帰り道、きみの近くに誰かいる


手紙を読みながら手は震えていた。涙で視界が滲む。溢れてくる涙を止めることが出来なかった。


ーーお父さんの最期。

ーー先輩の私への想い。

先輩、なんでもっと早く言ってくれなかったんですか?

もっと早く、あなたの声からその話を聞きたかった。

自分だけが苦しいと思ってた。

きっと、あなたは完璧な人。

みんなからも人気で学校も楽しそうに過ごしていて。


私とは違う世界の人だと思ってた。

だから私の気持ちなんか、伝わらない。自分の苦しさなんて分かるはずないと心の中で思ってた。


父が亡くなった理由を自分のせいと思ってた私と同じように、先輩も自分のせいだと悔やんでいた。


どんな想いで、私の話を聞き、私のそばにいたのだろう。


展示会に行ったあの日、喫茶店で先輩が『両親がいない』と初めて話をしてくれた時も、私は彼のために何かしてあげただろうか。

何もしなかった。

それよりも自分のことで精一杯だった。

それなのに。


自分の過去を背負いながらも、私を支えようとしてくれた。


大事に思えば思うほど、なぜ人は不器用になるのだろう。

私が自分から離れようとする気持ちは理解できはい。

逆にそばにいてほしかった。

ずっとお互いが向き合って成長していける関係でいたかった。


先輩は、勝手すぎる。


勝手に離れようとしないで。

私は君が必要だった。

君が近くにいたから、夜道を歩くことが出来た。


君がいなければ、また暗闇の世界から抜け出せなくなると思った。



もうこのまま先輩に会えないのだろうか?

焦って先輩に電話をかけようとした。

だけど、自分の声が伝わったとしても、相手の声は届いてこない。


今、先輩は話すことが出来ないのだから。

だからって、一方的に手紙を渡されて、自分の気持ちは伝えることができないのだろうか。


メッセージを送ろうとしたけどそれも違うと思った。文字なんかじゃ、気持ちなんて伝わらない。

会って話したかった。

会って、ありがとうって何回も言いたかった。


自分の苦しさも隠してまで、私を支えてくれてありがとう。

何度も心の中で唱えるように言った。


だけど心の中の言葉は何度投げかけても相手には伝わらない。それが胸を苦しめた。



母が水を入れ替えた花瓶を持って戻ってきた。
暖色系の色のガーベラが彩り良く映えていて、見た目も可愛らしい。


「これ、清宮くんが持ってきてくれたのよ」とベット近くの棚の上に置いてくれた。

穏やかな色合いが暖かさを感じる。その花を見て、また涙が溢れる。

泣いている私に気付いてるのかどうか分からないが、母は何も喋らず、花を整える。そんな母に、私は言った。


「お母さん、私、先輩が好きだった」


詰まりそうな声を精一杯搾り出す。
好きだった。大好きだった。何回でも言う。

君と、あと何回一緒に帰れるだろう。

帰り道にいつも思っていた。
そばにいてくれる先輩に対して恋心を抱いてた。その彼はもういない。



お父さんがいなくなった時、あんなに後悔したのに。

もっと優しくすればよかったとか、感謝を伝えられたらよかったとか。


誰かを失って初めて、その人をもっと大切にすればよかったと後悔するのは何故だろう。



「お互いをどれだけ思いやることができても、難しいことは起きてしまうものなのね」


母はそう言う。ほんとにそうだった。

先輩と向き合おうとしたことで、お互いが考えすぎて、結局すれ違ってしまった。


声を交わすことも、会うことすらできなくなってしまった。


「でもね、莉子。きっと清宮くんも、あなたへの気持ちを抑えて、この手紙を残していった。彼がどのような想いで手紙を書いたか、その覚悟がどれほどのものか、想像できる?」

母の言葉に思考が止まる。


「おそらく相当な覚悟よ、きっと」と母は付け加えて言った。


「お母さんも、後悔したの」

母は私に近づき、肩をさすりながら言った。


「またあの日のお父さんと同じように莉子を送り出してしまったこと。そして莉子を傷つけてしまった。後悔はするのよ、ずっと誰かと関わる限り。何度も。だから大切にしようと思えるの。大事だと思えるの。楽しかったことも、嬉しいことも、寂しいことも、大切だったことも、あとから分かるものなのよ」



声を交わして心を通わせること。その相手がいつでもそばにいるのが当たり前じゃない。

それを気付けない人は後悔することになる。


「でも、どうしても途切れないものってある。今回のあなたたちを見て思った。きっと巡り巡って、廻るものがあるのよね」


3年ぶりに分かったことがある、と母は言った。


黙ったまま耳を傾けて聞いた。


「お父さん、亡くなる前に手話にはまって勉強してたことがあったの。莉子、知ってる?」


前に父の部屋に行った時のことを思い出した。机の上に積まれていた、手話に関する本。


「今更何を勉強してるのかなって不思議に思ってたのよ。ほら、お父さん、多趣味だし何でも興味を持ったら没頭するじゃない?だけど、手話?なんで?って思ってたの。あまり話にしなかったけど。でもそれが自分の生徒の為だったのね。清宮くんの話を知ってやっと分かったの。手話を使って、会話の相手をしてくれましたって。あぁ、だから手話だったんだ!って。あの人、本当に生徒のことが好きだったんだなぁって思った。とにかく熱心に、教育者として向き合っていたんだなって」


「ほんとに、そうだね。お父さん、学校に行くのが楽しそうだったもんね」


「そう。何でも前向きに向き合ってたわね。それを数年ぶりに改めて気づくことが出来た。それに、お父さんの最期。最期までお父さんは、生徒のことを守って自ら命を張って戦ってた。お母さん、それを知って嬉しかった。清宮くんから話を聞いた時、本当に、聞けてよかったって思えた。3年ぶりに。こんな形で聞くことになるなんて。だから、莉子。」


母はしっかりと私を見つめた。


「信じ続けて、大切に思い続けていたら、いつかなんらかの形で自分に帰ってくる。だから迷わず、自分を信じて進みなさい」

その言葉に強い力が宿っていた。そして手紙をもう一度見る。


先輩がこの手紙に込めた思いが詰まってるような気がした。今は手紙として受け入れることしかできないけど、きっとまたいつか…。一生の別れじゃない。


「世の中、不思議なこともあるんだから。大丈夫。何があっても誰かが支えてくれるし。多分ね、お父さんも莉子の近くにいる。見守ってくれてる」

「いるのかな、目に見えないから分からない」

「目に見えなくてもいるわよ。あなたたち。あんなに仲良かったんだから」


そんな母の一言が単純な言葉に聞こえるようだが、正しいことを言っているようにも聞こえた。「そーゆーものかな」と呟くと「あなたとお父さんは今、一緒に生きてるのよ」と言った。



さっきまで不幸だと思っていた脇腹の痛みも、当たり前の痛みのように感じていた。

私はいつの間にか、この痛みと共に生きていた。

この胸の痛みも、切ない気持ちも、いつか当たり前のように馴染んでいくのだろうか。



今はまだ、とてもじゃないけど、切なくて息苦しい。
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