みずたまりの歩き方

飽きずによく降るな、と久賀は空を見上げた。
わたあめのように濃密な雪が、靴の下でギュッギュッと音を立てている。

暑さ寒さも彼岸まで、と言われるように、雪も二月半ばを過ぎるとさほど降らなくなるらしいが、まだその気配はない。
夏の暑さで溶けそうだったことが前世の記憶のように遠く思える。

美澄が姿を見せなくなって一週間が経っていた。
元々試験期間なのだから、忙しくしているのかもしれないし、もし将棋をやめたなら、それはそれで仕方がない。
むしろその方がいい。
美澄の理解の早さも感覚も惜しいとは思うけれど。

昨日帰り際にも雪かきしたのに、今朝も10cmは積もっていた。
風除室の前には、除雪車からこぼれた雪の塊が壁のように残されている。

「いつからいたんですか?」

雪壁の向こうで、タンポポ色の人影が傘を握りしめてうずくまっていた。

「おはようございます」

「挨拶はいいから、とにかく入って」

室内に押し込むと、エアコンの風が直接当たらない席に座らせ、設定温度を三度上げた。
コーヒーが落ち切る前に、美澄の分だけカップに注いで目の前に置く。
しかし美澄はそれに手を伸ばさず、立ち上がって深々と頭を下げた。

「先日は申し訳ありませんでした!」

長時間寒い中にいたせいか、少し口が回っていない。

「先生はずっと好意で教えてくださっていたのに、あんなみっともない将棋に付き合わせて。あれから、ちゃんと本を読んで、考えて、勉強してきました。だから、もう一度教えてください」

机に取り残されたマグカップを、久賀はもう一度美澄の前に持ってきた。

「いいから座って飲んでください」

美澄が口をつけるのを確認してから、久賀も自分の分のコーヒーを運んでくる。
エアコンの風は、まだ冷えきった空気だけを吐き出している。

「ひとつ約束してほしいのですが、」

カウンターに腰を下ろして話しかけると、力強い瞳で見つめ返された。

「勉強はちゃんとやります」

「それは約束以前の当たり前の話」

美澄はカップを置いて姿勢を正す。

「僕は九時にここに来ますから、それより前には来ないでください。あなたが早く来ると、僕はさらに早く来なければならなくなります」

「はい。約束します。ありがとうございます」

美澄はほっとした表情でマグカップを包み、手を温めた。

「先生、もしかして毎日九時に来てました?」

「あなたはいつも突然来るので」

「もう辞めようかと思いました」

「僕もそう思ってました」

ほんの少し美澄が微笑むと、久賀も唇を引き結ぶように口角を上げる。

「まずは掃除しましょうか」

「はい!」

カップを置いてカウンターから降りると、美澄もタンポポ色のダウンを脱いで、トイレへと走って行った。


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