きみとなら、無駄な話も千回したい
あの時の僕に、あと少し行動力や勇気があったら。
 嫌がられたら恥ずかしいとか、学校に行けなくなるとか。
 そんな思春期な気持ちが頭の中をいっぱいにして、胸に抱えていた想いを伝えられなかった。
 いま思えば自己保身も大事なことだけど、もっともっと大事なきみに……『好き』だって言えれば良かった。
 後の祭り、て言葉。これを考えた人も、僕と一緒で地べたにのたうち回りたいほど、後悔したんだろうな。
 
 清潔感のある店内に漂う、芳醇なコーヒーの香り。
 軽やかで落ちついた音楽が流れ、ショーケースにはこんがりきつね色に焼けた焼き菓子が並ぶ。
 いくつかあるソファー席からは、たまにボリュームを抑えた女性たちの明るい笑い声が聞こえてくる。
 テーブル席ではスーツ姿や学生風の人が、真剣な眼差しでひろげたパソコンに向けていた。
 大きなガラス窓からは西日が店内に差し込み始めたので、ブラインドを半分おろす。
 次のドリップコーヒーのために、カウンター内でスタッフがグラインダーで豆を挽く心地よい音がする。
 日本中のどこにでも見かける、コーヒーチェーン店。
 誰かのための第三の居場所。いつもの変わらない安心する風景、僕の職場だ。
「はるさん、フードの補充どうしましょうか?」
 大学生バイトの斎藤くんが、夕方から夜にかけてのピークを迎える準備に入ってくれるようだ。
「そうだね、サンド系と·····あとシナモンロールを少しだけ多めに出しておこうか。クッキーは様子をみて」
「シナモンロール売れますよね、俺の彼女も好きですもん。バイトの日は買って帰ってきてって頼まれます」
刈りたてなのか、白いシャツのうなじのすっきりとした、襟足をかきながら照れくさそうに笑う。
「そういうの、惚気っていうんだよ」
「だって、初めてできた彼女なんです。いろんなことがすごく嬉しくって」
 惚気、と言われて恥ずかしくなったのか耳まで赤くする。なのに堂々と嬉しいと言う。
「はるさんも、早く『八年目の彼女』とうまくいくといいですね」
 斎藤くんが、こそりと僕にだけ聞こえる声量で呟いた。
「……そうだね。僕も、もっと自分磨きを頑張らないとな」
「いや! それ以上どこを磨くんですか……って、八年目の彼女さんがオッケーくれないのって……。もしかして、はるさん本当はめちゃくちゃ性格が悪いとか?」
 本気で心配そうにするので、がら空きの脇腹を小突いてやった。
 コミニュケーション力をつけるために、ダメ元で大学生のときにこの店のバイトの面接を受けた。
 おしゃれな店で、スタッフ同士も仲がとても良さそうに見える。
 白いシャツにエプロンで飲み物やフードをてきぱきと提供し、客と楽しそうに会話をする姿に心の底からびびった。
 正直、こういう店は友達と一緒なら来ることはできたけど、ひとりではとてもとても。
 ファーストフード店とはまたちがう雰囲気に、勝手に場違いとしり込みしていた。
 でも。こういう場所だからこそ、理想の自分になれるかもしれない。そう強く思い込み、震える手で面接の問い合わせをした。
 面接時間の一時間前から近くの喫茶店で待機しながら、受かってもいないのに逃げ出したくて仕方がなかったのを覚えている。
 だけど、僕は自分を変えたかった。
 目立たず喋りも下手な自分を変えて、もう一度彼女に会いたかった。
 十八歳の僕の、初恋の同級生。想いを伝えられないまま、彼女は引越しで転校してしまった。
 相当の人手不足だったのか、完全にぎこちない受け答えしかできなかったコーヒー店の面接に受かった。
 地味な大学生だった僕は、キラッキラのオーラを出すスタッフたちに揉まれて少しずつ変わっていった。
 とにかくコンスタントに出る新作商品のためにお店は忙しく、みんなで協力をしていかないととても回らない。
 けれど数をさばくより会話を大事にするように教えられ、一人ひとりのお客さまに丁寧に接した。
 呪文みたいなカスタマイズに最初は頭が真っ白になったけれど、休憩中にスタッフが覚えるコツ教えてくれた。
 実際に自分の賄いでもカスタムをしてみると、特別な一杯に嬉しくなった。
 流行りの髪型や服装も、勇気を出して聞けば同じ大学生バイトたちがアドバイスをしてくれた。
 半分は面白がられていたかもだけど、一緒に買い物に行ったりするのは刺激的で楽しかった。
 次第にコーヒーに関してどんどん興味がわいた。就職活動が始まるころ、真剣にこの仕事に取り組んでみたいと考えた。
 そうして勉強し、社内試験を受けてバリスタになった。
 僕は自分でも驚くほどに変わった。
 初対面の人とも接することにも慣れたし、見た目もだいぶ良い方向に変わった……と思う。
 女性のお客さまから連絡先を聞かれたり、渡されたりすることも多くなった。
 『八年目の彼女』、それは僕が片想いを続ける彼女にスタッフたちがつけた名前だ。
 お客さまに交際相手の有無を聞かれる度に、「高三からずっと好きな人がいるんです」と答え続けた結果だ。
 そうして今年で、『(片想い)八年目の彼女』ができあがった。
 そのぶん、僕はこの店でも上の立場になり指導を引き受ける立場になった。
 その彼女には、転校してしまってから一度も会えていない。
 いつか連絡先を聞こうと先延ばしにしてきたことで、プッツリと『同級生』という細い繋がりはいとも容易くちぎれてしまった。
 せっかくクラスメイトだったのだから、ただ眺めるだけじゃなくて。
 顔が真っ赤になったって、声がうわずってみっともなくなったって、何かしらの連絡先を聞いてみればよかった。
 こんな風に、二十五歳になったいまでもその存在を忘れることが出来ずに、彼女を想い続けている。
< 1 / 3 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop