ズルい男に愛されたら、契約結婚が始まりました
母の思い
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白石文香は、茶会から不機嫌なまま帰宅した。
長男の喪があけてから、少しずつ以前の暮らしに戻ろうと思っているのだがなにをしても、どこへ行ってもつまらない。
文香の胸の奥にぽっかりと大きな穴が開いたままだった。
茶会でも、これまでなら集まった令嬢の中から航大の妻に相応しい娘がいないか見定めるのが楽しかったが、もうそんな必要はなくなった。
文香は虚しかった。ただただ虚しかった。
白石本家の豪勢な屋敷も、今ではシンと静まりかえっている。
庭の木や花まで、色褪せてしまったように感じる。あれから時が止まったままなのだ。
航大がいなくなっただけで、遺された家族は話をすることも笑うことも忘れてしまっている。
白石家の乗用車が玄関の前に停まると、屋敷の中から家令の守口が迎えに出てきた。
「お帰りなさいませ」
文香より十歳ほど年上の守口は、先代からこの白石本家に使えてきた忠実な使用人だ。
使用人とはいっても、文香よりも法律や経済にも明るいから白石家の影の主といったところだろう。
「ただいま。なにか変わったことはなかった?」
文香の春物の軽いコートを受け取りながら、守口が返事をためらっているのがわかった。
「どうかした?」
「奥様に、お耳に入れたいことがございまして……」
「あら、珍しいこと。守口がそんなこと言うなんて、よっぽどのことかしら?」
「はい」
生真面目な守口が慎重に答えた。
「では、書斎で聞きましょう」