副社長氏の一途な恋~執心が結んだ授かり婚~

3 大事な話

 麻衣子が本社に来て社長にレクをするのは、おそらく三十回を越える。
 新城社長は、プレゼンではなくレクチャーという言葉を好んで使う。現地のことは現地の方に教えてもらうのが一番だよと、いつもおだやかに構えている人だからだ。
 その一方で「副社長氏」反田晃は、冷酷と現地に恨まれることもあるくらい、会社を引き締める役目を担ってきた。
 晃がノーと言ったら社長を納得させるしかない。そういった現地の声は、麻衣子もたびたび耳にしていた。
「さて、時間だね」
 その日、レク室に現れたのは社長ではなかった。
 社長の席に座っていたのは、次期社長である社長の一人息子、新城出海(あらきいずみ)だった。
「相原さんのレクを聞くのは久しぶりだ」
 にっこりとおだやかにほほえんだ出海は、麻衣子と同期だ。
 天使と呼ばれる彼は、時に優しく、時にしたたかで、味方につければ大きな力になる。
 それに対して、もう一人のレク相手である晃は無言で席に腰を下ろした。麻衣子の側もあいさつをしたくらいで、世間話など切り出さなかった。
 出海と晃、麻衣子。奇しくも同期三人の、立場ばかりが違うレクが始まる。
「最悪、海上封鎖がされた場合の輸送ルートも想定しています」
「その間の社員の安全確保も?」
「もちろんです。こちらをご覧ください」
 勝算が少しだけ高くなったために、麻衣子は雄弁になりすぎた自覚がある。 
 ちょうどいいキャッチボールのように言葉をかける出海に、麻衣子は用意していた資料で説得にかかる。
 出海の反応に手ごたえを感じていた。もう少し、もう少しと、つい視界から晃をシャットアウトするように出海の方ばかりに言葉を返す。
「最悪の場合を想定したのは、現実にその事態が迫ってる情報があるんじゃないか?」
 だから晃がそう言ったとき、それは矢のように麻衣子の不安に突き刺さった。
 麻衣子は思わずごくりと息を呑んで晃を見る。
「未確認情報。でも現地では薄々わかっている情報があるはずだ」
 どうしてこの人には見えてしまうのだろう。麻衣子は歯噛みする思いでそれを聞いていた。
 現地の社員がそっと麻衣子に教えてくれた。じきに政変があるだろう。渡航禁止になって、物流も止まるかもしれない。
 僕らは自分の国のことだから仕方ないけど、マイコみたいな外国人が巻き込まれる必要はないから。現地のために仕事をしてくれるのはありがたいけど、早めに国に帰った方がいいよと。
 本社に情報を漏らされたら彼らの仕事がなくなるのに、彼らは麻衣子を心配して教えてくれた。
 だからこそこの情報は本社には言えなかった。麻衣子の甘さだと言われればその通りだが、甘さを捨てきれないのが麻衣子の性格だった。
「風評で取引を左右しないのが、当社の方針のはずですね」
 麻衣子は主張を変えなかったが、たぶんその中にある不安を二人は見抜いただろう。
「情報を出すのをためらっていないか。防げる事態も防げなくなるぞ」
「私たちは常に必要な情報を提供しています。現地が信用できませんか」
「では、政変の兆候はないと?」
 ありません。麻衣子が嘘を口にするのを止めたのは、二人のやり取りに冷静に耳を傾けていた出海だった。
「この計画は延期としよう」
 麻衣子と晃、どちらも不満をこめた目で出海を振り向いたが、出海は社長譲りのおおらかさで二人の視線を受け止めた。
「取引を始めるには多少の時間と確実な信頼関係が必要だ。父もよくそう言っているね?」
 出海が口にしたのは確かに社長の方針そのもので、麻衣子と晃は渋々ながら反論の言葉を飲み込む。
 三年は計画を延期するという方向で調整することに決まり、レクは終わった。
「おつかれさま、相原さん。現地も寒くなってきた?」
 帰り支度を始めた麻衣子に、出海はおっとりと問いかける。
「そうね、多少は」
「体に気をつけて。風邪ひかないようにね」
「ありがとう。新城君も」
 出海はさりげない気づかいのできる同期だった。優男が嫌いな麻衣子だが、出海の上品さに悪い感情は持っていない。
 ただ、こうやって同期がそろったとき、まったく無言の男がいる。
「じゃ」
 本当は彼と一番話したいのに。麻衣子はいつもそっけなく言い捨てて、晃に背を向けるしかできない。
 ん、という声が背中に聞こえた気がした。言葉とはいえないようなその声に全身の神経を傾けている自分がいた。
 バッグを肩にひっかけてレク室を出る。数歩歩いて、麻衣子は頭を押さえた。
 仕事だから仕方ないでしょ。そう言い聞かせても、今日の私も彼に気に入られるところは欠片もなかったと泣きたくなる。
 泣くのは格好悪いからという意地だけで歩いて半刻経って、支社の社員から本社の恋人へクリスマスプレゼントを持っていってほしいと頼まれたのを思い出した。バッグに入ったままのガラス細工に上から触れる。
 海を越える恋なんて素敵じゃない。そうほっこり思ったのは支社の社員本人には言わなかったが、ガラス細工を壊れないようぐるぐる巻きにして大事に持って来た。 
 本社に戻ってその恋人の女性に渡すと、まんざらでもなさそうだった。
 そうね、クリスマスだものね。私の恋は実りそうにないけど。多少ダメージを受けながら廊下を歩いていたら、レク室の前を通りかかった。
「そんなに落ち込まなくても。彼女だって仕事だから仕方ないってわかってるよ」
 出海と晃はまだレク室にいた。麻衣子は思わず足を止めて、隠れるように壁に身を寄せた。
「今日の俺も、あいつに気に入られるところは欠片もなかった」
「そうかな。今日の晃のネクタイの色はなかなかいいと思うよ。彼女に会うとき、いつも新調してくるよね」
「やめろ、白々しい」
 あいつって誰? 麻衣子は心臓がばくばくと鳴るのを感じながら、耳を澄ませるのをやめない。
「まだ今夜があるだろう? 「大事な話」、がんばってね」
 出海の言葉を聞き終わる前に、麻衣子はその場を逃げるように立ち去っていた。
 夕方の外気はずいぶん冷たくなってきていた。
 でもそれも遠い世界のように、大事な話という言葉が麻衣子の耳にこだましていた。
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