造花街・吉原の陰謀

7:双子の幽霊

 いつの間にか眠ってしまったらしい。こんなにぐっすり眠ったのはいつぶりだろう。そう思って、明依は目を擦った。眠る直前まで宵は側にいてくれた。その温もりはもうなかった。それにしても全く寝足りないところからすると、まだ夜中だろう。ここ最近は、夜中に目が覚める事が多い。

「ねえ、どうして私たちに話しかけたの?」

 目を開けたと同時に抑揚のない綺麗な声が響いて、明依は布団に横たわったままはっと息を呑んだ。そこにはそっくりな容姿をした中学生くらいの双子の男女が明依の布団を挟んで座っていた。

「用事があるの?って聞いたでしょ。私たちに話しかけたらダメだって、誰も教えてくれなかったの?だったら凄く、可哀想」

 まだ子どものはずなのにそうは思えない程の無表情が、薄気味悪い雰囲気を加速させているのかもしれない。唖然としたままの明依を見た少女が小首を傾げた事で、真っ直ぐな髪の毛がサラサラと肩から落ちた。

「やめてやれよ。怖がってるぞ」

 少年の声は少女に比べれば抑揚があったが、それでも落ち着き払った声色だった。少年は少し眉を潜めて明依を挟んだ向かいに座っている少女を見ていた。
 二人の身に着けている白い着物に反射した色。容姿に似合わない落ち着き様。しっかりとこの目で会話している様子を見ているのに、どこか同じ人間とは思えなかった。

「なに?」

 少年は明依の視線に気付いたのか、横たわる明依に視線を落とした。明依は無意味とは思いながらも、掛布団を顎まで引き上げた。

「あなた達は誰なの?」
「誰って、どういう意味?俺たちが生きているのか死んでるのかって事?」

 そういう少年に明依はゆっくり頷いた。

「試してみる?」

 そう言うと少年は明依に手のひらをかざした。何かの儀式が始まる予感にとっさに掛布団を頭の上までかぶろうとしたが、肝心の布団は全く動かなかった。

「何!?やだ、待って!怖いって!!」
「私たちの事が気になるなら、ちゃんと自分で試さなきゃ」

 どうやら少女が掛布団を掴んでいるらしい。少女は無理矢理明依から掛布団を奪うと放り投げた。聞かなきゃよかったと目に涙を溜める明依など気にもせず、少年は明依に手のひらを差し出した。

「何やってんだよ。ほら、はやく」

 それが手に触れてみろと言う意味だと悟った明依は、先ほどまで取り乱していた自分が急に恥ずかしくなった。幸いにも二人は気付いていない様なので何事もなかったていを装って身を起こすと、恐る恐る少年の手に触れた。

「……触れた」
「そりゃそうだろ」
「生きてるんだから、当たり前」

 少年に続いてそういう少女に、明依は脱力した。

「だったら最初からそう言ってよ……」
「そんな勿体ない事しない。幽霊だと思っている人間が怖がる所を見るのが楽しいのに」
「悪趣味……」

 少女は相変わらず抑揚のない口調でそういう。不愛想に見えて意外と悪戯好きらしい。布団をはぎ取る時点から完全に楽しんでいた。子どもにいいようにされている事が、情けないを通り越して可哀想にさえなってくる。

「非現実的な事妄想して恥ずかしいくらい取り乱していた。それなのに、何事もなかったみたいな顔してる。大人って汚い」

 少年以上に表情も声も平坦な少女から、本気で言っているのか揶揄っているのか読み取ることは難しい。しかし、真夜中に目が覚めるとそっくりの顔をした双子が枕元にいる事を想像してみてほしいと思った。初手から金切り声でわめき散らかさなかっただけ褒めてほしい。白い着物がまた不気味さを強調している。白が光っている様な、浮き上がっている様な感覚がするのは、きっと先入観なのだろう。人間とわかってこうやって話しているのに不気味な感じがするのだ。

「俺たちはただ、お前の事を見に来ただけだ」
「なんで見に来たの?」
「興味本位。俺たちに話しかけた物好きな〝黎明〟見に行こうぜって悪乗りして来ただけ。そしたら起きたから、ビビってるのはこっちの方」

 少年は淡々とそう答えた。吉原では恐怖の対象である双子の幽霊も年相応の悪ふざけをするらしい。その傍らには革のアタッシュケースが置いてある。少女を盗み見ると、彼女の側にも同じ革のアタッシュケースが置いてあった。

「ここ最近、ずっと私の事見てたでしょ?」
「この人ダメな成長の仕方をした大人。自意識過剰です。関らないで」
「やめろよ。ややこしくなるだろ」

 確かに自分でもちょっと危うい聞き方になったかなとは思った。少女の〝ダメな成長の仕方をした大人〟に、このクソガキと喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ自分を褒めてあげたい。少年はどこか呆れた様子で少女を見ていた。

「最近の吉原はおかしい。お前も他人事じゃないって、気付いてるか?」

 少年は少女から明依へ視線を移した後、相変わらず平坦な口調でそういった。何の話か分からない明依を見た少女は、口を開いた。

「次期頭領選抜は表向きで、旭が選ばれる事は主郭内外からの評価でほとんど確定していた。旭が吉原を解放する意思を示していることが妨げになるかと思ったけど、旭の性格に触発されて誰もが協力を惜しまないそぶりを見せていた。抽象的な言い方をすれば、吉原は明らかに〝いい流れ〟になってた」
「旭が死んで、吉原のこれからが不透明になった。加えて満月屋の雛菊の死。だからお前を見てた。近しい人間が吉原に対して何か行動を起こすかどうか少しでも可能性がある限り、その人間の情報を記憶するのも俺たちの仕事だ」
「誰かが敵になったのか、敵が潜り込んだのか。どちらにしても、いまだかつてここまで吉原の動きがおかしい事はない」
「この吉原には多分、何かいる」

 少年と少女は交互にそう喋って言葉を止めた所を見るあたり、終夜よりは明依の理解進捗度を考慮する気があるらしい。しかし、話の内容を理解しきれない脳みそでは言葉を発すことができない。そのくせ一丁前に頭の隅で〝情報過多の証拠だ〟なんて結論付けているのは、ここ最近で許容量を超える情報を一気に注ぎ込まれる事に慣れた証拠なのかもしれない。
 この少年少女の言葉には、何年生きているんだと思わせる程の重みを感じる事は確かだった。

「私たちは〝語り部〟。造花街・吉原の歴史を、記憶することが仕事」
「記録じゃなくて、記憶するの?」
「そう、記憶。〝双子の幽霊〟は世代を代えながら現代までの出来事を記憶してきた。今は私たちの番」
「じゃあ吉原の出来事を記憶してるの?年とか日にちとか、全部?」
「してる」

 少女は呟きながら小さく頷いた。どんな記憶力してるんだと思ったが、売られてきた子どもを戦えるように教育するような場所なのだから、記憶させる事に力を注いでいたとしてもおかしな話ではないかと、既に感覚がマヒしている実感はあった。

「だから吉原の中で噂される〝双子の幽霊〟は、容姿も年齢も違うんだ。そもそも吉原は、国から街を奪って今の形になった。外部に漏れたら困る情報を、文字で残すにはリスクがデカすぎる」

 少年はそう言うと黙り込み、明依の様子を伺っていた。そして、少年と少女は顔を見合わせた後、明依に向き直った。

「驚かないんだな。国からこの場所を奪ったこと、聞いたのか?」
「うん、終夜に聞いた」

 明依は少年の質問に頷きながら答えた。

「見張っておいてよかった」
「当たりだったな」

 どうやら試されていたらしい。見た目は子どもなのに、喋り方や話の内容を含めて子どもと話しているとは到底思えない不思議な感覚だった。

「終夜は〝陰〟の最高傑作。現代の吉原にとって重要な人物だ。そんな終夜は、好んで他人と関わる様な人間じゃない。そして、終夜に深く関わる人物はよく死ぬ」

 明依は思わず息を呑んだ。まるで、次はお前の番だとでも言われた様な気がした。

「だから、お前を見張っておく」
「もし殺されそうになった時、助けてくれるって事?」
「助けない」

 自分よりもいくつも年下の子ども相手に助けてくれると一瞬でも期待した自分は情けないが、明依の言葉にかぶせる様に少女は一言そう呟いた。

「メリットが何一つないから。ぽっと出の一遊女より、吉原の歴史全てを記憶している〝双子の幽霊〟の方が、吉原の未来にとって価値が高いに決まってる。私たちが殺される可能性がある以上、助けない」
「正直に言って、お前が終夜と関わる事で生きるか死ぬかはどうでもいい。ただ、終夜は吉原のこれからに大きく関わっている。だから関係のある人間は見張る。それだけだ」

 自分に価値がないと言われた様で少しばかり傷つく明依だったが、もともと終夜がその気になればない命だ。なんどもその機会はあったのに、今も生きているという事はなんだかんだ運がいいのだろうと大した恐怖や危機感はない。
 双子の幽霊の年齢は、おそらくまだ中学生くらいだろう。ここまで達観した考えに至っているという事に心が締め付けられる様な思いがした。本当なら友達と思い切り遊ぶ青春時代と呼ばれる時期だろう。雪といい双子の幽霊といい、吉原にいる子どもたちは子どもでいる事を許されない。

「一度きりの人生なんだよ。まだ若いのに、こんな場所に縛り付けられて後悔しないの?」
「その一度きりの人生で自分から吉原に来たくせに、くよくよ悩んで死にそうな顔してるヤツにだけは言われたくないんだけど」
「いや、そうなんだけど。……えっ、なんでそんな詳しく知ってるの?」
「観察してた。人間の感情の起伏は激しいと思った」

 少年の言葉に口ごもりながら反論する明依に、少女がとっておきの爆弾発言をしたおかげで、明依の中の世界は数秒とまった。観察されるのはいい気がしないが、百歩譲って仕方のない事だとする。しかし見られている内容によっては恥ずかしすぎるし、何より不健全極まりないこの街の裏側を少年少女が当たり前に認識しているという、底知れない背徳感に明依は頭を抱えた。

「どんなところ見た?」

 聞かなくてもわかっているのだから聞かなければいいものを、ついつい話の流れ程度の感覚で口走った。つい数時間前であろう宵との出来事も見ていたのだろうか。

「割といろいろ」

 少年は恥ずかしげもなく平坦な口調でそういう。なんだか逆に気を使われている様な気がした明依は、とりあえず目を閉じて酸素で肺を満たした後、空を仰いで息を吐きだした。

「ここは遊郭だぞ。お前がいつ、どこで、誰と、どうなろうと別にどうでもいい。俺達は吉原に関わる大きな出来事を正確に後の世に残すだけだ。それ以外の情報はいらない」
「あなたの着物の下を見てどう思ったのかなんて感想はゴミクズ以下だから安心していい」

 どこをどう安心していいのかわからないが、明依はとりあえず「うん」とだけ呟いた。

「でも正直に言うと、私は着物からはみ出すくらい恵まれたいと思った」
「着物からはみ出すくらい恵まれているのなんて、勝山大夫くらいでしょ」
「あれははみ出してるんじゃなくて、出してんだろ」

 少女の恵まれたい発言に対する意見を述べれば、少年がすかさず割って入ってくる。今日がほぼ初対面の子ども、しかも〝双子の幽霊〟を相手にここまで普通に会話できている事が正常なのか異常なのかすらわからない。きっと、異常なのだろうが。

「それにしてもお前、肝が据わってるな。何度も終夜に殺されかけといて、それでも終夜を利用しようとするなんて」
「結局いつもいいようにされているだけで、悔しいけど。知りたいことがあったし」
「鈍感な方が生きやすいに決まってる。感情程尺度が曖昧で、言語化すれば不明確なものはないのに」

 知りたいことがあるという好奇心が理解できないという事なのだろうか。少女の言葉の真意を確かめる言葉を口にするより前に少女は立ち上がって、傍らに置いていた大きなアタッシュケースを手に取った。それを見た少年も同じように立ち上がった。

「とりあえず俺たちはお前を見張るけど、何も気にしなくていい。直接的に関わる事も、もうないと思うけど」

 そう言って部屋の襖を開けて隣の部屋へと移動した。

「待って!」

 明依は双子の後を追いながら布団のある部屋から出て呼び止めると、二人は襖から顔をのぞかせて廊下を見ていた。そして明依の声に同時に振り向いた。

「旭を殺したのは、誰なの?」

 双子は顔を合わせると、同時に明依を見た。

「私たちは知らない」
「探偵ごっこは専門外だ」

 そういって、今度こそ双子は部屋を出て行った。
 ひとりぽつんと残された部屋は、なんだか落ち着かなかった。普段客の相手をする座敷に一人でいる事などない。だから落ち着かないんだと分かってから、明依はすぐに座敷を後にして自室に向かった。
 今は何時かわからないが、日奈と喧嘩をした日もこんな真夜中だった。明依は少しの間、誰もいない暗い廊下で感傷に浸っていた。
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