あなたを満たす魔法

第3話「水面には君という波紋」

 駅から15分ほどの、賃貸マンションが家永の住まいだ。さほど古くもない。さほど新しくもない。が、セキリュティのしっかりした場所の中にある一室は、2LDKで一人暮らしの彼には少し広めであった。
 ま・あがれ。そう緩く言われ、あかりは5階建ての3階、一番西側にある彼の部屋へ、お邪魔する。既に先ほど、この場所へ来る間、同じマンションに住む友人に、あかりの荷物を入れてもらったそうで、(合鍵も渡してあるとか)段ボール箱が廊下を占領していた。

「ツイてるな、お前」
「え?」

 玄関にあがり、洗面所へ行って手洗いうがいをしている彼を、半ば壁に隠れながら見ていると。さすがに家永も、いい気はしないのか、そんなに俺が怖いのかと零した。慌ててあかりは首を横に振り、そっと壁から離れて彼に続いて手を洗い、そのまま言葉を聞く。

「別れて、出てったばっかなんだよ」
「……恋人さん、ですか?」
「そ。元、な。だから、2LDK」

 2人暮らしにはちょうどいいだろ、と自嘲気味に笑うも、家永は上着を脱いでリビングへ入ってハンガーに。丁寧に、壁にかけた。ちょこちょこと足を動かし、あかりもついて行く。
 語彙が少々貧困な人間が表現すれば、お洒落な部屋。少し詳しく付け足せば、成人男性として見ると、なかなか落ち着いた部屋。観葉植物が置いてある角部屋で、窓が多く、開放感があり、採光性を感じさせる。2人掛けの白いソファー、3・4歳の子供が両手を広げたほどの37インチ薄型テレビ、ベージュにチェックのカーペット。時計は壁にかかった丸くモダンなスカーレットカラー、棚は黒くコーティングされた木製の物のようで、そこには専門学校時代のコンテストで手に入れた、優勝カップやトロフィーなどが並べてある。解放的な白い部屋の奥には、小ぎれいなキッチンがあり、そこもよく掃除をされていた。
 何よりよく目に入った物、テレビとソファー前の黒いテーブル。その上にはヘアカタログや、ヘアデザインのラフ画、恐らく上手くいかなかったり、想像と違う仕上がりになったデッサンを丸めた紙、流行を掴むため女性のファッション雑誌も置いてある。美容師と一度聴いているだけではあったが、あかりには家永が、とても勉強熱心な人物のように感じることが出来たのだ。

 思わず、初めて入る男性の部屋に立ち尽くしてしまう。けれど、家永の気に障らない程度に部屋を眺めていた。

「とりあえず、荷物片すぞ」

 暖房を入れつつ、家永は腕をまくって言う。

「見られたくないとかいう、荷物は?」
「あ、えと……。とくに、ない、です」
「じゃあさっさと出して、仕舞う。お前の部屋、とりあえずそこな」
「はい。ええと……家永さんは」

 家永が指差した先の部屋は、きちんとした寝室で、ベッドが置いてある、が、それはダブルだった。恐らく、前の恋人と利用していたのだろう。思春期のあかりは少し不安になって、免疫がないゆえに目も合わせられず問いかけるが。彼は、俺はしばらく此処で寝る。と、リビングを指差す。

「え、でも」
「2人で寝るわけにもいかねえし」
「そ……それはそうですが、それならわたしがここで寝ます」
「いいんだよ。引っ越したばっかで、睡眠もろくにとれないと厳しいだろ」

 いいからさっさと用意しろ。着替えも荷物の中だろ。言いながら、家永は早速荷物の整理に向う。あかりはぼうっとしていたが、少しだけ赤くなって視線をうろつかせたあとに、はい。と、きちんと返事をして彼のあとを追った。

 *

 ──荷物の整理は、1時間半ほどで終わる。あかりの荷物がもともと少なかったこともあるが、家永の手の動かし方が迅速であったということも、事実だ。
 私服へ着替え、彼に紅茶を淹れてもらい、2人して一息をついて。

「ありがとうございました、お手伝いしてくださって」

 ぺこりと頭をさげ、お礼を言うと、砂糖とミルクを淹れて紅茶を口にする家永は、別に大したことじゃない。と、すましたようすでいる。「段ボール箱を山積みで置かれるのが、迷惑だっただけ」

「……でも、とても助かりました」

 本当にありがとうございました。もう一度言うと、言われた彼は少し眉をひそめる。いいよ別に。と言ってティーカップをテーブルにコト、と丁寧に置く。それから、口を開いた。

「お前さ」
「はい」
「とりあえず、自分磨けっつったよな、俺」
「……? はい」

 居候になるうえでの代わりで、実験台な。そう言うと席を立ち、棚に飾ってあったホワイトにゴールドの文字が刻まれたシャンプーとリンス、トリートメントを、家永はサッとあかりの前に差し出した。え、と、思わず驚く。顔をあげた。

「これ……は?」
「うちのサロンで、贔屓にするか店長も検討してる、ある会社の新商品。とりあえず効き目を確認しておきたいから、お前使ってみろ」
「で、でも、これ……すごくお高そうな」

 冷や汗交じりに3つを見つめているが、俺が金出したわけじゃねーし。と、家永は紅茶を口にしながら言う。「試供品だし」
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