『191ヶ月13日の命』
しかし、1週間経っても彼の意識は戻る事なく16日のままでした。

私は彼にどれだけ重い障害が残ってしまっても必ず支えるから命だけは本当に返して欲しいと願いました。
生きてさえいてくれれば、障害や後遺症を抱えても、私は一生離れず支えると決め、この事故で出来てしまった大きい壁を必ず一緒に乗り越え一緒に成長していきたい、それが私のこれからの生きる道だと強く決心しました。

大好きな彼と付き合い、いっぱい笑ったり泣いたり、怒ったり怒られたりと傷付け合う事もありましたが、沢山の愛情表現でどんな時も1つの心と体で受け止めてくれました。

私は本当に彼の名字になりたいと思っていました。
勿論この気持ちは何年経ってもずっとずっと変わりません。

事故から6日後、彼の母上様からご連絡があり、血圧を安定させる3種類の点滴が1種類減り、血圧も徐々に安定してきたということでした。
その時、MDにメッセージを録音してはというお話を頂き、5日後に私はメッセージを録音したMDを持って病院を訪れました。
少しでも良くなっている事を信じ、祈りながら…。
この後に最悪の事実を突き付けられる事など全く知る由もなく…。

病院に着くと、沈んだ表情で一歩一歩重い足を引きずるように歩く父上様の姿が見え、私も父上様の方へ向かい、録音したMDを差し出した時でした。
静かな口調で「何分か前に息を引きとった」と言われた父上様の言葉に声も出ず、膝はしきりに震え、頭の中は思考がシャッターを降ろしたように中断され、胸の張り裂ける思いでした。
届けたMDは受け取って頂きましたが、私の声が彼に届く事はないという失望感で、もっと早く届ければ良かったと、自分を責める事しか出来ませんでした。

その時、私は彼の御家族に掛ける言葉が見付からず、頭の中が真っ白のまま病院から家に向かいました。
その途中、私は心の中で何度も何度も自分に問い質しました。
"息を引きとった?心臓が動いてないって事?何で?人の死ってこの事?"
何回も鼻の奥が痛み、目から染み出る涙を我慢していましたが、家に着いた途端、視界が滲み、自分の部屋で泣き崩れました。
全身が震えるほど心が乱れ、自分が自分では無くなっていく感じがしました。

最後まで生きようと頑張っていたのに…。
少し前までいつも通り笑ってた…。
まだまだしたい事が沢山あるはず…。
信じられなかったし、信じたくなかった…。

「どうか悪夢でありますように…」。

涙が止まりませんでした。
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