ノート
ねんのため手にしていた携帯は、ポケットから出すとすでに『 充電がありません』が表示された。

誰も居なくて、携帯もまともに動かなくて、何一つ救いがない。
溢れてくる情報を遮断することも許されなかった。

「あっれぇー!?」

ぐちゃぐちゃな思考のまま、なるべく人がいない道を選んで歩いていると、そんな声。

コンクリート壁のそばの溝のところで、少年がなにか探しているようにしゃがんでいた。

「ない、ない、俺の財布がないー。ピンクの財布、ピンクい財布なんだけどな」

どうやらピンクの財布をなくして、探しているらしい。

やがて、がばっと振り向いた彼は俺を見た。

「なあっ! ピンクの長財布しらね?」
ぽかんとしていたら、彼は、あれ? という顔をした。

「俺だよ俺……いまや真っ白な俺。 白似染 緑っ! みどりくんって呼べよ」

「ああ、隣のクラスの」

彼はうなずいた。

「また音楽きいてたのか? 学校じゃそんなもん聞いてないで、俺と話せよ? な?」

「嫌」

断ると、一瞬目付きが変わる。そしてすぐ明るい笑顔になり、俺を、びっと指差して言う。

「俺と話せ。

問答無用! イヤホンつけてたら引き抜く!!」


「そんなのいいから。ピンクの財布を探せば? 見つからないんだろ?」

「そうなんだよぉー、せっかくのペァロット・ツモトなのに……」

ブランドだろうか。
よくわからない単語が出てきた。

「ぺァロット高いんだぜ?」
「頑張れよ」

無視して行こうとしたら、強引に腕をつかまれる。
「一緒に探せよ、な?」

あそこでおごるから!
ぴっ、と指差された彼の指の先には『_KOH_ 』という店があった。
飲食店みたいだ。

「やってんの、あのカンベさんの親戚らしいぜ」

そういうのどこから回るんだろうか。
そんなことを考える。

「まあ、俺友達なんだけど! 俺も昔小説書こうとしたことがあってさ。でも周りの作風と似たようなのしかできなくて……あ、_KOH_ってな、ある人の名前っぽくしてみたらしいぜ」

河辺、だろうか。愛されているんだな。

「店長のしおりさん、美人なんだ」


財布どこかな??


「話してるんだけどォ!」
みどりが吠えた。
財布は結局、彼の懐から見つかった。

「あらー。ごめんご!」

「帰る」

帰って寝よう。

「コーヒー一杯だけでも! なっ? なっ? しおりさんに会いにいこう?」
別に興味はないけれど、白似染はあまりに必死だった。

「高めなやつ」

「ええ……お手柔らかに。今日のお前、あんまりしゃべんないんだな」

「は?」

「昔はもっと……って、ああ!! なにそれ腕、痛そう!」

「は? 切っただけだけど」

胸ぐらを掴んで強く殴る。これは、バカにされている。

「切っただけでなんでそんな反応されなきゃならない? なにか迷惑かけたか?」
ふと、人を殺してみたいと思った。
沢山の人が……特にカンベが教えてくれた。
俺は、切りたかった。血とか見て生きたかった。 なのに、好きなものを遠ざけられてきてつらかった。

小さい頃、見なくて良い、汚いと、避けられたものが全部俺はみたかった。

あいつも、心のそこから、ただ利用するために付き合っただけだ。
 俺を好きなら理想を踏み潰して砕けば傷つけるのは容易いと思ったけどまったく傷つかなかった。
こんなことなら。

素直に、利用してバカにするためだけだと言えばよかった。
価値を無くすためだけ。誰でもよかった。
あいつに価値なんかなかったんだから。


「っ……」

みどりを蹴る。
特に意味はない。

「……ぁ」


内蔵をさわりたい。

内蔵をさわりたい。

内蔵をさわりたい。
「じゃ」

 しばらく胸ぐらを掴んだ手を放して立ち去るために背を向ける。
さっき感動した自分がばかみたいに思えて悔しい。
切った皮膚はこんなにきれいなのにあいつなんで嫌そうな顔したんだ、って傷ついた自分がいた。けど、普通は腕を切ってそれを見ても喜ばないんだと気づく。

泣きたくなった。
俺が綺麗だと思うものは否定されてばかりだという気がする。
後ろの方で、みどりが「なんだよあいつ」と呟いていたのも気にならない。

腕から、テープが一枚剥がれた。血が固まってきた薄いピンク色の皮膚が見えている。
それを見てひどく興奮する俺は、やはり普通には生きていられないのだろう。



 翌日から、休学して時間もあるからアプリでホラー小説を書き始めた。
我ながら別に面白いとかじゃないけど、好きに血を流したり出来た。
主人公が皮膚を切り開くシーンには自分もまた興奮した。
部屋には姉も来るけど、だったら誰にも教えない場所で書けばいい。
それがうまく誰もじゃませずに完結できたなら、きっと俺は未練がなくなる。
そんな気がして、
おまじないで書き始めた。
それが終わったら、泣くのも終わるだろう。


 携帯を手に、血まみれになる様子を綴っていく。キャラクターは苦しんでいたが、俺は幸せな気持ちになっている。

数ヵ月やっていたら、メールが来た。


「盗作ですよね?」


そんな、ばかな。
性癖が同じ人がまだ居る?
 ほぼ自分にしかないような理想を書いているのに、誰かとまったく同じなんて指摘があまりにも信じられなかった。
その人も血や内蔵が好きなんだろうか。
だったら、この苦しさがわかるかもしれないという気もする。
腕を切ったのを指摘されただけで、さっきもすごく辛かった。


「枝折さんの作品ににています」

「カンベさんにもにている」

 メールがそんなもので埋まる。誰かは知らないけど確かにカンベの例もある……
教えてもらったアカウントをフォローして、いつも通り血なまぐさい話を書いていた。
 数十日あまりで台無しになった 『おまじない』だから、だったらせめて共感くらいはしてもらいたい。そしてブロックしよう。
 血や内蔵の話を、とても真面目に書いた。どうせ物好きしかいないので喜ばれていた。そして『枝折さん』たちもその一人なら……大喜びするような内容だ。
ぐちゃぐちゃで、どろっとした、内蔵や皮膚……
昼ごろに枝折さんからメールが来ていた。

「リアリティがない。
そんな血とかで人は喜ばないので共感できないし、ん?と思います。ちゃんとやってください」


一番、ん? と思ったのは俺自身だ。
 ちなみに枝折さんの載せている作品「金魚鉢の残り水を啜っている」を見ていると、確かにグロテスクな内容だった。
『そういう』意味なら俺はちゃんとやってるけど。

個人コメントも不思議だ。
「私みたいなのと違って、遊んで書いた学生でしょ?」
みたいな、フォローしたとたんにやたらと俺を意識したことばかり言っている。
確かに、枝折さんはデビューが決まったとかで意識が高い。

 遊んで書いたという煽りも、誰も喜ばないという決めつけも残念だが……
今の時代はSNSで簡単に繋がれる。連絡可能である『本人』より先に、部外者から盗作だと騒がれる立場…… 嫌な感じ。
夕方、家に知らない人が来た。

「あ、枝折さんですか!?」
わくわくした表情の二人の女子が声をそろえた。
「違います」
「でも……ここに」

 彼女たちは、スマホに表示された画面を見せた。そこには、俺の家の住所。

え?

「うしおさん、っていう大親友さんに、聞いて、来ました」
「私たち、ファンで!」

つっこみどころが多すぎて、なにを言えばいいかわからない。

「あいつ優しいからアポ無しで平気だって……」

「そんなことないです」

鵜潮を締めなきゃいけないことだけはわかった。いや、まず住所。
どこにも載せてない、んだが……
 もしかして、と思い当たったのはいきなり部屋にきて携帯を構えていたあの日。
なんとなく頭で線が繋がったのは木瀬野さん、カンベ、それから、鵜潮。
 あいつ……カンベの、なんなんだ?
どうにか帰ってもらったけれど、本当、カンベに絡まれてからは最悪なことばっかりだ。

 ひと欠片も感謝したいことは起きなかったし、生きる希望を根こそぎ奪って全部捨てただけの迷惑な存在だった。
死刑でいいくらいに。
 あいつが居なければまだ続いていたのかもしれない。
だけどあとは死ぬだけというのも気楽なものだったし、血まみれになることの快感も教わった。

俺は、もう生きていけない。
少なくとも普通には生きられない。
生きていない人のそばで生きたい。

 あとはみんなエキストラにしか見えなかった。生きて動くものは、どこか現実じゃないゾンビかなにかで、誰かが糸で歩かせてる。見える景色もジオラマのセットかなにかで、誰か画家とかがみんなで風景を描いてる。

俺は二次元のなかにすんでいるんだ。
誰かが何か言うのは、台本があるからだし、本屋の本だってこれも撮影用に、並べている。
お店の食べ物も、小道具らしく作為的にならんでいた。

 関係者が誰も連絡すらしてこないのは、そういう映画撮影の最中だから。俺が腕を切ったのも、あまり意識してないけど台本に書いてあってそれをしたんだと思う。
図書館の近くの道は、またポスターを張り替えている。主役の人がここを通りかかるのを待っているのだ。

アニメをつけると、誰か主人公の台本に沿っているような作為的な話しか見かけない。
この街全てが誰かのドラマであって脚本通りに毎日動く。

俺は、なんの役だろう?エキストラのひとり?
もう二次元から出られない。

その舞台中で、漫画や小説を開くと今度はそこも俺の役をやってる。
歩いたりしゃべったり。誰かに自我まで演技させられてるんだろうか。
ひとつひとつの行為全部が、誰かの漫画や小説の姿で、ぽんと現れるから、俺はなにもしゃべらず閉じ籠るのがいいかもしれない。

今閉じ籠るシーンが、放映中?
それから近くの本屋に行った。
俺が本屋にいったシーンの漫画を探して棚を見て回る。そう、今現在だが、早かったらもう売ってるだろう。

「あれ? ないなぁ」

木瀬野さんに甘えた、シーンも探すけど、見つからなかったので、あのシーンはボツだったのかなと思った。もう一度役柄を確認したかったのに。なんだか苛立った。

「なんで見つからないんだよ!」

店員の前で怒鳴る。
店員はなにこいつという顔で俺を見ていた。

「俺が、本屋にいるシーンも撮影されてるだろ!」

店員も役者だ。箔をつけよう、となにかに思ってまた騒ぐ。

「カメラ回ってんだろ!!! 無くしたのか!!! なあ無くしたのか!!!なんでなくすんだなんで!ふざけんなよ死ねよ!!」

「警察を呼びます」

「ああ、呼べ!警察はどんな役だろうな!」
どこまでが現実で嘘なのか、わからない。
カンベたちのせいで人は勝手に訪ねるわ、盗撮されるわ、勝手に作家と混ぜられるわで、とても同等な力がないと、個人では、二次元から抜け出せない。

商品のラインナップも、テレビの内容にも、干渉できないから。
 頭の片隅ではわかっている気がする。
これらの作り物を、纏めるには『権利』を得るしかない。だけど。

 カンベが言っていた。身内も、親の仕事も、何もかも把握済みだと。
だから、社会に出るようなことはするなって。

ヤクザってやつが、脅しに来るだろう。


――巻き込まれただけで?

 嫌いな『元凶』
作家(様)たちに、わざわざ絡まれてまで。




「ははは……あははははは!あはははは!あははははははは!あはははっ!」

頭が真っ白になる。
死ぬときはどんな死因にしたらいい?
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