うちの御曹司の趣味は変わってる~エリートコースはあちらですよ~

3 ふつつかな同居人ですが

 薫との同居を軽く受けたものの、藤子の引っ越し歴は通算1回。
 一条商事に入社したときに一人暮らしを始めたきりで、誰かと暮らした経験があるわけではない。
 ところが藤子の二度目の引っ越しは、瞬く間に終わった。
「藤子さん、本当に荷物これだけでいいんですか?」
 藤子の荷物はぴったり単身パック一つ分。お値段も五万円きっかりだった。
 驚いている薫に、藤子は引っ越しの領収書を丁寧に折りたたみながら答える。
「物にはさほど執着がありませんので」
「かっこいい。ベテラン転勤族みたいです。今後、僕から離れて転勤させるつもりはありませんが」
「転勤は勤め人のさだめです。……ところで、専務」
 さりげなく専務権限を発動しようとする薫を受け流して、藤子は目の前に佇む邸宅を見上げる。
「……私のすみかは、屋根裏部屋でいいです」
 藤子が眉をひそめてみつめた先には、美術館のように広大なお屋敷があった。塀は端が見えず、警備システムの完備された門の奥に、これまた嘘のように立派な四階建ての邸宅がそびえたつ。
 薫は微笑して、またまた、とからかう。
「藤子さんは結構冗談がお好きですよね。もちろん藤子さんの部屋は僕の部屋の隣です。眺めがよくて、庭がきれいに見えますよ。さ、行きましょう」
 薫はひょいと藤子の手を取って、先に立って歩き出す。
「おっ……と? なな?」
 藤子は自然な動きで取られた手に、うろたえたように目をまたたかせた。いつも平静な藤子のそんな反応を見て、薫はその手を少し上げて問う。
「嫌なら離します。でもできたらつないでいたいです。……だめですか?」
 この年下御曹司は時にこうやって甘えて、藤子を上目遣いに見る。
 藤子はそんな彼を見守り、支えてきた秘書である。庇護欲と、多少の動悸は……異国のような邸宅を前に、不整脈を起こしているからだろう。
 藤子は頼まれたら断らない秘書の誇りを胸に、ゆっくりうなずく。
「私の手に付加価値があるとは思えませんが……専務が面白いなら、どうぞ」
「では、お言葉に甘えて」
 薫はうやうやしく藤子の手を包むと、邸宅の中に藤子を招き入れた。
 邸宅の中では使用人が待っていて、薫は一人ずつ順々に紹介をしていく。
 家の管理を司る執事、メイド、庭師……。家の大きさから藤子ももしかしたらと思っていたが、藤子は次第に遠い目をしながら話を聞く。
「それで、ここが藤子さんの部屋」
 極めつけに薫に連れてこられたのは、文化財でしか見たことがないようなマホガニーの家具と、天蓋付きベッドの揃った一室。
 藤子は耐えかねたものが爆発するように、一拍黙ってから言った。
「い……嫌です!」
 藤子はとっさに子どものように抵抗していた。薫もさすがに異変に気付いて、藤子さん?と問いかける。
 藤子はごくんと息を呑んで、彼女の固い決意を口にする。
「持ち物に執着はないですけど。おじいちゃんが譲ってくれた平たい綿布団だけは、小学校から私の友達です……!」
 薫の手を振り払う勢いの藤子に、薫は慌てて言葉をかける。
「わ、わかりました! ベッドではなくて布団派なんですね? この部屋は和室もつながっていますから、そこに布団を敷きましょう」
 薫はすぐさま藤子の思いに添うように提案してみせた。それが藤子には意外だった。
 普段、どんな仕事でも薫に合わせてきた。だから藤子はきょとんとして、そろりと問い返す。
「え……? いいんですか?」
「これから一緒に暮らすんですから。藤子さんの希望は大事にしたい」
 藤子は真摯な調子で言われて、ちょっと考え込んだ。
 あれ……おかしいな。専務、こういう人だっけ? わりと無茶ぶりの人ってイメージだったんだけど……優しいぞ?
 藤子ははっとあることに気づいて、しずしずと頭を下げて言う。
「ありがとうございます。こんな同居人ですが……これからよろしくお願いします」
 薫は藤子の綺麗なお辞儀を見て、少し頬をかいて言う。
「……なんだかお嫁に来るみたいで照れますね。はい、これからよろしくお願いします」
 薫はしばらく照れていたが、うなずきながらつぶやく。
「そうか、まずはおじいちゃんの布団がライバルか。……負けてられないな」
 藤子はそんな薫を不思議そうな目で見上げながら、彼女も自己認識との齟齬にちょっと戸惑っていたのだった。
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