彼女は、2.5次元に恋をする。
第13話 蓮君……大好き
 教室の時計は現在、7時47分。

 窓を開けると、こもった空気と引き換えに、朝の新鮮な空気が入ってくる。それを深く吸い込み、ゆっくりと吐いた。
 今日も暑くなりそうな、よく晴れた空。まだ誰もいない教室には、セミの鳴き声だけが響いている。

 今日は、小石と漫研を訪ねる日だ。

 一週間弱の俺の短い初恋が、たぶん今日終わる。せめて、その瞬間が来るまで、小石との思い出が少しでも欲しい。
 というわけで、俺は昨夜『小石と二人で昼食を食べよう計画』を考えた。その誘いの手紙――と言っても、ノートの切れ端を四つ折りにしたものだが、シャツの胸ポケットから出し、内容の最終チェックをする。

『昼ご飯、一緒に食べよう。北校舎屋上の階段で、現地集合』

 今朝、30分程かけて校内を調査した結果、そこが一番人目につかなそうな場所だという結論に至った。そして、その階段全段と踊り場、屋上扉手前の空間をほうきで掃き、雑巾で念入りに水拭きしておいた。掃除当番が、どのクラスにも割り当てられていないのか……結構汚れていた。

 手紙やら調査やら掃除やら、なぜここまでするのか。
 それは俺が、周りの目が気になる『小心者』だからだ。

 他のクラスメート達がいる中で、堂々と小石を誘うことはできない。周りから『それ、絶対好きなやつじゃん!』と言われるだろうし、実際好きだから否定もできない。
 それに、教室で堂々と男女一緒に昼食を食べようものなら、「付き合ってる」と噂が立つことが安易に予想できる。それでは、彼女に迷惑がかかってしまう。

 俺は開いた手紙を畳み、小石の机に入れた。

(よし。とりあえず、今やるべきことは終わった)

「ふぁ……」

 不意に大きな欠伸が出た。少し気が緩んだせいか、急に眠気が襲ってきた。昨夜遅くまであれこれ考えていた上に、今朝は5時に起きてしまったので、とても眠い。

(ちょっとだけ寝るか)

 俺は欠伸の涙を拭いながら自席に戻り、机の上に突っ伏した。

***

「……ん君、蓮君……」

 誰かの声がする。俺を『蓮君』なんて呼ぶのは、このクラスであいつしかいない。

 俺が机から顔を上げると、やはり小石が――なぜか俺の前の席に座り、振り返るような体勢で、俺を見つめている。
 よく見ると、その瞳は熱を帯び、頬は紅潮している。朝から、なんて顔を向けるのか。一気に目が覚めた。

「ど、どうした?」

 小石は椅子ごと体をこちらに向けると、突拍子もなくその顔を近づけ、俺に耳打ちをした。

「……蓮君……好き」

「………………」

 いや、そんなはずがない。そうだ、俺が都合よく『すき』を『好き』と誤変換しただけだ。本当は『(すき)』とか、『(すき)』と言っているのかもしれない。

「……ちょ、何だって?」

「蓮君……大好き」

「だっ……!?」

 俺は咄嗟に、耳打ちされていた手を掴んだ。

「蓮君?」

(!?)

 瞬間、身の毛がよだった。
 小石は小石なのだが――その声はさっきと違い、なぜか男の裏声のようだったのだ。

「は?」

 掴んだ手の感触が、妙にゴツくてデカい……



「こいしっ……!?」

 俺は勢いよく、机から再び顔を上げた。

 その目に飛び込んできた光景に、絶望の淵に叩き落とされる。
 自分が掴んでいる手の相手は――前の席の、ニヤけたツーブロックだった。
 現実世界の小石は、自席でいつも通り朝読書に没頭している。

(……っ!! 二段オチかよ……)

「こいしっ? そんなにオレが()()かった?」

「………………」

「もうすぐ朝のSHR(ショートホームルーム)だから、耳元で囁きながら、蓮君を優し〜く起こしてあげたんだけど」

「お前が蓮君呼びするな!」

「『ムク』をやめろって言ってたから『蓮君』にしたのに。じゃ、やっぱ、ムク! あ……」

 尾瀬が急に真剣な顔をし、再び耳元で声を落とした。

「……ムク、顔真っ赤。悪い、ムセーさせた?」

「ばっ!!! んなワケあるかっ!!!」

 怒髪天を衝いた俺が、立ち上がって叫んだ。
 一気に静まり返った教室に、再びセミの鳴き声だけが響く。
 自分に突き刺さる、クラスメート達の視線が痛い。

 そこで、担任の多幾先生が入ってきた。

「おはよう! ……あれ? 喧嘩か?」

「いいえ、ちょっとした悪ふざけです」尾瀬が頭をポリポリと掻きながら、苦笑する。

 ――決まった。

(賭けに勝った暁には、『金輪際(こんりんざい)俺に話かけるな!』と言ってやる!!!)
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