

「そうだな」

「……私を?」

「ムリヤリやられてぇ?」

「私、良くんならなんでもいいよ」



微笑む私は、良くん服を掴み。



「良くんにもっとさわられたい」

「…」

「良くんが襲っても、痛くても…。良くんの事は絶対怖いって思わないから…」

「……」

「っていうか、良くんを怖いって思ったこと一回もないよ…」

「……」

「本当に、だいすきなの…」


良くんの、私の頬をなぞる指先が止まる。

また苦しそうな顔をする良くんは、首の後ろに手を回し、


「…だいすきだよ…良くん…」


その手が、私を引き寄せる。



至近距離で「……ねぇよ」という良くんは自身の手に力を入れる。


「良くん…」


複雑そうな顔をする良くんに、「……近いよ…」と言えば、「さっきのお前の方が近かった」と反論され。



まだかすかに鼻水が鼻の奥で溜まっていた。


「…めいわく…?」

「かなりな」

「あさも、めんどくさい?」

「ああ」

「なのに来てくれるの?」

「しつけぇからな」

「私と、…会いたくない…?」

「ああ」

「どうして?」

「……」

「私のこと、好きになりそうだから?」

「……」

「慣れてないから?」

「……」

「だから無視するの?」

「……」

「良くん、」

「……」

「毎日、だいすきって言ってもいい?」

「…言うな」



良くんの眉間に、シワがよる。
不機嫌そうな良くんは、私の引き寄せる首元から手を離さない。


ポロリと、1滴、涙が落ちた。



「…だいすき…良くん…」



良くんは動かなかった。
私が良くんの頬に手を伸ばしただけ。



そのまま良くんの唇を狙った私は、浅くそこに口付けた。



唇を狙ったのに、かすめたのは口の横。
「やめろ、」と少しだけ顔を逸らした良くんによって、重なり合うことができず…。


「…バカだな」


良くんが髪を撫で…。
私から腕が離れた。
ふれてほしい良くんの手が離れ、顔を下に向ける。



「…ンな軽い女になるな」


そう言った良くんは「落ち着いただろ」と完全に私から離れ。


「何があった?」


声は低いのに、聞いてくる雰囲気は穏やかで。


「1時間ぐらい聞いてやるから、話せ」


玄関先で7分袖のTシャツを脱いだ良くんは、上半身裸になり。

細くて引き締まっている良くんに、ドキリとしながら。



「ずるいね…」

「あ?」

「諦めろっていうのに、諦めないようにしてくるのは良くんの方…」


良くんの服を受け取った私は、ゆっくりと立ち上がった。


「…私の部屋で待ってて…」



良くんは私の部屋にいるのは、2度目だった。1度目は莉子を運んでくれた時。
良くんは胡座をかいて座っていた。そんな良くんに「これ…」とブランケットを渡した。


受け取った良くんは、それを肩からかけた。


一緒に持ってきた麦茶を、テーブルの上に置いた。


私の部屋に、良くんがいる。



「──…この前、父親に虐待されてたって言ったでしょう」


良くんとの距離は、大人二人分。
正座をした私は、良くんの方に体を向けて。

良くんは返事をせず、どこかに視線を落としていた。


「1週間ぐらい、母親が私を置いて…どこかに行って…死にかけたって言うのも」


それを話す私は、もう父親の心配はないというのに、吐きそうになった。


「私…、どうしても母親が許せなかった…。それは今でもなの。 今更母づらすんなって、靴とかも投げたことある…」


私のブランケットを羽織っている良くんは、当たり前のようにこっちを向かない。


「でも、1週間…いなかったのは、ワケがあったみたいで…」


さっきと違い落ち着いた私は、ゆっくりそれを話す。


「お腹に…子供がいたみたい。 さっき、見たの。エコー写真。あの時の日付と…ほぼ、一緒で…。夏だった。……でも、私には妹も弟もいないから、その子は生まれてない…」


すごくゆっくり話してるのに、良くんは「早く言え」とかは言わず。



「おろした…っていうのも、考えにくくて。多分…、父親の暴力で…危険な状態になったんだと思う…たぶん、…」


たぶん、たぶん──…


「お母さんは私を置いていったわけじゃなかった…」


いまさら、


「なんで教えてくれなかったの…」



いまさら、母親を、お母さんを、昔みたいに「お母さん」って呼べるわけがないのに…。

「──…罪悪感、だろうな」


そう言った良くんに、顔を上に向ける。
罪悪感?


「助けられなかったお前に、責任を感じてんだろ…」


責任…──。
この、10年間?
ううんもう10年以上は経っているのに?


「俺も金だけ渡される」

「え…?」



お金? なんの話し、と、良くんを見ていれば、良くんは私に目を向けた。



「前、身内にお前と同じことをされたって、言ったことあるだろ」

「うん…」

「あれ、俺の兄貴。あいつにボコボコにされて…肺とかに骨刺さって死にかけた、内蔵もボロボロで骨折してたのは1箇所だけじゃない」


兄…、良くんの?

私と同じ死にかけた事がある良くんは、「…あん時の…、思い出しただけで、今でも震える」と、父親の時のような私と同じ思いを告げる。


「親は当時、ただの兄弟喧嘩で処理した」

「…殺されかけたのに?」

「ああ──…そんときから、もう家族は他人だって思って生きてきた」


他人──…



「あいつがネンショーに入った時、急に親の態度が変わった」


ネンショー?
少年院?


「媚売ってくるようになったんだよ」


媚…。


「全く家に帰らねぇ俺とたまに会えば、なんでも好きな物買えって金だけ渡してくる」


金…。


「あの時のこと謝りながら。今さら?って思ったわ」



今さら…。



「兄貴が怖くて、逆らえなかったって…。何回も謝ってくる」

怖くて…。


「ふざけんなって怒鳴ったけど…、今思えば分かる…。俺も怖かったからな……あいつに逆らえないのは…」

「…りょうくん…」

「顔を合わせばずっと謝ってくるから…ダリィから家にはあんまし帰ってない」

「いつもどこに帰ってるの…」

「溜まり場か、聖んとこ…」

「そうなの…」

「お前の母親は逆に謝れないタイプなんだろうな」

「え?」

「罪悪感でずっと謝ってくるやつと、罪悪感で謝れないやつ、どっちがいいんだろうな」


どっちが…。


「良くんは…そっとしておいて欲しかった?」

「そうだな」

「……」

「他人として線引き出来るからな」


他人として…。


「兄貴が怖いのは嫌でも分かるから、どうしても他人として見れない…」

「…うん」

「お前はどうなんだ、事実を知って」


事実を知って…?


「…分からない…。でも、他人は、急に母親にはなれないよ…」

「そうだな」

「お兄さん、どうして少年院に?」


「…歯ァ無くなるほど薬漬け」


そう言った良くんは、私が持ってきた麦茶を、喉の奥に流し込んだ。


「薬って…」

「Sとか」


Sが何か分からないけど、麻薬とか、そういう覚せい剤の名称なんだろうと思って。
人格を失ってしまうもの。


「飲んで捕まったの?」

「…深く入り込みすぎて、ヤベェやつとつるんだ、んで逮捕」

「やばい人…?」

「将輝っつって…、いや、いい、…とりあえず暫くは出てこねぇよ」

「出てきたら、どうするの…」

「…さあ、知らね。もう関わりたくねぇけどな」



暴君の良くんが、関わりたくないと言うほどの兄…。



「私の家…、基本1人だから、いつでも避難してきていいから…」

「女に匿って貰うほどヤワじゃねぇよ」

「…だったら彼女の家に行く、ならいいの?」


私の言葉に、
ふ、と、息をはいた良くんは、「マジでしつこいな」と、投げやりに呟いた。


「うん…しつこいよ?」


ふふ、と、笑えば、
良くんは呆れたような顔をする。


「お前、あれ狙ってんじゃねぇだろうな」

「あれ?」

「こういうのが当たり前、みたいな」


こういうの?
こうして私と2人きりになって喋る事を?



「狙ってるよ? いつの間にか付き合ってるっていうのもアリなのかな?」

「お前な、」

「いつも良くんとキスしたいって思ってる…」



そう言えば、良くんは目元を押さえ、「はあ…」と溜息をつき。


「本当に良くんの事好きだから…」

「…」

「さっきの事も、キスできなかった…って、めっちゃ悔やんでたりするよ?」


冗談のように、本気のように。
笑う私は、膝を立てて両腕で包んだ。


目元を離した良くんが、じ…と、私を見てきて。


「お前は泣くのか…俺をからかってんのか、どっちかにしろよ」

「本音言ってるだけ…」

「…」

「良くんはさっき、私とキスしたくなかった?」

「思わねぇよ」

「引き寄せてきたのに?」

「ああ」

「良くん」

「…乾燥機まだかよ」

「私と付き合って欲しい…」

「……何言ってんだ」

「キスしようよ…」


顔が、赤くなる…
さっきまで、泣いてたくせに。


「良くんにキスしたい」


こんなにも良くんが好き…。



「遥」

低い声が、聞こえる。



「だいすき…」

「やめろ」

「ほんとに好き…」

「…遥」

「付き合って…」

「……勘弁しろよ…」



膝を解放し、手のひらをつき、良くんに近寄れば、「おい」と良くんの怖い顔が牽制してくるけど。

その顔がちっとも怖いと思わない私は、良くんに近づく。


「…顔、ぐちゃぐちゃなんだよブス」

「目、閉じてよ」

「遥」

「閉じて」

「いい加減にしろ」

「…そんなにいや…?」



至近距離の良くんに睨みつけられ、ぴた、と動きを止めれば。
複雑そうな顔をする良くんがそこにいて。


「ブス」と、良くんの指が、私の頬に伸びてくる。その指先が私の両頬をくい込ませるように掴むと、……また、溜息をついた良くんは、


「何回も好きって言ってんじゃねぇよ」と、私の顔を動かないように固定した。


「だっへ、すきだはら……」


だって、好きだから。良くんに掴まれているせいで、上手く喋れず。


「軽い女になるなって言ったばっかだろ」

「…りょうふん、だけ…」

「…さっき、」


さっき?


「雰囲気に飲まれただけだ」


私を引き寄せた時の事を言ってるらしい良くんは、まだ私の顔を離さず。

──…雰囲気…。



「だいすき…」

「やめろ」

「すきだもん…」

「しつけぇ」

「しつこいよ…あたし」



はあ、と、溜息をついた良くんが、
また「勘弁しろよ…」と、つぶやきながら。


「そこまでしてぇのか?」

「…うん」


良くんに触れられている頬が、熱くなる。
少しだけ、良くんの頬を掴む手が弱まり。


「俺と?」

「…うん、良くんはしたいと思わない?」

「……」

「したいのって、私だけ?」

「……」

「りょう…くん…」

「……」

「抱きしめて…」




「マジで…しつけぇな…」




──視界が、暗くなる。

一瞬、それは本当に一瞬で。


私から手を離した良くんは、何センチかの距離で私を見つめ。



「…嘘だよ」

「嘘…?」

「雰囲気じゃない、さっきは」

「え?」

「いいなって思ったから引き寄せた」



いいなと思ったから?
それどう言う…と思っていたら、角度をかえた良くんの顔がまた私の顔に近づいてきて。


再び塞がれたと思ったら、私の後ろに良くんの腕が回っていた。
ぐっと、力強く引き寄せられ、重なりが深くなる。



舌は、無かった。
当たったのは、良くんの唇だけ。


くっついてたのは2秒ほど。
キスをやめた良くんは、良くんの胸元に私を引き寄せると強く抱きしめてきて。


ひらりと、良くんの肩からブランケットが落ちる。


「…ねぇよ、お前は」


苦しそうに、良くんが言う。


「良くん…」

「ない」

「じゃあ、これ、なに…?」

「お前がしつこいからだろ」

「じゃあもっと…しつこくするね…」

「……もうお前とは会わない、無理だ」

「どうして…?」

「…お前がいると調子狂う……」

「だいすきだよ」

「やめろよマジで…」



そう言った良くんに、また抱きしめられた。


ピー…と、乾燥機の音が鳴り響くまで。


キスよりも、私を胸元に引き寄せ抱きしめる良くんは、「…やっぱ、ねぇよ…」と、まるで自分自身に言い聞かせているようだった。








──…男女の友情、というものは存在しないと思う。


もし、付き合っている彼氏がいたとして。
こいつは女友達で何もねぇからと言われて、2人きりで出かけたとする。


それに対して〝ありえない〟〝嫉妬〟〝ムカつき〟などの感情があれば、その〝友情〟を認めてないってことになる。




私と良くんは
私が一方的に思っているだけ。

私と裕太は元カレ元カノの関係だし。




じゃあ彼は何なんだろう?と、黒い髪のその人を見つめた。「よぉ」と、わざわざ家の帰り道で待ち伏せしていたその人は、どうやら私を待っていたらしい。



この人は、私にGPSでも仕込んでいるんじゃないか。



「……穂高」


夕日がさしても、黒い髪のまま。
爽やかな顔つきは夕日がとても似合うけど、もうこの男の性格を知っている私は爽やかだなあ…なんて思わなく。


こいつとの関係は、ただ、真希ちゃんの彼氏で。
私をエサに使って。
真希ちゃんいわく、良くんと仲がいい人。


「ケリついたから、お前に一応、お礼を?って思ってな」


お礼、なんて、思ってないくせに。


「安藤と?」

「ああ」

「良かったね」


安藤VS穂高。
それは穂高の勝ち、らしく。


そう言えばそれらしい事を、莉子が言っていたような気がして。




「じゃあね、」


と言い、その人から離れようとすれば、「お前」と穂高が私を引き止めた。


「名前、広まってんぞ」


その言葉にピクリと反応した私は、再び穂高の方を向く。


名前?


「…え?」

「お前の名前」

「え?」


私の名前?
それが何?
え、っていうか、どうして私の名前?
穂高の言っている意味が分からず、ぽかん、とした顔をしていると、


「高島は、」と、、無表情でそれを告げる。



「中学の頃から、近づいてくる女は殴るかしてた、女嫌いのあいつは女と絶対関わらなかった」


良くんの事を話している穂高…。


「今はもう女さえ、怖がって近づかないけど。──…あいつ、お前が近づいても殴らないし、それどころか普通に会話してる。それがどういう事か分かるか」


分かるか…。


「他人から見れば、高島の異例な存在なんだよ」


異例……。
暴君、良くん。
近づかない方がいい男。



「真希ちゃんは…良くんと仲良いよ」

「真希はもう俺の女だし、高島より俺の名前で広まったから問題ねぇ」

「そう…」


清光の穂高…。
安藤を潰した今、清光で1番権力を持っているのは、この男。
良くんよりも…危険な男。


「…単刀直入に言うけど、お前、このままだと狙われるぞ」


真希ちゃんの時みたいに?
良くんよりも危険な男は、私を心配してくれているらしい。ううん、違う、真希ちゃんに被害が来ないようにしているのか…。



「…それでも…」

「それでも?」

「良くんを好きなの、やめられない…」



ぎこちない、良くんの柔らかい唇を思い出す…。


「穂高が、真希ちゃんを好きで…、真希ちゃんが関わらないようにしてるのは分かってる。でも、穂高だって分かるでしょ、真希ちゃんを好きになるなって言われても簡単に分かりましたって言えないでしょ」

「ああ」

「真希ちゃんが危ない目に…ってなったら、その時はあんたが守ればいい話だし」

「他人事だな」

「守れないの?」

「うぜ、その言い方」

「良くん…」

「あ?」

「あんたと仲良い理由、分かった気がする」



穂高と、良くんは何となく似てるから。
裏で守っているから。
穂高は真希ちゃんを。
良くんはチームを……。



「あいつと仲良いとか、気持ちワリィな」と、うっすらと笑みを浮かべた男は、「──…さっきの話の続きな、」と、夕日をバックに私に目を向けた。



さっきの続きの話?


「高島のことを1番嫌ってたのはどこと思う?」


全くどこからの続きか分からないけど、穂高の質問に顔を傾けた。

高島のことを嫌ってる?1番嫌ってる…。
それはつまり良くんを狙っている奴ら…。



そう言われて思いつくのは、ひとつしかなく。


「…それって、」


清光の、安藤派では?


「そいつらはどうなってる?」


どうなってる…。


「…あんたが、ケリつけた…」

「だな」

「え?」

「そういう事だ」


そういう事…。


「正直、1番危ないところはそこだった。他はもうそれほどじゃない。清光はもう、お前らんとこに手ぇ出さないからな」


手を出さない…。実質、穂高が1番上になってしまったから。


穂高の言うことは、絶対。


「高島の女で? 1番になっちゃった清光の穂高の女の友達? そんな女に手ぇ出してくるザコはもうバカしかいねぇよ」


バカしかいない…。


「あの、」

「後はもう、あいつ次第」

「私、狙われてるんでしょ?」


さっき、あんたが、そう言ったのに?


「だから高島と俺をバックにつけてるお前を狙うやつはいねぇって」

「名前が広まってるって」

「高島の特別だってな」



特別──…


「穂高」

「あ?」

「さっきから何言ってるの…?」




ふ、と、爽やかに笑ったその人は、「だから礼しに来たって言ってんだろ」と、〝その続き〟を口にする。



お礼…。

穂高のバック…。

それを意味するものは…。


「ほ、だか…」


だって…。…え?


「俺は〝今でも〟反対されてる、けど真希の顔みたらどうでも良くなる。それで十分だろ」


十分…。


「って、高島に伝えるよう真希に言っとくわ」



夕日はもう沈みかけている。
そんな夕日に向かうように穂高は歩きだし。



もう、私を狙ってくる良くんの敵はいないという〝お礼〟を言いに来たらしい穂高の後ろ姿は爽やかで。

やっぱり清光で1番には見えず。


私の事を応援してくれている彼の背中を、見えなくなるまで見送った。






────昨日の性格の悪い男を思い出しながら、私は良くんを、駅で待った。
西高の最寄り駅。


どうして待つか、それは昨日と一昨日の夜、良くんは私の電話に出なかったから。3日前、私とキスをして「ない」と言った良くん…。

そんな良くんは、朝、駅から出てくる事はなくて。


たまり場で寝泊まりしていると、良くんが言っていた事を思い出した。西高に近いたまり場。
だとすれば駅で待っても、意味が無い気がして。


でも、良くんは電車を使ってた。

あれは多分、聖さんのところにいってたんだろうと考えながら。

自分の学校へギリギリに向かったその日の夜も、良くんは電話に出なかった。




その日の朝、お母さんがいた。リビングに。

「あ…、おはよう、はるか、」と、母親面をするお母さんに、「…おはよう」と返事をしたのは、凄く勇気がいって。


久しぶりに見るお母さんの顔は凄く驚いてたけど、すぐに笑みに代わり。


「パン、たべる…?」と、恐る恐る、ぎこちない声で呟いたお母さんに、私は小さく頷いた。




「ええっ、穂高がそんな事を?!」


朝も、良くんは来なかった。
名前が知れ渡っているらしい私の顔を、駅を使う人はジロジロ見てきた。
ジロジロ見られてもどうでもいい私は、良くんが現れることをただ待つのみ。


「やばいじゃん、穂高良い奴だったの?!」


学校で、穂高が来た事を言えば莉子はテンション高そうにする。


「良い奴ではないと思うけど…」

「だってつまりさ!自分の女と同じことをしたってことでしょ?!」


自分の女と同じ?
真希ちゃんと?
何が?って思っていると、



「真希?だっけ? 穂高の彼女!」

「うん」

「前は1番の聖さんと、やばい穂高が真希って子を守ってたんでしょ?」

「…そう、だね」

「今は1番の穂高と、やばい高島が遥を守るって事じゃん?」

「……」

「前例があるからね、確かに遥を狙うザコはいないわ」



うんうん、と、納得する莉子は、「なんだろ、穂高。あいつ悪いやつじゃなかったの〜?」と未だにテンションが高く。


「…でも、良くん、私の事は〝ない〟から、多分もう会ってくれないよ」

「なんでないの?」


…良くん、好きな子いるし。
それに、メンバーの元女だし。

私にキスをしてきた男は、嫌われる必要は無いと。



「でも、ま、これで西高で待てるじゃん」

「え?」

「遥に文句言ってくるやつ、もういないってことなんだからさ」

私に文句を言ってくるやつはいない…。


「バックが穂高か…えぐ」


両頬をおさえている莉子…。
そんな莉子に、良くんとキスしたなんて、言えず。


「ってかそれならさ、高島が穂高んとこに入るとか、傘下にしようとしてるとか、嘘じゃん」と、思い出したように莉子が呟いていて。



「…今日、早退する」


そう言った私は、立ち上がった。


「え、マジ?」

「良くんに会ってくる」

「え!」

「私も穂高と同意見だから」

「え?」

「その人の顔を見れたら、いいみたい」






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