片想い婚
 私は隣の咲良に言った。

「ありがとう、咲良ちゃん」

「ええ! 私ほんと、そんな大したことしてないんですが」

 ブンブンと首を振って慌てる。そんな咲良と私に父が眉間に皺を寄せて言った。

「咲良さん、家内が失礼なことをして申し訳なかった。強く言って聞かせます。もうこんなことはさせないと約束するので、どうか退職は考え直してもらえないか」

 ゆっくりと頭を下げられる。私はちらりと咲良を見た。恐らく、嫌だったとしても彼女はここでノーとは言えないはずだ。

 父がこちら側であるということは大きい。これだけ厳しく言われれば母も下手なことはできなくなる可能性は高い。が、今までやってきたことはそう簡単に許せることではないし、そこにいる新田茉莉子の存在も気になる。

 とはいえ、ここで辞める、辞めないの話し合いも咲良に負担を掛けるだけだ。もう話は切り上げて、早く去るのが一番だと思う。母や新田さんの視線も、彼女にとっては苦しいだろう。

 オロオロしている咲良の代わりに声を上げた。

「それはまた二人で話し合う。ここですぐに返事はできない」

 顔を上げた父は、仕方ないとばかりに頷いた。私は今一度母と新田茉莉子を振り返る。母は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。せめて最後に咲良に謝罪の一言でもあればいいと思ったが、それは何もなかった。

 部屋の隅に立っている新田茉莉子は、両手をぎゅっと握り締め、真っ赤な顔で目に涙を溜めている。咲良もその様子に気づき、心配そうに何か言いかけたのを私は止めた。もう関わらなくていい、と。

 そのまま無言で二人家を出た。玄関の扉を閉める直前、再び父の怒りの声が聞こえてきたが無視した。

 ずっと握っていた咲良の手は離すことなく、お互いの手は少しだけ汗ばんでいた。






 家に入る前に、二人夕飯を買うためにコンビニに寄った。いくらか過ごしてきたが、咲良とコンビニで買い物をするのは初めてのことで新鮮だった。

 もうほとんど売れてしまいスカスカになった戸棚から、咲良はサンドイッチとおにぎりを選んで購入した。私は適当に弁当を買う。片手にビニール袋をぶら下げて、手を繋いだまま家へ向かった。

 帰宅した後、リビングで向かい合ってそれを食べた。温かな手料理でもないのに、それはとても美味しく感じる。ちゃんと夫婦と呼べるようになってから初めてとる食事だからだ。

 何となく無言で食事をとり続けた。咲良がサンドイッチを齧る姿がひどく愛おしくてならない。そんな自分の気持ちを落ち着けながら、まずは大事なことを考えなくては、と思った。
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