世界が私を消していく


——え?

今私のこと、誰って言っていた?

裏アカウントのことがあるので、わざと突き放すように忘れたフリをしたの?

けれど、それにしては少しおかしい。

真衣たちの考えが読めず、得体の知れない不気味さに冷や汗が皮膚に伝う。


「ん〜、同じクラスっぽいけど、名前はわかんない」

由絵の言い方に悪意を込められているようには感じなかった。もしもわざとやっているのなら、私の目の前で忘れたフリをすればいいはずだ。それに先ほどのドアの前での反応も引っかかる。

おそるおそる振り返ってふたりの姿を探すと、真衣と由絵が女子トイレの中へと消えていった。

胸騒ぎがして、不安を覚えながらも私は教室に足を踏み入れる。


「昨日瀬戸先輩にチョコあげるとき、理亜ちゃん告白したらしいよ」
「えー! 瀬戸先輩って彼女いるんじゃなかった?」
「それが、先週別れたらしくてさぁ」

誰も私を見なかった。

それは久しぶりのように感じる平穏で、私が望んでいたもの。

けれど、夢でも見ているのではないかと焦燥感に駆られる。こんなことがたった一日で起こるはずがない。

すでに目の前の席は埋まっていて、友達と談笑している時枝くんの姿が目に留まる。

いつもなら私の方をチラリと見て、気まずそうにしているのに今日は見向きもしない。


「清春〜! 英語の教科書かーして」

一条くんが大きな声で時枝くんに話しかける。ある意味彼も今は注目されている人だ。一部の女子たちが目で追っているものの、ほとんどの人たちは自分たちの話に夢中で彼を見ていない。


「またかよ。てか、教科書ちゃんと持ってこいって」
「俺真面目だから、家に持って帰って勉強してるんだって〜」
「真面目ならちゃんと毎回持ってこい」

時枝くんが呆れたように言うと、一条くんが何故かこちらを向いて笑いかけてくる。


「てか、清春が前の席だと女の子は黒板見えづらいんじゃね?」
「えっ」

突然話を振られて、咄嗟に周囲の目を気にしてしまう。

一条くんはあの噂を知らないのだろうか。いやでも、名前を書かれていた彼に伝わっていないはずがない。

それ以上に驚いたのは、一条くんが私に話しかけても、クラスの人たち無関心のようだった。

妙な違和感を覚えていると、時枝くんが振り返る。


「俺が前だと見えづらい?」

今までの気まずさが嘘のように、普通に話しかけられたことに目を丸くした。
私が勝手に避けていただけで、時枝くんにとっては周りの目を気にするようなことではなかったのだろうか。


「そんなこと、ないよ」

ぎこちなく返すと、時枝くんが「そっか」と言ってすぐに前を向いてしまう。今度は以前よりも素っ気ない気もして、時枝くんの反応に戸惑う。

話してくれるけれど、あまり関わりたくないのかもしれない。


「てか、初めて話すよね。名前聞いていい?」
「え?」

一条くんとそこまで話したことはないけれど、初めてではない。私の名前も知っていたはずだ。

「そういうことするから軽いって言われるんだろ」
「軽くないです〜。同級生の名前覚えるくらい普通じゃん」

ひょっとしてからかわれているのだろうか。私がどんな反応をするのかおもしろがっている? だけど一条くんや時枝くんがそんな人だとは思いたくない。

無視をするわけにもいかず、周囲の目を警戒しながらも名前を口にする。

「……宮里、です」
「よろしくー」

一条くんの反応は至って普通だった。私の様子をクラスの人たちが観察しているかもしれないと思ったけれど、誰もこちらを見ていない。

振り返った時枝くんと視線が交わる。親しみやすさが消え、壁を感じた。けれど私を軽蔑しているようにも見えない。

そしてすぐに目を逸らすと、時枝くんは廊下を指さした。


「拓馬、呼んでるっぽいけど」
「あ、本当だ。じゃーね。清春、宮里さん」

一条くんが去っていった直後、念のためもう一度教室を見渡してみる。けれど、私の方を見てこそこそと話している人は誰もいない。

まるで学校の人たちから、私の存在が忘れられたみたいだ。

……忘れられた?

あることが頭に過ぎり、口元を手で覆う。


『願いにきっとこえてくれますよ』

巫女さんが話していた願いを叶えてくれるというレインドーム。そんなはずないと思っていたけれど、私は昨夜レインドームに願ってしまった。


『学校の人たちが……私のことなんて忘れちゃえばいいのに』

まさかそれが本当に叶ったのだろうか。
実際にクラスメイトたちからの刺すような視線は一切なくなっている。

真衣と由絵も私のことを覚えていないのが、本当だとしたら? でもそんな魔法みたいなことが起こるはずがない。

信じがたい出来事を、私は完全には受け入れることができなかった。

残された可能性は、クラスメイトたちがわざと私のことを知らないフリをしている、ということだ。だとしても、それはあまりにも悪質なようにも思える。

あのアカウントの存在が急に思い浮かんで、開くことを躊躇っていたアプリを人差し指でタップした。



「え……」

〝アカウント作成〟と出てくる。これはアカウントを作っていない人に出てくるページのはずだ。IDとパスワードをいくらいれても、弾かれてしまう。


検索画面からIDを入力して探してみるものの、存在していないアカウントだと書かれていた。

アカウントを消した覚えはない。間違えて削除ボタンを押してしまうなんてことがありえるのだろうか。それともアプリのバグ?


〝S〟というなりすましアカウントも調べてみる。

けれどいくら探してもそれらしきアカウントが出てこない。なりすましていた本人が消したのだろうか。


とりあえずなりすましアカウントが消えたことに胸を撫で下ろす。これ以上ありもしないことを書かれる心配がなくなった。

けれど、急に何事もなかったように収まるのは不可解だ。


もしかしたら別のなにかが裏で起こっているのかもしれない。





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