さよならの向こうにある世界

降りかかる現実にチクチクと針を刺されるように痛み出した心臓を無視して、再び歩き出した彼に倣って私も歩き出す。いつ、どこで、何があって、死んでしまったのか。これらについて順を追って聞こうとする私を遮るように前方から声が届く。

 「まぁ僕のことは追々話すとして、芽依ちゃんのこと聞かせてよ。僕の知らない五年間の芽依ちゃんの話」

 届いた言葉にまた心臓が傷む。だってそんなもの、持ち合わせていない。碧斗君に聞いてほしいことなんて、私には何もない。

 「——特別なことなんて、何にもないよ」

 「特別って何だろうね」

 あまり悪く聞こえない言い方を選んだ私に彼が笑いながら答える。

 住宅街の灯りが見えてくると、暗がりは徐々に色味がかり、落ち込んだ私の心にほんの少しだけ光をさしてくれた。足を止めて夜空を見上げる彼の瞳にぼんやりと月が映り込むと、口元は少しずつ動き出す。

 「特別ってさ、どうやって計るんだろうね。例えばだけど、僕からしたら、今この世に生きてる芽依ちゃんの毎日ってすごい特別だなって思うし、羨ましいなとも思う。そうやってさ、誰かの中に特別を探すのは簡単だけど、自分の中に探すのは意外と難しかったりするんだよ。——だけどまぁ、僕なら特別だって思える毎日を送りたい。きっとさ、自分が特別だって思えるならそれでいいんだよ。どんなに小さなことでも感じ方一つで何もかも変わってくると思わない?ほら、僕死んでるけど、今こうやって芽依ちゃんと話ができてる。これって特別じゃない?」

 今日は満月だ。そんな満月に照らされながら話す彼の瞳がなぜか潤んで見える。同じように顔を上げると、その満月は簡単に私の瞳にも映り込んできた。

 感じ方一つで変わる。——もし碧斗君が私だったら、この代わり映えのない毎日も特別だと感じているだろうか。私もそんな風になれたら、この心臓をくれたドナーの方にも胸を張っていられるのに。だけど私はこんな時でさえ、涙が出そうになるのを必死に堪えることしかできなかった。

 「満月だね」

 その一言だけ吐息と一緒に吐き出してみたけれど、丸く光った月も住宅街の灯りも、もう私の気持ちを照らしてはくれなかった。

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