副社長氏の一途な恋~執心が結んだ授かり婚~

9 瑠璃石の腕輪

 会社に迷惑はかけないと、晃は一週間の休暇を取って単身でその国に入国した。
 入国禁止は解かれたものの、現地ではまだ毎日殺傷事件が起きている。現地で雇ったガイドは、大人の男でも決して一人で出歩かないようにと釘を刺した。
 晃は真っ先に、麻衣子を見たという元社員を訪ねた。
 彼は晃を警戒しながらも話をしてくれた。
「小さな男の子の手を引いて、市場でサジェを見ていたんだ」
 サジェというのはこの国では子どもに必ずつけさせる、瑠璃石のついた腕輪のことだ。
 彼は麻衣子には好意を持っていたのだろう。麻衣子を語る口調は親し気だった。
「マイコには仕事でずいぶんお世話になったしね、声をかけたかった。でもジャイコブが見せつけるみたいにマイコの肩を抱いて、こっちをにらむものだからさ」
 晃は目を鋭くして問いを挟む。
「ジャイコブ?」
「一時支社にいた社員だよ。今は実家の農場を継いだはずだ」
「その市場というのはどの辺りなんですか?」
 追及した晃に、彼は渋い顔をした。
「行くつもり? やめておいた方がいいよ。マイコは鍵付きのサジェをつけてた」
 鍵付きと聞いて、晃も眉を寄せる。
 サジェは本来、お守りだ。子どもが成人したら外す。けれど庇護が必要な場合、大人になってもはめることがある。
 古い時代、女性は皆サジェをつけるよう義務化されていたが、法改正で既婚女性は外すことになっていた。
 けれど今でも未婚の女性にサジェをつけるのは、民間の風習で残っている。
 それも、鍵付きのサジェをつけられているのは、子どものできた愛人の女性という現実があった。
 晃はいてもたってもいられなくて、あいさつもそこそこにその市場に向かった。
 麻衣子のいない三年間、晃は地獄の中にあった。だが麻衣子はそれ以上の地獄にいたのではないか?
 望まない妊娠の果て、錠を下ろされた生活を強いられていたかもしれない。出国して逃げることもできないまま、どんな気持ちで過ごしていたのだろう。
 目的の市場は車で三十分ほどで着いた。ガイドと一緒に市場を歩く。
 季節はそろそろ春で、乾いた土ぼこりの中に陽射しの匂いが漂う。
 田舎の方だったから、時々は女性の姿もみかける。雑貨店の店主に聞くと、この辺りは治安も比較的良く、昼間なら女性が一人で出歩くこともあると聞いた。
 露店を回って、小さな男の子を連れた東洋人らしい女性の目撃情報を探した。
 何人か、それらしい女性を見たと話していた。彼女は近くの農場に住んでいるらしいが、体が弱いらしく市場に来るのは月に一度ほどだという。
 晃は何日でも待つつもりでいた。休暇は一週間だが、いよいよとなれば会社をやめる覚悟もある。
 気持ちは、一刻も早く麻衣子に会いたいと走っていく。
 麻衣子ともう一度引き合わせてくれるなら、何をなくしても構わないから。
 もしかしたら晃の願いが、残酷で気まぐれといわれるこの地の女神に通じたのかもしれない。
「あ……」
 薄茶の長衣姿で露店を見ていた女性がいた。強い陽射しを防ぐために頭に布を巻いて、一瞬だけ横顔がのぞいただけだが、まちがいない。
 すぐに歩み寄ろうとしたが、行き交う人混みに邪魔されて、十メートルほどの距離が縮まらない。
 麻衣子はゆったりした服でもわかるほど痩せていて、顔色も悪かった。いつもきっちりとスーツをまとっていた頃が考えられないほど、やつれて力ない様子だった。 
 けれど名前を呼ぼうとして、晃は目を見張る。
 麻衣子は何かをみつけたように笑う。青白い頬をほころばせる。
 麻衣子が屈みこんで腕を広げた先で、男が抱っこしていた小さな子どもが、下ろしてもらうなり麻衣子に走ってきていた。
 男の子は麻衣子の腕の中に飛び込む。お母さんと言ったのがわかった。
 ……うなずいて柔らかく笑った麻衣子は、地獄にいるようには見えなかった。
 男の子を連れてきた男が、晃に気づいたらしい。けん制するように晃をにらむと、麻衣子のベールを巻きなおして、抱きかかえるようにして麻衣子を連れていく。
 すぐに追うべきだと思ったのに、麻衣子が一瞬見せた笑顔に足が凍った。
 麻衣子の左手首にはまった鍵付きのサジェが、晃を嗤うように光っていた。
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