カタストロフィ
第3章

帰郷



「ではメアリー様、今日の歌のレッスンは《フィガロの結婚》にしましょう。ケルビーノのアリアはもう2曲とも覚えましたね?」

「ええ〜、またモーツァルト?」


ピアノ越しに見る教え子のふくれっ面に、ユーニスは苦笑した。
シェフィールド家の末子にして唯一の女児、メアリー・ジーン・シェフィールドは、兄たちと歳が離れているからか、はたまた両親があまり厳しい躾をしていないからか、年齢の割には幼いところがある。

飽きっぽく考えることを嫌う彼女の指導は手間がかかるが、対策を立てられる分まだやりやすい。

「モーツァルトがまともに歌えない人に、ロッシーニやドニゼッティが歌えるわけがないでしょう。別に歌いこなせとは言いません。よく勉強なさいと言っているのです」

「はーい。まあでも、フィガロならまだ楽しいからいいかな。Voi che sapeteにするわ」

何度も歌い込んでいるからか、ピアノの上にあった楽譜は自然と今からやるページが開いていた。
マンドリンを想起させる軽快な伴奏を包み込むように、メアリーの若々しい声が軽やかに響く。


Voi che sapete che cosa è amor,
donne, vedete s'io l'ho nel cor.
(恋とはどんなものかご存知のあなた方、女性の皆さま、僕の心を確かめて)

Quello ch'io provo vi ridirò,
è per me nuovo capir nol so.
(僕が感じていることをあなた方にお話しします。僕にとっては初めてのことで、理解が出来ません)

Sento un affetto pien di desir,
ch'ora è diletto, ch'ora è martir.
(熱望に満ちた感情を感じ、それは今、喜びかと思えば、すぐに絶望に転じる)

Gelo e poi sento l'alma avvampar,
e in un momento torno a gelar.
(凍てついたかと思えば、心が燃え上がるのを感じる。そして瞬く間に凍りついてしまうのです)


どうやら今日のメアリーはかなり調子が良いようだ。
いつもなら声が引っかかるところも滑らかに歌えている。

ピアノ越しにチラッとメアリーを見ると、本人も調子良く歌えている自覚があるのか、表情が明るい。
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