片想い婚
 キッチンについて台に荷物を置いた山下さんは、驚いたように私を見た。私は再び頭を下げる。

「できれば基礎から……あの、お忙しい中申し訳ないんですけど……少しでいいので。慣れたら私が夕飯を作るようになりたくて」

 料理教室へ申し込もうかと思ったが、それよりこれが一番いい手だと思ったのだ。

 幼少期から蒼一さんを知っている家政婦さんなら、蒼一さんの好みもわかっているはず。味付けはそこから覚えるのが一番いい。

 山下さんは少しの間目を丸くして私を見ていたが、すぐににっこり笑った。

「ええ、そうしましょう。一緒にやりますか!」

「あ! ありがとうございます!」

 私はその言葉を聞いて急いで自分もエプロンをつけた。まずはできることから少しずつ。

 例え心も体も繋がっていない形だけの夫婦でも、私は頑張りたいと思った。






 夜も更けたころ。玄関の鍵が開く音がした。

 ベッドで横になっていた私は飛び起きる。蒼一さんが帰ってきたのだと思った瞬間、心臓が爆発するんじゃないかと思った。

 廊下を歩く足音が響く。そんな僅かな物音さえ、私の緊張を高めるだけだ。

 私はそっとベッドから足を下ろして寝室を出た。寝てていい、なんて言われたけれどそんなことできるわけがない。足音を立てないようにそうっとリビングへ移動していった。

 キッチンでガサガサと物音がする。どうしようか迷った末、どうしても確認したいことがあったためひょこっと顔を出した。まだスーツを着ている蒼一さんが、夕飯をとるところだった。私を見て目を丸くする。

「咲良ちゃん。起きてたの」

「お、おかえりなさい」

「ただいま」

 なんてことない挨拶が私の心を揺さぶる。でもそれを悟られないよう冷静を装って私は言った。

「寝てたんですけど、さっきちょうどトイレに起きてしまって」

「そうなの」

「ホットミルクでも飲もうかと思って……いいですか?」

「はは、なんで聞くの。いいに決まってるでしょ、咲良ちゃんの家でもあるんだから」

 笑いながら言った蒼一さんの笑顔に息苦しさを覚えながら、私は冷蔵庫に向かった。牛乳をレンジで温めて、食事している蒼一さんの正面に腰掛ける。

 山下さんが作っておいてくれた多くのおかずを、蒼一さんは丁寧な箸使いで食べていた。私はホットミルクに無駄に息を吹きかけて時間をかけながらゆっくりと飲んでいく。

「お仕事、遅くまでお疲れ様です」

「ああ、今週は特に忙しいだけで、いつもはこんなにじゃないから」

「そうなんですか、毎日こんなに働いてたら体壊しちゃうって心配でした」

「父はスパルタだけどね。休みはちゃんとあるから大丈夫」

 蒼一さんは天海家の跡取りなので、会社経営するお父様の下で働いている。正直私は経営だとかまるでわからない素人なので、仕事内容に関しては聞いても理解できないだろう。

「咲良ちゃんは今日何してたの」

「えっと、荷物を整理して、ちょっと買い物に行ったり」

「うん、そっか。それでいいよ。自由にやってくれればいいからね」

 そう言いながら、彼の持っている黒い箸が、一番隅に置いてあるきんぴらごぼうを掴んだ時、私は少しだけマグカップを持つ手に力を入れた。

 パクリと口に運ばれ咀嚼される。蒼一さんは何も言わず、そのまま次の二口目を食べた。


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