好きになったのが神様だった場合
#9【小さなほころび】
依代に戻って来た天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は、その後ろに隠してあった(かんざし)と明香里の手紙がない事に気が付いた。

「え、何故!? 何処に行った!?」

10年もそこにあったのに。大掃除の折などは、人が来るとこっそり移動させ厨子の掃除が終わると戻していた。10年間、うまくやってきた、見つかったことはないのに。

「おい、狐! ここにあった簪を知らないか!?」
「知る訳ないでしょう」

狐は面倒そうに答える、後ろ足で懸命に全身をカリカリ掻きまくっていて聞いているのかもあやしく見える。

「私はあなた様に体を貸して差し上げて、一緒に出掛けておりましたのに。ついに神職の誰かに見つかったのでありましょう」
「う、む」

そうだ、それしか考えられないのだが。

「もうよいではありませんか」

狐は前脚で顔を撫でながら言った。

「明香里殿は遠いお人ではなくなった。私の体を介してとは言え、逢える関係になれたのですから」
「そうだな」

そう頷きつつも、どこか落ち着かない。

天之御中主神は神だ、未来永劫尽きる事ない存在で、対して明香里はどんなに望んでも限りある命の持ち主。天之御中主神の時間からしたら見る間に老いて、死んでしまう存在だ。
そんな明香里との、大切な思い出だったのに──。

「──手紙まで、なくなってしまった……」
「また書いてもらったらよろしいでしょう。好き好き、大好き、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)さまー!とでも」

感情も込めずに言う狐が、途端に上から何かに押されたように四肢を広げて床に腹をつけた。





翌日も明香里は、水天宮に遊びに来た。その姿を見つけて、すぐさま白狐が拝殿の戸を開けて出てくる。
木製の階段を降り、下から二段目で待つのはいつも明香里が座る場所だ。明香里が笑顔でそこに座ると、狐はその膝にぴょんと飛び乗り、お座りの姿勢で明香里を見上げる、心なしか微笑んで見えるのは明香里の気のせいだろうか。大きなふわふわの尾が揺れているのが可愛かった。
その頭を撫でようと手を伸ばす、狐も待ち構えて目を細めた時、

「アカリさん?」

明香里の背後から声がかかった、直後狐はぱっと立ち上がり賽銭箱の影に逃げた。急になくなったぬくもりを残念に思いつつも、明香里は振り返る。

「はい」
「ああ、やはりあなたが明香里さんですか」

拝殿の回廊に微笑んで立っていたのは、神主の装束を着た美園健斗だった。

「はい、あの……?」

男の顔は知っていた、氏神である水天宮の宮司一家の息子だ。祭事の際に見た覚えがあるが、その男に声を掛けられる覚えはなかった。

「突然すみません」

凛々しいが、何処か神経質に見える男が優しく微笑む。

「これは、あなたのものですか?」

見覚えのある簪とレポート用紙の手紙を見せられて、「あ」と声が漏れたのは明香里は勿論、狐もだった。天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)が憑依している狐は、すでに拝殿の庇の下にある緩やかなカーブを描く梁、海老紅梁(えびこうりょう)まで移動していた。その上からふたりを見下ろす。

「え、あ、はい……! ここで落として、ずっと探してました!」

明香里は慌てて適当な言い訳をした。

「申し訳ありません、うちの神殿にありました。先ほどの犬が持ち込んだのでしょうか」

狐を見られたと明香里は心臓がすくみ上る。

(犬ではない!)

天之御中主神は心の中で叫んだ。

「はい、あの、いえ──わかりません!」

慌てた様子の明香里に、健斗はできるだけ優しく微笑む。

「あなたの飼い犬ですか?」
「いえ、違います!」

慌てて否定したが、それをすぐに後悔した。

「野良犬ですか……どこから来るんでしょう? ここを寝床にしていると思ってくまなく探したのですが、その痕跡はなくて」
「あの、えっと、ごめんなさい、わからないです、たぶんここじゃないのでは」

ごまかすことしかできない明香里は視線を彷徨わせて答える、健斗はそれを訝しむことも無く微笑んだ。

「大丈夫ですよ、もし住みついていたとしても殺したりはしません。でも糞尿で社が壊れたりしたら大変ですから、出て行ってはもらわなくてはなりませんが」
「……はい……」

しかし、狐自体はここに何十年と住み続けていると聞いている。食事や排泄をどうしているかまでは聞いていないが、今更追い出すことはないだろうと勝手に思う。

「随分、あなたに懐いているようですね。私たちはその姿を見たことはないのに」

健斗は尚もにこやかに聞いた。

「あ、はい、えっと、なんでですかね……あ、ごめんなさい、いつもここで逢っていて。かわいくて……あ、でも餌をあげたりはしていません!」
「ええ、存じ上げています、よく御姿を拝見していました。いつかは随分な色男をお連れでしたが、その方ともここで?」
「……色男」

誰の事かと呟いてから、明香里は頬を真っ赤に染めた。天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)が顕現した姿だと判った、それ以外の男だとすれば昨年の例大祭の折に一度来たきりだ、彼は『色男』ではないと思う。
狐も自分の事だと判った、つんと鼻先を自慢げに上げて、尾をゆっくりと左右に振るが、誰もそれを見てはくれない。

「恋人かな?」

恥ずかしそうな明香里をからかうように、健斗は聞く。

「いえ、その、あの……片思いの相手、です……」

恋人と断言できるほどの関係でもないと思えてそう答えた、あれ以来、その姿で逢ってもいないのだ。ましてやこの先どうなるかもわからない相手だ。

「片思いですか、手も繋いでいたのに。なかなか鈍い相手なのかな?」
(違ーう!)

狐は音もなく回廊の床に着地した、そのままジャンプして明香里の背に飛びつき、明香里も健斗も驚いた。

「あ、天之(あめの)くん……!」

明香里は慌てて背後に手を回しその腕に抱きしめた。狐は大きな口をパクパクさせるが、さすがに声は発しない。

(俺は鈍くない! 明香里は片思いなどではない! 俺と明香里は、仲ようやっている! 明香里も何を片思いなどと!)
「天之くん、だめ、落ち着いて!」

暴れる白狐を抱きしめ、懸命に押さえる。

「ほう、その犬が、あめのくん、と言うんですか」

手紙の名前だと思い出す、すでに犬でないこともわかったが、あえて犬であるということにした。

「え、あ」
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