京都若旦那の初恋事情〜四年ですっかり拗らせてしまったようです〜

「いえ、そういう訳ではありません」
 藤本の恐縮している声が聞こえる。
「わ、若旦那様……」
 そっと羽織の裾を引くと、朔埜が振り返った。……その目が笑っていないので、史織は慌てて裾を離す。

「も、申し訳ありません」
 接客でミスをしたと思われたのだろう。
 蚊の鳴くような声で謝れば、藤本が慌てて弁明してくれた。
「あの、彼女には旅館の説明をして貰っていただけで。別に何か不手際があった訳ではないんです。もう終わりましたので、大丈夫です」

 ……相変わらず優しい人だ。こんな人に迷惑を掛けるなんて、恥ずかしくなってしまう。
「……そうでしたか。では西野さん、三芳のところに戻るように。失礼致します藤本様」
「え、あ……はい……」

 史織は目を見開いた。
 恐らくだが、藤本も目を剥いているだろう。
 まさかとは思うが、宿泊客の顔と名前を全部把握してるのだろうか……老舗旅館の若旦那ともなると、そんなスキルも必須なのかもしれない。凄すぎる。
 
 そんな二人の驚きを置いてけぼりに、朔埜は呆然とする史織の腕を掴み、さっさと踵を返してしまう。
 立ち竦む藤本に、ごめんと口の動きで謝り、引き摺られるように史織も朔埜に続いた。
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