鬼麟
 早く起きて、と言外に手を離せと言えば、彼はおもむろに私を抱き寄せた。どうしたのかと問おうか迷う中、彼はパッと離れてしまう。

「よし、充電完了」

 そう言って体を起こして満足気に伸びをする彼の背中はがら空きで、立ち上がろうとする前に今度は私が飛びかかった。
 慌てる彼とは反対に、いじめてやるとばかりに腕を首に回す。必然的に苦しくなるのか、ギブと上がる声は情けない。

「ちょ、棗! なんか当たってるんですけど!?」

「んー? あー、ブラはなかったから」

 パンツは置いてあったのに、ブラはなかったのだから付けられなかったのだ。仕方がないとばかりにそう告げれば、彼の泣き叫ぶ声が響いた。





「いい? 棗は女の子なんだから、ああいうことは男にしてはいけません」

「綾ってばお母さんみたいだね」

「せめてお兄ちゃんって言ってくれる!?」

 大きな溜息とともに彼は朝からパスタなぞを頬張っており、よくもまぁそんなに食べられるものかと思ってしまう。
 私が食べているのは彼がうさぎの形に切ってくれた林檎で、しゃくりと瑞々しさに満足感を得る。
 林檎を咀嚼する私の前に差し出されたのはフォークに巻き付けられたパスタで、食えるかと訊く彼の瞳は既に答えを知っているだろうに揺れた。そんな顔をするなと言ってやりたいが、それを口にすることは出来ずに首を振る。
 あの日以来、食が細くなってしまった私には綾のような普通のものを口にすることを体が拒むのだ。
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