背伸びしても届かない〜恋を知った僕は、君の心に堕ちていく〜

部長の話

 一花は職員室の前で懐かしい人を見つけると、目を輝かせながらその人の元へと駆け寄った。

「部長!」

 柴田は一花に気付くと、久しぶりに会えた後輩を見て、満面の笑みを浮かべる。

「よっ。元気そうだな。ちょっと大人っぽくなったんじゃないか?」
「ほ、本当ですか⁈ なんか照れますね」

 尚政から一花の情報を聞いていたが、実際に会ってみると想像以上の変化に驚いた。

「今日はどうしたんですか?」
「ん? ちょっと必要な書類があって取りに来たんだけど、ついでだから先生たちにも挨拶しておこうかと思ってさ。調理部はどう?」
「後輩もぼちぼち増えたし、楽しいですよ!」

 一花の変わらない柔らかい雰囲気に、柴田はふっと懐かしさを覚える。なるほど。千葉が最近穏やかな感じがするのは、やっぱり一花ちゃんの影響なのかな。

「千葉とはどう? うまくやってる?」

 すると一花は困ったように笑う。

「なんというか……変わらず仲良しです」
「……なんか不満でもあるの?」
「……先輩はいつも優しいし、私のことを大事にしてくれてるのはわかるんですが……それ以上の関係にはやっぱりなれなくて……」

 その辺りのことは本人から聞いていたから、柴田も事情は知っている。

「友達以上恋人未満っていう関係、本当にあるんですよね。でもそろそろ私のことを信用して欲しいなぁって思って……」
「……あいつの昔の話は聞いてる?」
「あの……付き合っていた彼女と、その友達のことですよね」

 柴田は頷くと、職員室前の廊下の壁に寄りかかる。

「そう。あのことがあるまではさ、俺たちそんなに仲良くなかったんだよね。あいつはどっちかっていうとクラスで目立つタイプのグループにいたし、俺はその逆のタイプだったし。だけどあの一件以降、あいつは人と深く関わろうとしなくなってさ。人当たりはいいんだけど、壁を作って本当の自分を隠したんだ」

 前に尚政本人から聞いたのとは違う視点からの話に、一花は集中して耳を澄ませた。

「中学生ってまだ心が成長している途中でさ、その時に受けた傷を自分で治癒することって出来ないんだよ。大人になっても傷はそのまま残る。治せないからすごく厄介なんだ。いろいろな出来事の影に潜むことは出来ても、ふとした拍子に思い出すし……あいつの場合は友達と彼女に同時に否定されたから、人間関係そのものがトラウマなんだよね」
「……だからそんな簡単に信用出来ないってことですね……」

 柴田は頷く。しかしその表情は悲観的なものではなく、笑顔だった。

「ただね、千葉の中の一番は間違いなく一花ちゃんだよ。っていうか、あいつがこんなに心を許してるのって一花ちゃんだけだから」

 その言葉に一花は怪訝そうな顔になる。それを見て柴田は笑う。

「本当だって。大学ではまったく周りに興味示さないし、俺がいない時はずっとひとりみたいだし。あいつが笑顔になるのは一花ちゃんと従兄弟の話をする時くらいだよ」
「……女の人の影もないですか?」
「おっ、ヤキモチ? 一花ちゃん、本当に千葉のこと好きなんだなぁ」

 一花は恥ずかしそうに下を向いた。その初々しい反応に、柴田の方が恥ずかしくなる。

「あいつが一花ちゃんと向き合うには相当時間がかかると思うんだ。だから一花ちゃんが待てなくなったらそれは仕方のないことだと思う。でももし千葉が一花ちゃんと向き合うまで待ってくれたら、俺はあいつが過去を乗り越えられるって勝手に思ってる」

 柴田の手が一花の頭を撫でる。尚政とは違う感覚だった。

「でも一花ちゃんの人生だからね。誰かのためもいいけど、自分の幸せのための行動をするんだよ」
 
 ずっとそばで先輩を見てきた人の言葉はとても重く感じる。

「……私にそんな力はないと思う……」
「でも俺は一花ちゃんにしか出来ないって思ってるよ」

 私はまだ高校生で、自分の人生なんて大きな事は言えない。それでも先輩のそばにいることが、今の私の一番の幸せだった。

 いつか私が先輩の心の傷を癒せたらいいのに……それは烏滸(おこ)がましいことだろうか。
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