みずたまりの歩き方

「でももう一回考えてみます」

美澄は指摘された変化をメモする。
久賀は向かいの席からその姿を眺めた。
ふと、美澄が顔を上げる。

「先生」

「はい」

「先生はどこで服買うんですか?」

想定していたどの質問とも違っていて、久賀はとっさに言葉が出なかった。

「……………………え?」

「着ている洋服、どこで買ってるんですか?」

紺色のチェックシャツを指差され、同じ質問をくり返されて、聞き間違いではないと理解した。

「……適当にその辺で。駅ビルとか」

「へえ」

含みのある声と視線を向けられ、久賀は自身の服装をざっと見る。
今日は厚手のシャツに黒いパーカー、ベージュのパンツを穿いている。
特に変わったところはないように思うけれど、他人の視線は居心地が悪い。

「何ですか?」

「いつも同じような服装だなって。だいたい青とか黒のシャツですよね。それで中にTシャツを着るか、上にパーカーを羽織るか」

夏は薄手の半袖、冬は厚手の長袖。
久賀が気をつけるのはそのくらいのことだ。
黒かベージュのパンツを合わせていれば、変な目で見られることはない。

「何か問題が?」

「買う理由がないじゃないですか。無難過ぎて」

「……買う、理由?」

将棋なら美澄の指し手はある程度予想できるのに、会話になると同じ言語を話しているとは思えないほど噛み合わない。

「心を掴まれるポイントです」

「ポイント……」

幼子のように美澄の言葉をただくり返す。
もうじき二十七になるというのに、生まれて初めての難問に直面していた。

「……サイズと値段です」

久賀なりに精一杯答えたのに、美澄は、ふぅん、と頬杖をつく。
一応納得したようにうなずくが、その実まったく気持ちが入っていない。
それなら、と久賀も反撃に転じた。

「では逆に伺いますが、」

「はい」

「どういうメンタルになったら、そんな服を着ようという気になるんですか?」

美澄は今日、白いシャツの上に山吹色のカーディガンを重ねていた。
ただしカーディガンの袖は右腕が長袖、左腕は半袖になっている。

「だってかわいいじゃないですか」

「かわいい……?」

久賀は我が目を疑うように、ずれてもいない眼鏡の位置を直す。

「はい。かわいいです」

美澄の返答は、久賀のどんな理屈も粉砕した。

「よく行く古着屋さん、安くてかわいい服がいっぱいあるんです! これもカレーライスみたいで一目惚れしました。七百円」

「カレーライス……ですか」

「これが福神漬」

美澄は襟元につけた赤い花のブローチにちょん、と触れた。

詰んだ。
これ以上踏み込んでも勝ち目はない。

「……まだ時間あるし、もう一回やりましょうか」

「はい!」

美澄との間には、見えないけれど大きな断絶があるらしかった。


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