ピアニスト令嬢とホテル王の御曹司の溺愛協奏曲
 ……その場のノリで、即興で弾いた自作曲。正直に言って、それはお世辞にも上手い演奏とは言えないものだった。
 ミスタッチは多かったし、動かない指をなるべく使わないようにしたせいで音の厚みも足りなかった。頭の中で思い描いていた通りには全くなっていない。
 それでも――。

「楽しい。ピアノを弾くのって、本当に楽しい!」

 こんなにもただ「楽しい」という思いだけで演奏できたのは、一体いつぶりだろうか。それくらい無性に心が浮き立って仕方がない。
 ちらりと視界に入ったレオが心から嬉しそうに聞いてくれる様子もさらに私を勢い付けてくれて、それから私は最後まで弾く前の葛藤は何だったのだろうと思うほど熱中して弾ききった。

「はあっ、はあっ」

 呼吸することさえ忘れていたようで、最後の一音の余韻が途切れた瞬間に荒い呼気が口から漏れる。
 それを深呼吸を繰り返して落ち着けようとしていると、不意にぱちぱちという大きな拍手の音が聞こえてきた。
 振り返れば、レオが嬉しそうな顔をして私を見つめている。

「本当に、素晴らしい演奏でした」

 彼の優しい眼差しと視線が絡み、心からといった様子でそう告げられて――。

「……っ!」

 ああ、彼はあるがままの私を認め、肯定してくれている。そう思った瞬間、唐突に私の心臓がとくりと跳ねた。
 ふわふわとした感情が全身を満たし、じわじわと顔が熱くなっていく。
 ……こんなふうに高揚した気持ちになったのは、これまでにも何度かあることだ。でもこんな気持ちにさせてくれた人は、これで二人目である。
 一人目は、私のパトロン「エル」。そして二人目が、今回のレオ。
 そこに共通しているのは――。

「今の自分に自信の持てない私を私以上に信じ、認めてくれた人だということ……」

 エルさんはまだピアニストとして歩む未来を目指して駆け出し始めたばかりの私を見出し、パトロンに名乗りを上げてくれた人だ。
 自分が立派なピアニストになれるだろうかと不安に陥ることもあったが、エルさんにそれだけ評価してもらえた自分の才を信じ、そしてその思いを裏切らないように精進しようと心に決めることで私はここまでの成長をすることが出来た。
 ピアニストとしてそれなりに世間からの評価を受けるようになってからも、エルさんからの激励は特別だった。
 エルさんは私の活動をよく見てくれていて、その感想をこまめに手紙に記してくれる。
 それを読むことで、自分の努力はちゃんと身になっていると実感すると同時に、次の演奏会やコンクールではより良い成果を出してもっと喜んでもらいたいとさらに懸命に練習をしていく原動力にもなるのだ。

 レオの行動は、まさにそれをなぞるようなものだった。
 思い通りにならない指にピアニストとしての自信を失いかけている私に、間違っても良いからただ純粋に音楽を楽しむ心を取り戻させてくれた。
 彼の存在に励まされたおかげで、私は一曲を思い切り弾くことが出来た。
 レオが私の演奏に喜んでくれている様子を見ながら、改めて実感する。
 彼は本当に、私のことを大事に想ってくれている人なのだと。
 ありのままの私を認め、私が望む道に進んでいけるよう応援してくれている人なのだと。
 そしてこの人が応援してくれるならば何でも出来るという感覚を抱かせてくれるような、そんな稀有な人であるのだと……。

「ありがとうございます。これからもっと良い演奏ができるよう、症状改善と練習を頑張りますね」

 噛みしめるように呟いたこのときの私には、まだ自分の中に湧き上がってきた感情が何であるのかはっきりと掴むことは出来なかった。
 それでも本能的に感じる歓びの中で、知らず口元を綻ばせていたのだった。
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