逆プロポーズした恋の顛末
まったくパワーの落ちない幸生に対し、尽はすでにややお疲れモードだ。
わたしと目が合うと、「まいった」というように首を振ってみせる。
しかし、パパの仕事はまだまだ続く。
彼が腰を下ろし、コーヒーに手を伸ばしかけたところで、幸生がパンを差し出した。
「パパ、おねがい!」
「……ジャムか?」
「うん!」
イチゴジャムを塗ってやるのも尽の係だ。
「パパ、ありがとう」
「どういたしまして……」
「コーヒーじゃなく、幸生と同じジュースがよかった?」
冷めてしまうだろうとからかい交じりに訊けば、軽く睨まれた。
「コーヒーでいい」
「パパ、こわい顔したらママにきらわれちゃうよ?」
幸生の警告に、尽は神妙な面持ちで頷いてみせる。
「そうだな。気をつける」
「でも、ぼくはこわい顔のパパも好き!」
顔をくしゃりとさせて笑う幸生に、尽は苦笑いだ。
研修で小児科も回っていたからか。
それとも、もともと子ども好きなのか。
尽は、とてもつい二週間前まで独身だったとは思えないパパぶりを発揮している。
食事中、幸生がおしゃべりに夢中になって手が止まると、さりげなく食事に意識を向けさせる言葉をかける。
突発的に出る「えいごではなんて言うの?」攻撃もあしらったりせず、きちんと答えてやる。
しかも、各野菜がどんな風に身体にいいのか、どうしてよく噛んで食べなくてはいけないのかなど、ついでに食育までする。
そんな風にしていられるのも、期間限定だから……とは、思わなかった。
幸生のワガママっぷりを見るにつけ、わたしだったら手を焼き、苛立って、つい言うことを聞かせようと叱りつけてしまうかもしれないと思う。
何事にも冷静に対処する訓練を積んでいるからなのか、尽の余裕が羨ましい。
「ママ? ママは食べないの?」
「え? あ、うん、食べるわよ?」
「じゃあ、パパ、ママにもジャム塗ってあげて!」
「…………」
尽は、「自分で出来るだろ」とわたしに目で言い、パンに齧りつこうとしたが、じいっと見つめる幸生の視線に負け、わたしのパンにジャムを塗り始めた。
「……あ、ありがとう」
笑いを堪えるのが苦しい。
「……どういたしまして」
何も特別なことなどない、慌ただしい朝の一幕。
でも、いまこの狭い部屋に満ちているものに名前をつけるとしたら、「幸せ」以外の言葉は思い浮かばなかった。
こんな朝が、明日も、明後日も、明々後日も、その先もずっと続いてほしい。
そう思わずにはいられなくなっていた。