エリート弁護士は契約妻と愛を交わすまで諦めない
「柚」
「あっおかわりいる!?」
「いや、まだ半分以上残ってるから」
食べさせたい欲が進んでフライングする私を朔が冷静に制する。半分浮かしかけた腰を下ろすと、朔が私の手元を凝視する。
「お前、あの指輪ちゃんと使ってる?」
「うん。ほら」
私はスエットの首元からネックレスを引き出す。その先にぶら下がっているダイヤの指輪は照明の光を少し浴びただけでもキラキラと輝く。そのたび私ははぁと感嘆の声を上げたくなるんだけど、朔はなぜか脱力する。
「それじゃあ、見えないじゃん」
「仕事中にサンプルとかに引っかけるとだめだからね。外したりしてなくすとだめだし」
「はぁ、虫よけ……」
「虫?」
「いや何でもない」
朔は首を横に振った。それから何か奥歯に挟まったみたいな、微妙な顔をして目を左右に揺らす。
もしかして、焦げすぎててまずいとか?
素直にまずいとは言えずに耐えているのかと思って謝ろうとしたら、
「あのさ」
朔のほうが先に口を開いた。沈黙を埋めるような急いた口調。でも、次の言葉が喉元で詰まって閉口する。何なんだろう。
朔らしくない。寡黙だけど、いつも言いたいことは歯に衣着せないタイプで、辛辣になりすぎて昔は女子から怖がられていたくらいなのに。
「朔?」
「今度、ちゃんと結婚指輪買おう」
「え?」
「籍入れてもう三ヶ月経つし、やっぱり指輪は必要だろ。その、対外的にも」
「対外的……」
「いや、あの……あったらわざわざ突っ込まれないというか。仕事中もシンプルな指輪のほうがつけやすいだろうし、俺たち式挙げてないから若干怪しまれやすいし」
「そ、そっか」
「だから、その……式は挙げないって言ってたけど、挙げないか?身内でだけでも。それも嫌なら、写真だけでも……記念にどう?」
長身の朔が小さく背を丸めて窺ってくる。小さな子供のよう。めずらしすきてびっくりしたけど、すぐに口元が緩んでくる。
「うん、挙げよう」
「ほ、本当か?」
「うん、指輪も……私も一緒に選んでいい?」
「うん、もちろん!」
朔の表情がぱぁっと華やぐ。
私が素直になれたのは朔の気持ちを知ったから。形式的な発言の裏側を知らなければ、私は今回も遠慮して挙式も指輪も固辞していたかもしれない。朔の対外的という言葉に傷ついて。
「挙式は春か夏かな。本格的に暑くなる前がいいね」
「そうだな。大々的にしないなら旅行先で挙げてもいいかもな。まだ、旅行一緒に行ったことないだろ」
「ほんとだ。小学校の修学旅行くらいだったね」
「京都な」
中学と高校の修学旅行は朔はいなかった。だから、遠い遠い記憶を遡る。普段記憶の底に沈んでいた思い出を掬い上げていくと、朔の気持ちを今は確かめなくてもいい気がしてきた。
朔の誕生日に、私から告白する。その時に聞けたらいいな。
そう決めたら、尚更仕事も精が出る。幸いにも働く環境が素晴らしくよい会社。
私の仕事は微々たるものだけど、ああいう空間にいるだけでやる気が出てくる。
プレゼントは財布にする!
俄然やる気が出て、私は鮭の身を口に食んだ。焦げの苦みと硬さに眉が下がった。
料理のほうも頑張ろう……。
もう少しおいしい料理食べさせたい。連日疲れて帰ってきてほっとできるような。理想の妻と現在地の距離が遠すぎるゆえに焦燥感を持ちつつ、私は苦味が残る口内にごはんを入れた。

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