ノート

side秋弥

 噂が真実だろうと何も晴れないし楽しくもない。
ただ、ゾクリと粟立つなにかを感じた。

 きっと俺は、木瀬野さんが好きだから。

そんな人が謝るのがみたいのだ。
カンベはどうでもいい。好意っていうのは、相手をいじめたくなることらしい。

「俺が好きだから、謝ってくれるんですよね? 俺が好きだから認めてくれたんですよね? 俺が好きだから真実から逃げないんですよね」

信じられる気がする。

「ね? 好きって、こういう、逃げ場の無い、重みのあることなんです」

ぽんぽんと沸いてくる、金とインクと紙の無駄遣いで出来る塊なんて、なんの嬉しさもないんだ。そんな好意なんて、本屋に行くのさえパニックになりがちな今の俺には、全く視界に入りもかすりもしていないのに。



だから、嬉しかった。
こんなに俺を想ってくれた人は、生涯でももういないかもしれない。
何度も拒否をしていた。気持ちだけでは、恋はできない。

 あまりにしつこくて面倒なときは、形だけ付き合って振ることで二度と寄り付かなくする。
一度は関わったのだからと思わせればもうやって来ないのだ。

「だけど、気付いた。
俺、『これ』が好きなんだ……! アハハハハハハハ!!」

 いつの間にか好きだという気持ちがさんざん蹂躙されて、徹底的に潰されることに、興奮を覚えるようになっていた。

「好きだって言えば、何をさせてもいいんです! 愛してると言えば相手は許してくれるから!」

木瀬野さんは何も言わなかった。

「嫌いなわけでもないし、そのままにしておこうと思ったんです。だけど……やめました、好きだから、誰より傷付いて欲しくて」

『その方』が、俺に裏切られる姿は良いと思った。
ここにくる前に、何を言おうとしていたか、全部抜けていた。
人を裏切ることと裏切られることは、愛情の一種なのだ。

「誰も来ないのが、悪いんですよ。他の人たちも紹介してくれませんか?

唯一繋がる人にしか謝ってもらえない。

その人たちのぶんまで、愛そうと思います」

電気を消す。
いつもポケットにいれていたハサミを手にとる。倒れこんだ木瀬野さんの眼球の前に、落とさないようなバランスで掲げてそれを翳す。

「そんな、情報なんか、簡単には……」

「エクレアをね。食べようとしたんです。それでね」
「秋弥、くん?」

「好きだから、って言って虫が、入ってたんです」

「秋弥くん」

「俺を困らせたいから、折ったって言うんです」

「秋弥くん」

「びりびりに、破かれてた、んです。俺を怒らせたいから。
ゴミが捨てられたんです。俺に、見て欲しいからでした。殴られたんです。ずっと、ずっと。

俺が、俺が、好きだと言わないから」

「秋……」

「俺が何をしたんですが何をしたんですか何をしたんですか何をしたんですか何をしたんですか何をしたんですか何をしたんですか何をしたんですか何をしたんですか何をしたんですか」
「っ……」

「あ ああああああ゛ああ――――――――――――好き、好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだー好きだ好きだー好きだ好きだーー好きだ好きだー!好きだ好きだー!」

「……、秋、弥……くん」

「好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだあああああー好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだーああああ!
これでいいかー!
満足かああああああああ」
どす、どす、と僕を蹴っていることにはまるで気がついていないかのようだ。与えられる衝撃に息が詰まる。
なのに、なぜか僕は動けずにいた。

「好きだー!好きだー好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだあああ゛あーあああああーアハハハハハハハハハハアハハハハアハハハッ! アーッハハハハハハハハハハハ!!!! 好きだ俺も好きだ俺はお前をああああああああああははははははははー!」

 強引な他人の好意が、どれだけ迷惑なものなのか。どこまで人をおかしくするのかをかいま見たようだった。
他人が強引に意識を向けさせることは、彼には犯罪者のようなものらしい。
心の底では、「誰も居ない」空間を愛しているのかもしれない。
それを、奪ってしまった。
河辺……いや。

「僕たちがやりました」

蹴られた箇所をなるべく気にしない風におきあがり僕は言う。

「聞いてんだろ、好きだと言わないからあんなことするんだろ満足か、いくらでも言うから消えればいいのに! 好きだといえば、あいつらはいなくなるのか」

彼には、『誰』が見えているのだろう。
これまで傷つけられてきた誰かたちだろうか。

「好きだって、言ってるじゃないか、まだ不満か? 望んだくせに望んだくせに望んだくせに望んだくせに望んだくせに望んだくせに望んだくせに望んだくせに」

そうだ。
彼は望んだことを、している。好かれるまで続く暴行から逃げたいから。
「好かれれば満足だろ?
なんで、なんで、なんでムカつく表情なんですか
ほら、好かれたんだから笑って、くださいよ。アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない

「ほら、笑ってください、喜んで、喜べよ! 好かれなきゃ許せないんだろ」


好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
殺してくださいー!
殺してください!!
俺には感情がないから生きていけませーん!
人間じゃありませーん!
人間じゃないんです!!


アハハハハハハハハハハハハハ!!!

政治家が法案でも作るんでしょう!!

早く撃つなりなんなりして、排除してください」



彼は錯乱したまま、しだいに、僕さえも見えなくなっていた。
そうだ……

 ぼんやりとした頭が、彼が僕に紹介を頼んでいたのを思い出す。
売れ、ということ。

カンベに関わった人たちを。聞いてどうするかはわからないけれど、『実感』を持たせるのと、なんの情報もないのとで、向き合い方が違うのかもしれない。
でも、まずは……




 少し起き上がっただけのような姿勢で僕はどうにか携帯電話からアドレス帳を開いた。河辺に、連絡をとると彼ことを知っていると言う鵜潮を紹介してくれたので電話をかけた。

出ないだろうと思ったが通話が繋がる。
鵜潮は彼と仲が良いらしい。

「うん。それで、秋君の部屋の写真も持ってるよ」

……?
僕は単なる同級生ということにして会話をした。 彼は、玩具のおしゃべり鶏みたいに、一度話を始めたら止まらなかった。
筆箱も同じだとかそれをいままで喜んでたのに急に批難されたという話になった。

なぜだろう?
背筋にぞっとするものを感じるのは。

秋弥君はもともとはそんなにキツい性格ではなさそうだった。
ただ……そう、なんというのか『こういう』人間を寄せ付けやすいところがある。

「一緒に買いに行ったの?」

「いや、次の日買いに行ってきたやつを見せた。その日はなんも言わなかったけど、酷くない?」

何度も似たことをしている口ぶり。
「……」

鵜潮の強い思い込みによる、妄想ではないだろうかという思いが強まっていく。

秋弥君も恐らく心のなかでは複雑な部分があったのだろう。
いじめられていたんだけど、彼は友達になってくれたと言っていた。

けれど、秋弥くんからは思えば一度たりとも鵜潮の話題を聞いたことがない。
『そこまで』の信頼関係があるようには、僕には全く思えなかった。

……これは、恐らくは、みんながいやがって「遠ざけていた」パターンだろう。
クラスに一人は居る場合のある、いじめられるタイプの中でも厄介な『原因があるのに自覚がない』もの。

思い込みが強く、人との距離感がわからない、
本人は真面目なつもりで頑固になってマイワールドのなかで発言して振る舞う。
 なにか彼を落ち着かせるヒントがないかと思ったが、彼は火に油だろうということが判明した。ありがとう、と通話を切る。


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