不器用主人の心は娘のもの

最後を前に、その名を

 いつも娘がバスルームに入る前の頃、彼は執事姿で娘の部屋へやってきた。

 彼女はバラドに頼んだ通り部屋におり、彼を見るとすぐに名を呼び彼の望んでいた笑顔で笑った。

 彼はすぐさま彼女を抱きしめる。
 しかし、

「…テイル様…御主人様に、知られては…」

 彼女はそう言った。
 これが愛情表現なら、普通であれば許されぬ仲なのは彼女にも分かっている。

 しかし今だけは彼女の思う、優しい『執事長』のままでいたいと思った。

「…良い…もう、良いんだ…。お前との、この姿での最後の逢瀬だ…」

 娘を抱きしめたまま彼の身体は震えた。

 真実を告げられれば、さすがに彼女も屋敷に居残ろうなど決して思わないだろう。

 愛する彼女を偽り続けた代償は、愛する彼女との別れ…

 もうこんな時は、きっと自分には訪れないだろうと思った。

「…テイル様…?」

 彼女が自分を呼ぶ。

「…今少しの間だけ…娘…」

彼は今の幸せだけを噛み締めながら、彼女を抱いたまま頭を優しく撫で続けた。


「…お前の、名が知りたい…」

 ようやく決心のついた彼はそう娘に切り出す。

「私、エイミです…テイル様…!!」

 彼女は何も知らず、嬉しそうに笑ってそう答えた。

「…ずっと呼んでやらず、あのような扱いをして…悪かった…。きっともう、謝ることは出来なくなるだろう…名を、呼ばせてくれ…」

「はい…!」

 彼女の返事に熱がこもる。

「エイミ…!」

 自分の愛した娘の名前を噛みしめながら彼女を呼ぶ。

「はい、テイル様…!」

 今まで呼んでやらなかった後悔に張り裂けそうになる自分を抑えながら、彼はもう一度彼女の名を呼ぶ。

「エイミ…」

「はい…!」

「エイミ…」

 噛みしめ、想いを込めて…

「…ありがとうございます、テイル様…」

 エイミは嬉しそうに涙を拭いながら礼を言う。
 しかし彼の心はもう悲しみでいっぱいだった。

「エイミ…お前が私に名を教えたことを後悔しないよう、心から祈る…」

 彼は振り返り、もう一度エイミを見て懸命に微笑むと部屋を出ていった。
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