プロメテウスの復讐〜わたしの愛した黒豹執事〜

偽りの晩餐会(※アルノー視点)


「アルノー、私をどこか遠くに連れ去って欲しいの」

 俺は一瞬、動きを止めた。
 リーデンブルクの一人息子のギルベルトは鼻につくような男だが、令嬢ならば誰もがうらやむような、何不自由なく贅沢(ぜいたく)ができる財産と地位と名誉を持ち合わせている。
 ギルベルトは年の離れた相手でもないし、その容姿も、若い人間の女が好みそうな端正な顔立ちをしているのだから、オリーヴィアにとって申し分のない相手のはずだ。
 俺の思惑(おもわく)通り、リーデンブルク家に嫁ぎ、破滅に導くのがお前を生かしている最大の理由だと言うのに。
 俺に連れ去ってほしいなどと、叶えられぬ願いだ。
 
「……お嬢様。どうか、私を困らせないで下さいませ。さぁ、お着替えをいたしましょう」

 オリーヴィアは、自分からなにか欲求を主張するような性質ではない。父母の厳格な躾のお陰で従順(じゅうじゅん)に育てられ歯向かう事は悪だと教えられている。
 俺を困らせ、わがままを言ってしまった事を悔いている様子だった。
 柔らかな唇に親指で触れると、もう一度安心させるように唇を重ねた。
 哀れなオリーヴィア。
 俺に騙されているとも知らず、こうして依存する。
 俺の言うことを信じ、俺無しではいられないほどに愛情をかけて大事に育てた。
 そう、俺の命令一つで俺の復讐の手足となるように飴を与えたのだ。

「んんっ……」

 柔らかな舌先が絡んで、甘い口腔内を探るとゆっくりと離した。控えめな薄茶(ライトブラウン)の瞳が揺れて俺を不安そうに見つめる。
 何度も口づけ、慣れた唇の感触も最近では年頃の娘らしくしっとりと熟れてきている。
 オリーヴィアは、他の令嬢達と比べ地味な娘だが、微笑むだけで春に咲く野花のような美しさがある。
 魅力は申し分が無いのだからギルベルトに(こび)を売れるだろう。

「……ね? 今日はとてもおめでたい日に成りそうですから、オリーヴィアお嬢様の大好きなソテーも用意しておりますよ」
「わかったわ。ごめんなさい、アルノー」

 そう言うと、観念したように頷いた。

✤✤✤

 晩餐会(ばんさんかい)を彩る、柔らかな燭台の炎が、きらびやかなドレスの淑女と紳士達を照らしていた。
 オノレにも人間のように貴族たちの晩餐会はあったが、宝石の指輪や美しいドレスで見栄(みえ)を張るような事はなかった。
 身分を問わず、仲間たちと共に食事を囲み、悩み事や喜びを分かち合うのだ。
 こいつらの会話の大部分は、男たちの自慢(じまん)話か、男女の醜聞(しゅうぶん)、そして政治や国王陛下の話題などだった。
 オリーヴィアの前方には凛々しい騎士団長の正装をしたギルベルト、そしてリーデンブルク辺境伯婦人に、辺境伯のユーディト・リーデンブルクが座っている。
 あの時と比べ、戦場から退いたユーディトの髪はすっかり白髪となりその体も筋力が落ちて、老いを感じさせるような顔つきになっていた。

「こちらは子牛のホワイトソテーになります」

 満足そうに髭を触るリーデンブルク辺境伯が俺をチラリと見ると、居心地が悪そうな表情をして言った。

「アルフレッドよ。お前が話していた獣人(オノレ)はまだこの城にいるのか。獣人(オノレ)など馬小屋の世話でもさせておればいいものを……執事とはな。本当にお前は変わり者だ」
「ユーディト様、この男には私がきちんと人間世界の高尚な躾をほどこしておりますので……もはや、獣人としての本能も牙も無くしております。なんせ、こいつは獣人(オノレ)の同胞が嫌になり、奴隷商人から逃げ出して私の奴隷になりたいと懇願(こんがん)してきたのですよ」

 アルフレッドがそう言うと、ユーディトと他の人間たちが面白そうに笑った。
 俺はそんな屈辱(くつじょく)などすでに慣れきっており、涼しい顔をしていたがオリーヴィアだけは居心地が悪そうに下を向き、食事もあまり喉を通らない様子だった。
 これだけ歪んだ貴族社会にいても、染まらないオリーヴィアが不思議でならなかった。
 俺は彼女のそばまでくると、皿を下げる素振りをして静かに声をかける。

「お嬢様、私のことを思うならば笑顔を忘れずに」

 オリーヴィアは、俺の声に気付くと背を正すように顔を上げた。
 赤ワインを飲むギルベルトと目が合い、ぎこちない微笑みを浮かべる。
 それに答えるように、ギルベルトが微笑んだのを確認すると安堵したように執事としての業務に戻った。

「黒豹の獣人(オノレ)とは珍しいですね。王族だけかと思っていましたが、見る限り彼にはそのようなプライドの欠片も無いようです。人間に従順な様子ですし、花嫁の財産としていただきましょう、父上」
「ふむ……ヘイミル王の血縁は全て処刑した。今の若い貴族たちは『プロメテウス』の事もろくに知らん。獣人(オノレ)の存在もおとぎ話のように思っておる。躾の行き届いたケモノならば、彼らも興味を持つだろう」

 プロメテウス掃討(そうとう)作戦が終わり、隣国との戦争を乗り越えたこの国の貴族たちにとって、歴史は過去のものになりつつある。
 刺激に飢えた貴婦人や、紳士達にとってこの俺は物珍しいだろう。俺は、ユーディトの言葉に内心笑いが止まらなかった。

 アルフレッドは、その言葉にこの上なく満足そうな微笑みを浮かべると、来客達を前にワインを持って立ち上がった。

今宵(こよい)は、皆様に申し上げる事があります。我が娘、オリーヴィアはリーデンブルク辺境伯のご子息であられまする『エルザの金獅子』として名高い、ギルベルト様と婚約する事となりました」

 その言葉に、淑女達は感嘆の声を上げユーディトは服を整えながら眉をあげた。
 オリーヴィアの母親は、ギルベルトの女癖の悪さを心配していたが、貴婦人たちの反応を見るやいなや、得意げにワインを飲んだ。
 オリーヴィアは、張り付いた笑顔で客人たちに答える。
 ギルベルトの本心は分からないが、そろそろリールブルク家は世代交代の為に妻を(めと)り、世継ぎを産ませる年齢に達していた。次世代の騎士たちの忠誠心をリーデンブルク家に繋ぎ止めておくには、オリーヴィアは申し分のない辺境伯夫人となるだろう。

「教会で盛大に式をあげよう。教えてくれ、オリーヴィア。君の好きな宝石はなんだい。君のために特別豪華な結婚指輪を作ろう」
「指輪は……なんでも構いませんわ。アルノーさえ、私に仕えてくれるのなら……新しい生活も不安はありませんわ」

 あくまで(つつ)ましく、貞淑(ていしゅく)な婚約者であるオリーヴィアを、リーデンブルク夫妻は満足そうに微笑んでいた。
 ギルベルトは対象的にじっとオリーヴィアの顔を見つめていた。令嬢としては肩透かしな答えだったのだろうか。
 彼女はギルベルトとの会話を終わらせるように、得意ではないワインを飲み干す。
 案の定、酒に弱いオリーヴィアは途中で気分が悪くなり、俺が介抱するはめになってしまった。
 それまでも彼女にしては、少々飲みすぎている量だと心配していたが、倒れるまで飲むという失態を犯したのはこれが始めた。
 祝の席で無ければ、シュタウフェンベルク夫人に『伯爵令嬢が酔い潰れるなんて……なんて恥さらしではしたないのだ!』と罵られていただろう。

「オリーヴィア様、なぜあんなにワインを飲まれたのですか? 貴女は三分の一でも気分が悪くなられますのに」
「だって……あの空間にいるのが耐えられなかったんですもの。私……あの無神経な人達の……リーデンブルク家の花嫁になるのね。結婚するくらいなら、修道女になったほうがマシな気がしているわ」

 冷やした布をオリーヴィアの額に当て、冷えた水を飲ませる。アルコールが入ったせいでいつもより饒舌(じょうぜつ)になっている事に思わず笑ってしまった。
 アルフレッドの娘でも、あいつらの腹の黒さは理解できるようだ。

「いけませんよ、オリーヴィア様。シュタウフェンベルク家の為です。私も正式にリーデンブルク家へ、貴女様の財産として迎えられ側にいれるのだから、何も恐れることは無いでしょう?」
「うん……」

 子供をさとすように俺が優しく話しかけると、オリーヴィアは腕の中でもたれかかって目を瞑った。
 胸元に彼女を抱き寄せ、気分が悪くなるようなら、いつでも嘔吐(おうと)させられるように桶を膝上に引き寄せる。
 だが、彼女は幼い頃に高熱が出た時のように瞳を潤ませ俺の胸に擦り寄った。乳母がそばに居ても寝付かず、俺の胸板を枕にしてようやく、眠りに落ちたあの時のことを思い出して苦笑する。
 あれはちょうど雪解けの春だっただろうか。
 あの頃から伸びた、オリーヴィアの柔らかな髪が俺の指を擦りぬけていく。

「アルノー……しばらくこうしていて欲しいの。私が眠るまで……今日だけは……おねがい……」
「…………ええ。わかりました」

 しばらくすると落ち着いたように目を閉じて寝息が聞こえ始めた。俺は柔らかな薄茶の髪に飾られた髪飾りを解くとベッドに寝かしつけた。
 無垢な寝顔で俺の指を握りしめている指をゆっくりと離した。
 オリーヴィア、ようやくこの飯事(ままごと)も終わりを告げる時がやってきた。
 この俺に同胞達(どうほうたち)の無念を晴らす時がとうとうやって来たのだ。

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