みずたまりの歩き方
商店街のファストフード店は客席が二階にあり、ふたりは窓辺のカウンター席に並んで座った。
立ち並ぶ商店や住宅の隙間から線路が見える。

「師匠にも声掛けますか?」

馨に対局の予定がないことを確認して、美澄は久賀に尋ねた。

「わざわざ呼び出す必要はありません」

「『必要』じゃなくて、会いたいかどうかですよ」

「馨に会いたいと思ったことはありません」

「師匠もまったく同じこと言いそうです」

くすくすと笑う美澄に、久賀は無言と無表情を返す。
深い繋がりと信頼があっても、久賀が奨励会を退会した際に一度は切れた縁だった。
それが今は美澄の存在によって繋げられている。

「でも、師匠と指してるんですよね?  オンラインで」

馨だけでなく、久賀は最近、奨励会員やアマチュア強豪と対局を重ねているらしかった。

「……あまり勝てていませんが」

「師匠は無意味なことはしませんよ」

ガラス越しに小さく電車の音が聞こえてきた。
駅に向かってスピードを落としながら、電車が通過していく。

「先生と師匠は、こうしてお茶を飲んだりしなかったんですか?」

「記録係で遅くなった時は、よくコーヒーショップで一晩過ごしました」

プロの対局の棋譜を取る記録係は、奨励会員や女流棋士が担当する。
対局によっては日付が変わることもあるので、そういう時のことだろう。

「一晩! 何してるんですか? まさか将棋?」

「いえ、ずっとトランプしてました。お店にとっては迷惑この上ない話ですけど」

棋士はトランプでもボードゲームでも、基本的にゲーム好きが多い。
そしてギャンブル好きも多い。
馨と久賀ならそれほど乱れたことにはなっていないと思うが、美澄は男子の青春に呆れた眼差しを向ける。

「先生も師匠も、ちゃんとばかな男の子だったんですね」

楽しそうにココアのホイップクリームをすくう美澄を、久賀は痛みを含んだ目で見つめた。

「僕はばかな人間ですよ」

パタンと扉が閉まる音が聞こえた気がして、美澄は久賀の顔を見た。
いつもと同じ眼鏡が、今はまるで心を読ませまいとするシャッターのようだ。

「そんなことありません。絶対にありません」

その堅牢なガラス扉を、美澄は叩き割ろうとする。

「あなたは何も知らないから」

「じゃあ教えてください」

間髪入れずに詰め寄ると、久賀はわずかに怯んだようだった。

「すみません。僕のことなんてどうでもいいんです」

「先生!」

幕引きしようとする久賀を、美澄は許さない。
中途半端な時間ゆえに静かな客席。
睫毛一本動かしがたい緊張が降りる中で、引いてはならない、と美澄も瞳に力を込める。
眼鏡の奥で目を閉じた久賀は、ゆっくりと呼吸をした。
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