片想い婚



 頭がぼうっとする感覚の中で、彼が少しずつ力を増して私は後ろに倒れ込んだ。背中に少しひんやりしたシーツの温度が伝わる。はずみで二人の唇が離れた。見上げると、髪を垂らして私を見下ろしている蒼一さんの顔が見える。

 私は彼を見上げながら小声で呟いた。

「蓮也と一緒にいるのは楽で、肩の力が抜けました。
 でも同時にわかったんです。蒼一さんといるといつもドキドキして緊張するのは、やっぱり好きだからだって」

 私が言うと、蒼一さんは少しだけ目をみひらいた。が、すぐにため息を漏らして目を瞑る。私は不思議に思い首を傾げた。

「あー、うん。あれだ」

「え?」

「煽る言葉としては百点だね」

 そういって僅かに口角を上げた彼は、深い深いキスを私にくれた。緊張と嬉しさの間で自分が潰されそうに思う。

 そしてそのキスが首に降りてきた時、自分の体が跳ねた。それでも彼は肌から離れず、小さく囁いた。

「咲良」

 ふわりとシャンプーの香りがした。同じものを使っているはずなのに全然違う香りに感じる。自然と自分の目に涙が浮かんできた。

「たくさん傷つけた。本当にごめん。
 でも、私は絶対に君以外を好きにならない。それだけは信じていて」

 ついに、自分の目から涙がこぼれ落ちた。



 私は知らなかった。

 好きな人の瞳に自分が映ることがこんなにも幸福だなんて。

 押し潰していた自分の気持ちを受け取ってもらえることは奇跡みたいなことで、努力だけではどうにもならないこともある。

 子供の頃から夢見ていた彼の隣が、本当に私の居場所になる日が来るとは思ってなかった。

 

 私の様子を見ながら、彼は優しく肌を撫でた。そして何度もキスを重ねた。そっと触れてくれるそれは、まるで宝物を触る子供のようだと思った。

 蒼一さんが触れた瞬間、そこの肌は熱くなる。それは初めて命を持ったようだった。くすぐったいような、心地いいような不思議な感覚に包まれて、私はもう何も考えられなくなっていた。

 自然と自分の口からは吐息が漏れた。そしてまた馬鹿みたいに涙がじわりと浮かんでくる。それに気づいた彼は、何度もその手で私の涙を拭いてくれた。しっかり蒼一さんの顔を見ていたいのに、涙で濡れたまつげでぼんやり視界が揺れる。

 私の首元に垂れる彼の髪に気づき、そっと手を伸ばしてそれに触れた。サラリとした色素の薄い髪で、心のどこかで触れてみたいと思っていた。少し蒼一さんの動きが止まるのがわかる。それでも、彼は何も言わずに私の好きなようにさせてくれた。気持ちいい髪を何度か撫でる。

 心臓は今にも止まってしまいそう。多分、彼にも聞こえてる。

 蒼一さんに何度も落とされるキスは慣れることはない。角度を変えるだけで味も変わるように思えた。脳内は沸騰寸前。そんな私を気遣ってか、彼は何度もぎゅっと抱きしめてくれた。

 私とはまるで違う長い指、広い肩幅、低い声。その全てを忘れたくないと思った。今、この世界に存在しているのは私たち二人きりのような錯覚に陥りながら、私はそんなことを考える。

 幸せで、心地いい。

 蒼一さんに抱きしめられ、二人の体温が溶け合うと、またしてもぐっと温度が上がる気がした。

 好きでよかったんだ。

 私、この人を好きでいていいんだ。

 死ぬわけじゃないのに走馬灯みたいなものが目の前を走って笑った。お姉ちゃんについて蒼一さんの家に遊びに行った日のことや、イチゴのケーキを譲ってくれたこと。おままごとを根気よく付き合ってくれたことや、下手くそな似顔絵をあげて喜んでくれたこと。数学を教えてくれたこと、結婚式に私の手をとってくれたこと。

 その全てが今、ここに繋がっている。

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